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コウルリヂ詩選/コールリッジ

コウルリヂ詩選
コウルリヂ(サミュエル・テイラー・コールリッジ)

My評価★★★★★

訳:斎藤勇・大和資雄,解説:大和資雄
岩波文庫(1955年11月)
ISBN4-00-322211-3 【Amazon

収録作:老水夫行/クリスタベル姫/短詩三篇(フランス/シャモニの谷にて日の出前にうたへる讃詠/忽必烈汗


イギリスを代表するロマン派詩人の一人で、批評家サミュエル・テイラー・コールリッジ(1772-1834)の代表作を収めた詩集。幻想文学が好きなら必読の詩集。ちなみにコールリッジは、ワーズワース兄妹やジョン・キーツと交友があったという。

『老水夫行』『クリスタベル姫』『忽必烈汗(クブラカーン)』は、現代文芸に影響を与えているので、一度は読んでおきたかったのだ。
ひと口にロマン派の詩といっても詩人によって作風は様々だが、コールリッジの場合は上記した3篇に限ると、夢魔のような存在や冥界を意識した神秘に満ち満ちた詩で、幻想文学と言っていい。また、怪奇趣味的とも言えるのではないかな。特に『老水夫行』と『クリスタベル姫』は、じわじわと恐怖心を募らせてゆくところが、古典的な怪奇小説風だなあと感じた。

ギリシア文学以来のモチーフを用いて、西欧中世文学の流れを汲みつつも(と断言できるほど中世文学を識らないんだけど)、なんとなく現代人的な感覚を感じた。
中世の文学は、神の摂理に人間の行動指針を求めていると思う。信仰によって魂の平穏を得て、神の恩寵によって安息を得る。
でも、コールリッジの場合は信仰よりも人間性にウエイトが置かれているような気がする。その点が現代人的だなあと思うのだ。そして限りなく信仰心に関わる内容だと思ったけれども、あまり意識することなく読めたのは、物語としての面白みがあるからだ。
ただ、原詩の韻文を生かそうとした訳だからか、特に『老水夫行』は言い回しが古いのと独特なのとで、スンナリ読めなかったし、ちょっと理解しにくい箇所があった。ジックリ読めばわかるのだけれど。そもそも詩を一読で理解することが、私には難しいのだが・・・。『老水夫行』は斎藤勇訳、他は大和資雄訳。

以下、代表作3篇を。原題の後の年号は発表年。その他の『フランス』はフランス革命について、同時代に生きたコールリッジの心情を吐露した詩。『シャモニの谷にて日の出前にうたへる讃詠』は、コールリッジにとって最も美しい自然と、それを創った神への詠歌という印象だった。

老水夫行(The Rime of the Ancient Mariner.1798)
婚礼の祝宴の場に現れた老水夫は、傍にいる若者に、自らが体験した恐ろしい出来事を語る。赤道を航海していた船は暴風雨に流され、老水夫は苛立ち、吉兆といわれる海鳥を射ち殺してしまう。船は南極を漂流するが、いつのまにか死者の世界を彷徨っていた・・・。

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英詩を代表する名詩の一つといわれるだけある。読み始めた当初は、「このじいさんは人の婚礼の場で、なに縁起悪い話をしてんだよ」と思ったのだが、たぶん婚礼という生の世界と、老水夫の語る死の世界を対比させているのだろう。このことは生命が育まれてゆく世界と、生命の終わりの世界を描き、やがてまた生へと巡る円環構造と言えないだろうか。
漂流していた船は、いつの間にか冥界を彷徨っている。現実の海から異海への移行と言うか重なり合いと、異海の夢幻的な空間の拡がりが巧みだ。幻想文学好きなら必読の詩だろう。

クリスタベル姫(Christabel.1816)
クリスタベル姫は、行く末を誓い合った騎士を想って、夜の森で祈りを捧げようとしたとき、木の下に倒れている乙女を発見する。乙女はジェラルダインという名の姫で、祖国から攫われたのち、この森に置き去りにされたと言う。やさしいクリスタベル姫は、ジェラルダインを城へ連れ帰って保護するが・・・。

