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生きて愛するために/辻邦生

生きて愛するために
辻邦生

My評価★★★★

中公文庫(1999年10月)
ISBN4-12-203525-2【Amazon


辻邦生(1925-1999)さんが1994年に連載したものを一冊にしたエッセイ集。「三つの啓示に寄せて」の一篇を併録。
樟の新緑の輝かしさ、マチスの窓、映画の中の恋の匂いする雨。パリで教壇に立った日々、イタリアやロシアへの旅行。子どものころに遭遇したニ・ニ六事件や戦後の社会について。そしてもちろん文学や絵画などについても綴られています。

当時、およそ半年の病を経た後に執筆。また、かつて一度死にかけたことがあったそうです。そうしたことが著者に、地上に生きているということ、ただそのことだけで、ほかに較べもののないほど素晴らしいことだ、と思うようになったのは、いつ頃からであろう。(p9)と語らせるのでしょう。そのような想いのためか、著者の筆は穏やかで、描かれる風景は光に満ちているよう。

ただ一回きりの生、それを生きる喜び。
けれども現代では、生き方・考え方のなかでその感覚を失っており、そんなものがあることすら感じられなくなっているという。
ここで、「生きる喜びとは何なのか」ということが命題になるわけですが、それは本当は大層なことではないのだと思います。 でも、難しい。
文脈は異なるのですが、著者は生きることはプロセスの連続だと言います。
しかし私はブロセスの連続である毎日の日々を、ルーティンに感じてしまう自分がいる。いや、感じてさえいない。
日々は同じことの繰り返しのようでいて、当たり前のことですが同じ日は二度と無い。二度と無いために貴重なのだということ。そして、自分がここにこうして在ることを、素直に実感できるかということ。
そんな境地に達するのは私には困難で、仏教者の悟りに近いように思えてしまう。

そう思いつつも、時折り本書のページを捲ってみる。すると、日々の中で忘れかけていた何かがあり、心豊かな気持ちにさせてくれる。読後には胸の内の風通しがよくなった感じがしました。
文学者らしい理想主義的だとは思う。けれども理想は必要。理想とか生きる喜びとか言うと難題に感じるが、本当は難しいことは何もないはずなのだ。では、なぜ自分は困難に感じるのだろうか。(2006/6/23)

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椿山/乙川優三郎

椿山
乙川優三郎

My評価★★★★

解説:縄田一男
文春文庫(2001年11月)
ISBN4-16-714163-9 【Amazon

収録作:ゆすらうめ/白い月/花の顔/椿山


自分自身を見失い、苦しみもがき嘆く人々。そんな人々に訪れる、悟りにも似た一瞬の僥倖。捉えることできない刹那的な瞬間。その心象世界を、儚い自然の風物に重ね合わせた短篇時代小説集。

ゆすらうめ
百姓で食えなくなった孝助は姉の色茶屋の番頭になって、帳場をつけて暮らしていた。
ある日、女衒に連れられて店へ来たおたか」が娼妓となった。 おたかは売れっ子になるが、年季が明けると堅気に戻った。
孝助は堕ちるだけで足を洗えない自分の変わりに、せめておたかには堅気の生活をまっとうさせたいと奔走する。

********************

自分では出来ないためにおたかに期待する孝助。それは孝助の弱さなのだけれど、ちょっぴりズルさもあるような。
孝助より、おたかの存在が一際艶やか。おたは自分で決めた生き方を通じて、孝助の進むべき道を示してやる。その姿勢には孝助への憐れみや気どりはない。そんなおたかだけれど、彼女の凄絶な美は哀しい。日蔭の花も亦花也。

白い月
職人の亭主を持つおとよは、亭主が博打で負けた借金を返済するために駆けずり回った。
亭主が博打を始めたのは、おとよの母親の薬代を稼ぐためだったが、いまでは賭場に入り浸り。腕はいいのだが、博打を止められないでいた。おとよは亭主を捨てて、独り立ちして幸せになろうと考える。

********************

愚かでもいい、信じる気持ちを失わないおとよ。
確かに信じることは大切だけれども、人の気持ちは変わる。その上で、希望を捨てないところに意味があるのだと思う。
この後はどうなるのだろう?おとよは報われるのだろうか。

