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ブレイスブリッジ邸/ワシントン・アーヴィング

ブレイスブリッジ邸
アーヴィング(ワシントン・アーヴィング)

My評価★★★☆

訳・解説:齋藤昇
カバー画・挿画:ランドルフ・コールデコット
岩波文庫(2009/11/13)
ISBN978-4-00-323025-1 【Amazon
原題:BRACEBRIDGE HALL(1822)


ブレイスブリッジ邸19世紀前半のイギリスの田舎。いまなお伝統的な英国貴族の気風を保っているブレイスブリッジ邸。語り手の私(ジョフリー・クレヨン)は、地主フランク・ブレイスブリッジの次男ガイと、地主が後見者になっているジュリア・テンプルトンの婚礼に招待された。
語り手の私は、邸宅を取り仕切るマスター・サイモン、女中頭の老婦人と、その姪フィービー、招待客の未亡人レディ・リリークラフトと侍女のハンナ夫人、ハーボトル将軍。村の実力者の即金ジャックや村の名士たちなど、見聞きした人々と出来事を綴る。

イギリスの伝統的な風習を愛し、復活させたいと願っている地主は鷹狩りを催すが、花嫁となるジュリアがケガをしてしまう。
誰もが恋のため息をつく春。フィービーは即金ジャックの息子を恋するが、二人の間には障害があった。しかも二人は仲違いしてしまう。二人の恋の行方は?一方、ハーボトル将軍はレディ・リリークラフトの気を惹こうとするのだが・・・。そして5月祭が過ぎ、家畜泥棒のジプシー「月明かりのトム」が、即金ジャックに捕まった!?
やがて、ついに婚礼の日を迎える。

********************

米ロマン派のワシントン・アーヴィング(1783-1859,アメリカ)が、イギリスの田舎で豪族的気風と風習を保つブレイスブリッジ邸の人々や村人たちの姿と出来事を、ときには愛情豊かに、ときには滑稽味を交えてユーモラスに綴る。
また、いまなお(作者のイギリス滞在当時)受け継がれている牧歌的な風俗風習や風景が描かれている。それを作中では伝統的風習を愛し、復活させたいと願う地主の影響によるものとしている。ちなみに地主のモデルは英ロマン主義の巨匠ウォルター・スコットとのこと。
ブレイスブリッジについての先行作品に、私は未読だが、短篇集『スケッチブック』(新潮文庫)に収録されている「駅馬車」と「クリスマス・イヴ」があり、これらを基盤として新たな物語にしたのが本作なのだそうだ。
挿画は1877年版を使用とのこと。絵本画家の大家コールデコットの絵はやはり素晴らしくて、物語の雰囲気を高めている。コールデコットの挿画をタップリ見ることができるだけでもうれしい。

アメリカ人の書いたものとは思えず、まるっきりイギリス作品のようだが、解説によるとアーヴィングは17年間ヨーロッパに滞在したという。だからなんだろうな。
時代背景は執筆当時のようだが、ブレイスブリッジ邸と周辺の村は18世紀後半の雰囲気。世間ではすでにブレイスブリッジ邸の人々たちのような風習は廃れていて、過去の遺物のようなもの。作者の分身である<私>は、ブレイスブリッジ邸の人々や風習も、やがては近代化によって忘れられるであろうと語っている。

正直言ってアーヴィングでなければ手にしなかっただろうタイプの作品なのだけれど、読んでみるとこれが面白いかった。現代小説によくあるエキサイティングさとはまったく無縁で、古風なタイプの小説であり文体なのだけれど、ユーモアとエスプリが効いていて丁寧に描かれている。
正式な権力はないが、村の実力者として誰もが一目おく即金ジャック。ジプシーとハンサムな家畜泥棒トム、五月祭りの様子や恋占いにすがる召使たち。伊達男を気取る独身者の顛末など、本当に牧歌的な古き良き時代のイギリスという感じ。そういうのが好きな人向けの作品。久しぶりに、まったりとした読書体験だった。この本は、時間のあるときにまったり読むのが正解だと思う。(2009/11/30)

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僕のいるところ/三谷龍二

僕のいるところ
三谷龍二

My評価★★★★★

主婦と生活社(2006年12月)
ISBN4-391-13364-4 【Amazon


工芸家・木工デザイナーの三谷龍二さんが、ご自身で作られたオブジェを撮影し、エッセイとも詩とも物語とも言えるような文章を添えた本。幼いころから木工デザイナーとして活躍している最近までの、記憶に残っているふとした出来事が綴られている。
判型と表紙の雰囲気から絵本のような本だなと思ったら、ご本人は絵本(正確には絵本のような本)を作ろうと思ったのだそうだ。やっぱり。一般的な絵本のイメージからは離れているけれど、絵本としかいえないような本なのだ。大人のための絵本。