********************

第1部は1798年、第2部は1800年に書かれたという。クリスタベルの亡き母親の霊が彼女に忠告しようとしたりと、かなり怪奇小説風。この詩は未完で、小説で言えばプロローグの部分で終わっている。これからどうなるのか気になるところで終わっているのが惜しい。この後から面白くなるところだったろうに。
なお、ジェラルダインの正体についての考察は、A・S・バイアットの小説『抱擁』における文学談義のなかでも触れている。

忽必烈汗(Kubla Khan.1816)
忽必烈汗(クブラ・カーン)の築いた壮麗な歓楽宮。その歓楽宮の美しくも禍々しい情景を描いた短詩。

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解説によると、この詩が作られたのは1797年で、未完なのだそうだ。午睡のときに夢で見た情景を書いたが、来客のために中断されて未完成なのだそうだ。未完成というのは、詩が最後まで書かれなかったということで、完成度が低いという意味ではない。夢の内容を書いた詩とはいえ、非常に磨かれている。煌びやかさと残虐さが混在していて、独特の芳香をはなっているかのよう。(2005/6/8)

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サマルカンド年代記/アミン・マアルーフ

サマルカンド年代記 『ルバイヤート』秘本を求めて
アミン・マアルーフ

My評価★★★★★

訳:牟田口義郎
リブロポート(1990年3月)[廃版]
ISBN4-8457-0480-3 【Amazon
原題:SAMARCANDE(1988)


1988年度のメゾン・ド・ラ・プレス賞受賞作。これは1969年に設立されたマスコミ関係団体の賞で、フィクションとノンフィクションの各一作品に贈られる。
激動の時代に現れる「失われた手稿本」をめぐる物語。
実在した詩人オマル・ハイヤーム(1048-1131)がルバイヤートを書いたが失われた。その失われた手記が、架空の人物フランス系アメリカ人のベンジャミン・O・ルサージによる手記という形で発見される。巻末にルサージ作成の年表がある。史実に基づいた中東の歴史と政治・革命を軸に、ハイヤームとルサージ各々のロマンスが巧妙に絡まって展開する。

ルバイヤートとは本来ペルシアの四行詩のことだが、現在はオマル・ハイヤーム(ペルシアの詩人、哲学・数学・天文学者)の詩集の代名詞になっている。原本には、詩の他にサマルカンド年代記が書かれているため『サマルカンド手稿本』と呼ばれるという。この年代記は手稿本を手にした人々によって、時代を超えて書き継げられた設定になつている。
『サマルカンド』とは現在のウズベキスタン。アレキサンダー大王の東征の時代には『マラカンダ』の名前で知られており、東部イランのソグディアナ(イラン系のソグド人)地方の中心都市だった。つまりシルクロードの主要都市の一つ。

前編は1072~1257年、ハイヤームが手稿本を書くことになる経緯から、数世紀を経てチンギス・ハン率いるモンゴル軍の来襲によって、手稿本が失われるまで。
サマルカンドを訪れたハイヤームは、その後イスファハーンへ向い、時の宰相ニザーム=ル=ムルクと親交を結ぶ。ニザームは彼をサーヒブ・ハバル(隠密の長官。つまり諜報機関の長)に任命しようとするが、政治に関わることを厭うハイヤームは辞退。代わりにハサン・サッバーフを推薦した。
ハサンはサーヒブ・ハバルとなったが、やがて宰相ニザームを失墜させようと謀る。幾度もの計略に失敗し敗北したハサンは、アラムートに篭もり『暗殺者(アサシン)教団』の開祖となる。やがてニザームが暗殺され、複雑な理由でハイヤームに危険が迫る!