花の顔(かんばせ)
武家の嫁さとは、口うるさい姑たきに20年間仕えていた。しかし義父が亡くなり、たきの様子が言動がおかしくなった。さとのことがわからないのだ。
夫は江戸詰めに出て、息子も江戸で学問を学んでいる。屋敷には下女はおらず、さとは何もかもを一人でこなさなければならない。精根尽き果てたさとは、やがて姑に憎しみを抱き始める。

********************

痴呆症の老人介護の問題を扱った短篇。介護疲れで追い詰められたさとは哀れだが、たきも哀れだと思う。
憎しみからは何も生まれない。わかってはいても、日々の生活に追いやられている間に現実に圧し潰されて心に余裕がなくなり、目前のことしか見えなくなってしまう。それは理性ではどうしようもないのだろう。しかし、苦しみのなかの一条の光明によって清められる。
仕事に打ち込み家庭を顧みず理解のない夫の存在を、作者は男性なのに嫁の側に立ってよく書けているなあ。作中の夫婦は離縁しないけれど、熟年者の離婚の原因はこんなところにあるのかもしれないと思った。

椿山
才二郎は塾の帰りに、上士の息子伝八とその取り巻きに吊るし上げを喰らう。塾長の娘孝子に近づくなと言うのだ。才二郎は伝八を殴り返したが、袋叩きに合う。
才二郎を助けたのが、同じ塾生の寅之助だった。それを機会に、二人は身分は違えど親友になる。
屋敷に帰った才二郎は、父親に上士の家へ謝罪に連れ出される。身分に屈服させられる。この日を境に才二郎は、誰よりも出世することを胸に誓い、ひたすら学問に励む。
時が過ぎ、見習いとして登城した才二郎は才気煥発さを認められるが、同時に城内に巣くっている不正に気づく。

********************

恋あり友情あり、大志を抱いて突き進む爽やか青春時代小説、かと思いきや一筋縄ではいかない。事態は意外な展開を迎える。
利発さゆえの不幸だろうか。初めは純粋だったはずの気持ちが、いつしか惑わされて見失い、歯車が狂い始める。
才二郎の歯車が狂うのは彼自身の意思によるのだけれど。彼の論理には説得力があるのだが、そのことが本人にとって不幸となる皮肉さ。 その先に何が待つのか・・・。「失った」と思われたものは、実は見失っていただけなのだろう。(2001/12/2)

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喜知次/乙川優三郎

喜知次
乙川優三郎

My評価★★★★★

解説:縄田一男
講談社文庫(2001年3月)
ISBN4-06-273077-4 【Amazon


江戸から離れたとある藩。幼なじみの3人、上士の日野家の息子・小太郎、日野家よりは格は下がるがそれなりに家格のある台助、下士の家格の猪平。
日野家に、両親を亡くした花哉(かや)が養女としてやってきた。 妹となった花哉を、小太郎は『喜知次』という魚に似ていると思い、以後は喜知次と呼ぶことに。

猪平の父親が、藩内の権力抗争の犠牲となった。この事件をきっかけに、少年たちはいやがうえにも現実に目を向け始める。
抗争の犠牲にされた下士の猪平一家。抗争に明け暮れたがゆえに藩政が疎かになって窮乏し、 結果として下々の暮らしを圧迫している藩。小太郎は藩政改革への道を目指す。

********************

3人の少年が成長しそれぞれ己が道と真実を追究する姿が、藩の抗争と改革を絡めて描かれています。現実に即さない政策と上ばかりを見る権力抗争の図は、現代の社会に当て嵌められているよう。
そうそう、解説は本文読了後に読んだほうがいいです。

読んでいる最中は、少年たちが複雑怪奇な権力抗争に巻き込まれながらも成長する物語なのに、なぜタイトルが喜知次=花哉なのか疑問をました。花哉の出番は少なすぎて不満があるほどなのに。
この疑問は最終章で明らかにされ、思わず目頭が潤んでしまいました。そして静謐な余韻に浸る・・・。改めてそれが全編を覆っていることに気づかされ、なんと巧緻なのだろうと感嘆しました。
小太郎もそうだけれど、清冽なのはむしろ花哉。やはりタイトルは『喜知次』でしかないと思いました。
花哉は封建制度下での男性優位社会における、婦女子の立場を体現。ほのかに母性を感じさせるところが、男性の理想とする女性像なのかも。一般的に男性の描く女性像というものは、どうしても母性と切り離せないような。

二読すると、一層感慨を深めそう。様々な不遇と理不尽な状況に圧されずに、己が信念の道を生きる者たちの姿が哀しくもいとおしい。(2001/4/5)

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