記憶に残る場所・人・出来事といった想い出。他人から見れば些細な事であったとしても、本人にはその瞬間瞬間に感じるところがあり、それがいまも息づいて根差しているのだろう。それらはどこか懐かしく、温かく、そして微かにせつない。せつなく感じるのは、過ぎ去った時間は二度と戻ってこないから。だからこそ想い出は大切にしなければ、と思う。読後には、気持ちの漣が静まった感がある。

文章から、三谷さんは「一歩一歩着実に踏みしめる人」というふうな印象を受けた。迷いながらであったとしても、ゆっくりスローペースであったとしても、ときには立ち止まりながらも、一歩一歩踏みしめていく人、そんな感じがする。
慌しい世間に漫然と流されるままではなく、ときには立ち止まり、いま居る自分の足元と辺りを見回して、それから行く先を見定めていく。そのような時々の想いの集積。それが人を形作っていくのではないかな。
文章から何を感じとるのか。それは読む時々、読み手側の気持ちによって異なるのではないかと思われる。また、五年後十年後に読んだら、いまとは違ったふうに感じるのではないだろうか。時折り引っ張りだして読みたい本。(2006/12/30)

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木の匙/三谷龍二

木の匙
三谷龍二

My評価★★★★★

新潮社(2005年10月)
ISBN4-10-300191-7 【Amazon


工芸家・木工デザイナーによるエッセイ集。カラーフォト多数。三谷龍二(1952年生まれ)さんは、1981年に長野県・松本市に工房を開設し、木工芸はもとより絵やエッセイもこなす。写真はてっきりプロが撮っているのだろうと思っていたら、三谷さん自身によるもの。写真までやるのかあ。才能のある人は違う。オフシャルサイト【木の器】。
ベルンハルト・シュリンク『朗読者』と『逃げてゆく愛』、伊坂幸太郎『オーデュポンの祈り』(文庫版)と『ラッシュライフ』や『重力ピエロ』などの装填のオブジェの製作者。

以前から三谷さんの木の作品に興味はあったのだが、手に取って写真を眺めることはしても(写真から醸し出される雰囲気が好き)、文章を読むというほどではなかった。でも、雑誌に連載しているエッセイを読んで、その感性と、気張らず誠実で一本筋の通った文章がとても気に入り、その人となりやライフスタイルに興味を惹かれた。
書店でパラパラとページを捲っていたら、巻末のあとがきに代えた文章の中で、私の大好きなウィリアム・サローヤンの『パパ・ユーア・クレイジー』から引用していることもツボだった!『パパ~』を好きな人なら、と思ったのだが、果たしてそのとおりだった。

木の器の手入れについても語っている。また、持ち込まれた器や匙などの修繕もしているという。著者は、現代では木を手入れしながら使う習慣が壊れてしまったと語る。
木で作られた道具というものは、私が生まれたころは当たり前に見かけたものだった(田舎だから、ということもある)。けれども、それがプラスチックやステンレスに替わり、いまや木製品はあまり見かけることがない。木材そのものが高価だからということもあるだろう。
木工製品というものは、使えば使うほど艶や味が出てくる。そこには、それを長年使い続けた持ち主との時間が共有あるいは凝縮されていると思う。私はそういう時間を大切にしたいと思う。そう思う背景には、年齢的なものもあるかもしれない。気持ちに余裕ができてきたから、手入れする気になるのだと思う。
モノの溢れた時代に生まれ育ったが、長く使用するに耐えるモノ、誠実な仕事によって作られたモノがなくなった。そういったことにウンザリしたという気持ちもある。

もともと生活品は、人間のからだが基準になってつくられることが多い。頭ではなく、手やからだで考えられたものだ。
頭で考えたことは、どこまでも翼を広げれるすばらしさを持つ反面、間違いや、無理を生み出してしまうことも多い。
でも、からだは具体的なものからいつも離れることができないから、手でできること、歩いていけるところ、それはどんなに時代が進歩しても、それほど変化することがない。

変わることのない人の暮らし。変わることのない人のからだ。そうした「限定」が、かえってものが生まれるための、確かな「理由」を与えてくれることにもなるのだと思う。(p30)

当たり前のことだと思う。けれども、あまりにも当たり前すぎて見失われがちではないかと思う。ともすれば見失われがちなこと、そんな事柄を著者は掬い上げている。その著者の眼差しに惹かれる。

サンフランシスコ郊外で見た古い木造納屋についてのエッセイで、
『大草原の小さな家』の時代。お金も時間もない中で、必要最低限のかたちの家が造られたが、それがかえって、ムダなものを省いた簡素な美しい家を生み出したのだった。
「大切なものを、単純なかたちで」。アメリカの納屋が教えてくれるものは、人にとって一番大切なものは、豪華な家でも綺麗な服でもなく、ジーンズとTシャツを無造作に着てでもいい、ただ日々「居心地よく、単純な暮らし」ができることである。
そう語っているように思えるのだった。(p92)

「居心地よく、単純な暮らし」。私もそうありたいと思うけれど、まだまだ。(2006/6/20)

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