後編は1870-1912年まで。ルサージはハイヤームの手稿本を所持していたジャーマルディーン師(図版有り)に面会を求める。その場でナーセルディーン・シャー(図版有り)の孫シーリーン王女と出会う。ジャーマルディーンはシャーに追放された。そのとき彼の弟子ミルザー・レザー(図版有り)は、テヘランで失われた手稿本を探していた。
テヘランでルサージはミルザー・レザーと接触したが、1896年5月1日、ミルザー・レザーによる事件に巻き込まれるが、からくもテヘランを脱出して帰国する。

1906年、シャーの専制政治に対してテヘランで立憲革命が起る。アメリカではルサージの元へ、ペルシア(現イラン)に憧れるハワード・G・パスカヴィルが、現地生活での助言を乞う。パスカヴィルに刺激されて、ルサージは再びペルシアのタブリーズへと旅立つ。
タブリーズでルサージは、パスカヴィルが『アダムの子ら』(立憲派による革命組織)に関与していることを知る。また、民主主義推進派の指導者ファーゼルと旧知の仲ということもあり、ルサージも彼らと活動をともにする。
イギリスとロシアによって議会は解散させられ、ロシアの命を受けたリアコフ大佐(図版有り)率いるコサック旅団の反革命軍によって、国会が破壊される(図版有り)。これに対しアダムの子ら立憲派と志願兵(図版有り)は、武器を手にしてタブリーズに篭城。攻防を繰り広げるが、国際世論の介入によって事は収まった。

新政府は財政再建のため、アメリカからモルガン・シャスター博士を財務長官として雇う。財政は好転したが、ロシアの策略によってシャスターは解任させられる。以後、イギリス・ロシアの同意を事前に得ることなく、外国より専門家を雇うことができなくなった。そして議会は解散させられ、何人かの議員は逮捕または国外へと追放された。
ルサージとシーリーン王女は、民主主義が無に帰したペルシアを後にして、海路をアメリカへと向かう。時は1912年、行く手に何が待ち受けているかも知らずに・・・。

********************

アミン・マアルーフ(1949~)はレバノンの首都ベイルートで生まれ、大学で社会学と経済学を専攻後、ジャーナリストとなる。1976年以降はパリに定住し、著述業に専念。
この作品は手稿本の探求物語ではあり冒険小説でもあるが、本質的には歴史小説ではないかと思う。探求的部分は、ペルシアの政情と切っても切れない関係にある。ハイヤームの詩は当時の政情(世相)への鬱屈した想いが詩作に向かわせたものだから、政情を知ることでより詩の理解が深まるように思った。
中東側からみた、ペルシア(現イラン)を中心とした中東の歴史と政情がわかりやすく書かれている。史実と虚構が巧妙にシャッフルされているので、ルサージが本当に実在して手記を著したのかと思うほどだ。
国境を接するために、諸大国の思惑に翻弄されるペルシア。イギリスとロシアはペルシアに固執し、ペルシアが成し遂げた民主主義政治を叩きのめした。列強国に蹂躙された歴史的事実、そして宗教の派閥。今日の中東問題、列国に対する不信感の根深さが伺えよう。
意外なのは立憲革命の発端の一つに、日露戦争で日本がロシアを敗したことだ。大国ロシアが敗走したことで、テヘランにおける革命軍の士気が鼓舞されたのだ。国際情勢の複雑さが知れる。

ハイヤームの手稿本がほとんど人目に触れぬまま失われてしまったなら、どうして現在、彼の詩が世界中に流布しているのだろう?それはハイヤームが一部の友人に回し読みさせて、何人かが写本を書いたからと云われる。写本は彼の死後に公表されたという。
現存する最も古い写本は、1340年に書き写されて現在はドイツにある『ローゼンの写本』だそうだ。だが、ハイヤーム以外の者によって書かれた詩も混入しているという。
またオックスフォード大学のボードレイ図書館に所蔵されている『ボードレイ写本』は、1460~1461年に書き写されたもので、一番多くハイヤームの真作を含んでいるとされ、最も権威ある写本なのだそうだ(小川亮作訳『ルバイヤート』岩波文庫より)。

備考:2001年12月、ちくま学芸文庫から刊行【Amazon】。 (2002/1/6)

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プラトーノフ作品集/プラトーノフ

プラトーノフ作品集
プラトーノフ(アンドレイ・プラトーノフ)

My評価★★★★★

訳・解説:原卓也
岩波文庫(1992年3月)
ISBN4-00-326461-4 【Amazon

収録作:収録作:粘土砂漠/ジャン/三男/フロー/帰還


アンドレイ・プラトーノウィチ・プラトーノフ(本名クリメントフ。1899-1951)はソ連時代の作家。解説によると、プラトーノフは反革命的作家として常にマークされていた。そんな状況の中で、当時の検閲をパスさせて読者の目に触れさせたいがために、妥協した部分があるという。

プラトーノフは、旧ソ連政権から反革命的作家として文学史から抹消された。雪どけ後から再評価が高まっているという。訳者は解説で二十世紀世界文学のじ重要な作家であろう(p336)と高く評価している。この言葉が過言でないことは『ジャン』を読むとわかる。この作品は紛れもなく名作だろう。
私としては全体的に、男女間の性差に納得できないものがある。そのことは旧ソ連や周辺諸国の社会背景が元になっているので、当時の社会構造と時代性を念頭に置くべきだろう。しかし時代を越えて真の社会改革とは何か。人間性、人間として生きる希望とは何かを求めたところに作者の真意があるのだろう。

粘土砂漠(タクィル)(1934)
ペルシャやクルド人と対立するトルクメン人(1917年のロシア革命後、この地域で各種の民族紛争が激発した(p6))。最後の襲撃戦の末期に、トルクメン人の騎馬隊はペルシャ人の捕虜を連行し、ロシア国境を越えて自国に引き揚げていた。14歳のペルシャの少女ザリン・タージも捕虜の一人だった。
ザリン・タージは、テッケ族のトルクメン人であるアタフ・ババに与えられて、遊牧民としての生活を始める。彼女は女の子ジュマリを生む。

ジュマリが少女となったころ、母親のザリン・タージが病気にかかり、部族は親子を残して移動する。食べる物もなく人もいない不毛なタクィル。ジュマリは粘土の塔で、オースラリア人の青年ステファンと出会う。二人はタクィルで一緒に暮らすが、ステファンが稼ぎに出かけたあるとき、ジュマリは赤軍の騎兵斥候隊によって、アシハバート(トルクメン共和国の首都)とタシケント(ウズベック共和国の首都)へ送られる。
首都の農業大学を卒業して数年後、ジュマリは果樹園を作るために故郷タクィルへ戻って来た。そして母が亡くなり、ステファンと暮らした粘土の塔を訪れる。

********************

ジュマリを理解するためには、まず母親ザリン・タージの生き方を理解しなければならなかった。母親を理解してこそ、ジュマリが何を考え。何を求めているのかがわかる。そしてタクィルという土地と諸民族の関係も、ジュマリという娘の生成には不可欠だ。特にタクィル(粘土砂漠)で生きるとはどういうことなのか。その苛酷さはもはや想像外だ。なので日本人にはちょっと理解し難いかもしれない。
肝心なのはジュマリが自発的に故郷へ戻って来たということ。その故郷で果樹園をプランニングする意志を秘めていることなのだ。つまり、これまで受動的に生きてきたジュマリが、自分自身の意志で生きるということが肝心なのだと思う。

ジャン(1966)
日本版の副題に『ジャンとは幸せを求める魂のこと(トルクメンの民間信仰)』とある。
モスクワ経済学部を卒業した経済学士ナザール・チャガターエフ(脚注によるとチュダカイ語。中央アジアの中期チュルク語の一つにチャガタイ語がある(p4))は、卒業パーティーでヴェーラと出会い電撃結婚する。直後に彼は故郷であるアジアの砂漠の只中へ派遣される。彼の民族を探し出して援助するよう任命されたのだ。
彼の民族は呼称を持っていなかったが、自分たちでは『ジャン』と呼んでいた。ジャンとは「魂とか、いとしい生命」という意味。彼らは魂以外に何一つ持っていないからだった。

チャガターエフは幼少のころ、体が弱って彼を育てることができない母ギュリチャタイから、一人で生きていくよう言われた。少年だった彼は砂丘を越えて、羊飼いの世話になり、そこでソビエト政権に渡されて育てられた。
ジャンを探していた彼は、肉親ではない老人の世話をしている、まだ幼い少女アイドゥイムを連れてゆく。少女の瞳にはまだ人間的な希望や輝きがあった。

チャガターエフはジャンを探し出す。彼はジャンの人々に、生きる意欲を取り戻させようとするが、何の希望のない人々にとって、生きること生きていると実感することは、もはや絶望や苦痛を通り越して無感覚でしかない。ジャンの人々の願いは、死による地上から消滅=解放だからだ。そんな人々を救うには、食糧を与えるだけでは意味がなかった。
この地へ派遣されていたヌール・ムハメッドはジャンを駆り立てて、もっといい土地へと導く。だがムハメッドの狙いは、ジャンの救済にはなかった・・・。

********************

20世紀の世界文学史に残るべき作品だと思う。訳者はプラトーノフの最高傑作と評している。他はともあれ、この中篇作品は読まれたし。
解説によるとこの作品及び『粘土砂漠』は、1934年に作者がトルクメン共和国へ派遣され、砂漠を放牧する貧しい人々を目にしたことがキッカケとなって書かれたという。チャガターエフは独善的なところがあってあまり好きではないが、この作品で重要なのは主人公の性格そのものではない。彼の存在や行為、民族を想う心は重要なのだけど。

虐げられ、生きる意志も感情も失い、糧もなく、ただただ死を求める少数民族ジャン。現実の有り様に絶望した人々が、現実や生に対する絶望感や希薄感をどうやって乗り越えるか。絶望を越えて人間をやめてしまった人々が、どうすれば幸福になれるのか、人間として生きることができるのか。生きるとはどういうことなのか。作中では理想論や哲学、安易な同情や感傷を徹底的に排している。

正直にいうと、この作品は私の理解を超えている。民族であるよりも一個の人間としての再生を願うラストは、果てしなく続く民族紛争を踏まえているのではないだろうか。
この作品の結末は、そうするしかないのだろうが、本当にこの結末でいいのかどうかよくわからない。私にはどうすればいいのかわからないのだ。人間が生きる限りにおいて、おそらく永遠の命題だと思う。

三男(1936)
都市に住む70歳になる老人の妻が死んだ。老人は6人の息子たちに電報を打った。物理学者の党員である3番目の息子は、一度も祖父に会ったことのない6歳の娘を同伴して来た。父親と半ダースの息子たちは、妻であり母である老婆の亡骸の周りに集う。祈祷式が終わり夜になって、老人は孫娘と一緒に眠ろうとする。

別室では久しぶりに会った息子たちが、様々な話題に興じている。やがて三男が、老人たちが寝ている棺のある部屋へやって来る。他の息子たちもやって来た。息子たちは母親の思い出の詰まった、屋内や中庭にそれぞれ散ってゆく。翌朝、埋葬に向う息子たちを眺めた老人は、いつか自分も立派に葬ってもらえるだろうと、6人の息子たちを誇らしく思い満足する。

********************

検閲を意識していたのではないかと思わせるほど、ソ連社会に貢献する息子たちと、その家族の繋がりを書いた当り障りのないスケッチふうの作品。タイトルを考慮しないとしても、もっと三男を全面に出してほしかった。しかし老いた父親が、息子たちを誇らしく思う気持ちは伝わる。
それだけの作品でしかないとも言えるが、死者である母親から、生者である父親と息子たちへと、死して後も伝えられる想いが、この作品の焦点かもしれない。

フロー(1936)
長期間の予定で遠くへ仕事に行った夫。夫からの手紙を待ち続けるフローシャだが、いつまで経っても手紙はこない。
家には一旦は退職したが、控えの機関士に採用された父親がいる。
駅へ通って手紙が届くのを待つフローシャは、夜間に炭ガラかきだし作業をしたり、クラブでダンスをして気を紛らす。彼女は電気工学を専門とする夫の影響で講習会に通っていたが、夫がいないいま、講習会には何の興味もなかった。

夫は到着を知らせる電報を送ってきたが、以後音沙汰がない。彼女は真っ先に夫からの手紙を手にするため、郵便局で集配人の仕事に就くが、やがて家にこもりきりになる。そして父親名義で電報を送らせる。帰って来た夫はしばらく彼女と共に過ごすのだが・・・。

********************

夫のいない淋しさを紛らそうとするが、堪え切れないフローシャ。その気持ちはわからなくはないが、自立していない女。彼女が憐れんでいるのは自分自身でしかないからだ。
そんなフローシャが夫を待つ強さを得る。フローシャの淋しさを象徴するハーモニカを吹く少年が登場するが、この少年はもう一つの象徴でもある。このことに他の作品にも通じる、プラトーノフの願いが込められているのだと思う。しかし、それなりにまとまっているが、掘り下げ方が浅く表面的で消化不良気味だった。

帰還(1947)
戦地から復員するイワノフは、列車を待つ駅で年下のマーシャと知り合う。ドイツ軍の侵攻によって家族の消息が知れず、なじみのない親戚しかいないマーシャは、故郷へ帰ることに戸惑いがあった。イワノフはそんなマーシャに惹かれて、彼女の故郷の町で列車を降りる。そして二日後に、妻と子供たちの待つ自宅へ向う。

イワノフが留守にしている間、妻リューバは煉瓦工場で働いてきた。幼かった息子ペトルーシカは少年になり、家の一切を取り仕切っていたが、イワノフにはそんな息子が可愛げのない子どもに思えた。
イワノフは自分が留守にしていた間、セミョーンという男が出入りして、子どもたちの相手をしていたことを知る。その晩、イワノフは妻にセミョーンとの関係を問い詰める。妻はセミョーンとは何の関係はなかった、しかし別の男、労働組合の指導者と一度関係があったことを告白する。生きる喜びを求めて。だがその男は愛せなかった、やはり夫を愛していると言う。
イワノフは妻を攻めるが、妻は夫が自分たちの生活の何を知っているのかと言う。翌朝、夫は列車に乗ってマーシャの住む町へ向う。発車してから、ふと村道を見ると・・・。

********************

要するに自分の浮気は棚に上げて、妻の浮気は許せずに断罪する男のエゴを真正面から書いている。そして妻も一人の人間であることを説いている。それだけではなく父親を徴兵されて育ったペトルーシカを通じて、家族であるとはどういうことかを描いた作品。世知辛いペトルーシカだが、そうならざるを得なかった背景には、やはり戦争が介在している。
しかしこの作品集全体を通じて考えると、作者が伝えたかったのは戦争による影響だけではなくて、どんな状況でもお互いが理解して認め合うことだと思う。それは家族という単位だけではなく、もっと広範囲のことを示しているのではないだろうか。自分の子どもに対してだけではなく、すべての子どもに対して先達(親)がどうあるべきか、ということではないだろうか。

スターリン時代に発表されたこの作品が、ソ連軍人を中傷する作品と猛攻撃されて、プラトーノフは文壇と文学史から完全に抹消されたという。このことによって、スターリン政権がどういうものだったかがわかるだろう。妻の浮気の是非はともかくとして、この時代、ましてやソ連という国で、女性の人間性を主張した作品はかなり珍しいのではないかなあと思うのだけれど、どうなんだろ。(2002/11/21)

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