スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

木馬のぼうけん旅行/アーシュラ・ウィリアムズ

木馬のぼうけん旅行
アーシュラ・ウィリアムズ

My評価★★★★★

訳:石井桃子
カバー画・挿画:ペギー・フォートナム
福音館文庫(2003年1月)
ISBN4-8340-1910-1 【Amazon
原題:Adventures of the Little Wooden Hprse(1938)


おもちゃ作りのピーダーおじいさんが、きれいな色に塗った小さな木馬を作りました。
おじいさんは木馬を売ろうとするのですが、木馬はおじさんのそばを離れたくなく、おじいさんと一緒に一生懸命働きます。
大きな店がブリキなど新しい素材のオモチャを安く売りだしたため、おじいさんの作る木のおもちゃは売れなくなりました。とうとう生活に困ってしまったおじいさんのために、木馬は稼いでお金を貯めてこようと旅にでます。

木馬はいじわるな地主にこき使われ、船に乗って海を渡り、炭鉱で働きます。王さまや王女たちの馬車を牽いたり、サーカスで働いたりもしました。でも災難に遭ったりして、なかなかお金は溜まりません。
おじいさんが恋しくなった木馬は、貯めたお金を持って帰ろうとするのですが、いつまで待っても海を渡る船がやってきませんでした。そこで木馬は・・・。

********************

アーシュラ・ウィリアムズ(Ursula Moray Williams,1911年生まれ)は、イギリスの女流児童文学作家。本作は彼女の代表作が本書ということです。
同社から1964年に単行本(挿画は中川宗弥)として刊行され、長らく絶版だったようですが、フォートナムの挿画で復刊。ペギー・フォートナム(1919年生まれ,イギリス)の挿絵は、素朴な力強いペンタッチがいい味をだしています。

おじいさんのために一生懸命働く木馬。その正直さと健気さ心温まりました。木馬は行く先々で一生懸命に働くのですが、困難に遭ってしまいます。次々に事件が起こり、読む者の気をそらせない、よくできた冒険物語だと思います。
木馬はボロボロになり、せっかく溜まったお金を失ってみじめな気持ちになりながらも、常に希望を失わず、親切にすることを忘れません。海賊であっても困っていれば助ける、とても性格のいい木馬なんです。
人に親切にしたぶん、報いがあります。その反対も然り。また、悪いことがあってたとしても、良いこともあるんですね。
この主人公が人間だったら、あまりにも性格がよく、できすぎた話のため鼻についたかも。小さな木馬だからいいのでしょうね。そして、自分のためではなくおじいさんのためだから、木馬を応援したくなるのかも。
読後は、ほんわりとやさしい気持ちにさせてくれる物語でした。(2008/1/14)

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへにほんブログ村 本ブログ 海外文学へ

スポンサーサイト

黄金虫/リチャード・マーシュ

黄金虫
リチャード・マーシュ

My評価★★☆

訳:榊優子,解説:戸川安宣
創元推理文庫(1986年12月)[絶版]
ISBN4-488-54201-5 【Amazon
原題:The Beetle(1897)


「黄金虫!」盗人の放ったこの一言で、才気煥発で押し出しの強い新進気鋭の政治家ポール・レシンガムが、哀れなほど異常なまでに恐れ慄いた。しかし、その盗人のロバート・ホルトは操られていたのだった。
失業者で無一文となったホルトは、救貧施設に泊まれなかったため、一軒の空き家のような家に入り込んだ。ところがベッドには異様な容貌の異国(東洋)人がおり、ホルトは意のままに操られる傀儡にされてしまう。

レシンガム邸から逃げ出す盗人ホルトと鉢合わせした、科学者で発明家の青年シドニイ・アサートン。
アサートンがレシンガムの様子を見る。実はアサートンはマージョリー・リンドン嬢に告白したが、彼女がレシンガムとの結婚を考えているほどの仲だと知らされた直後。ためにレシンガムに対して、あまりいい感情を抱いていなかった。

そのアサートンの前に、黄金虫の化身と称する東洋人が現れ、レシンガムへ復讐しようとしていることを告げた。レシンガムにマージョリーをとられたアサートンを唆して仲間にするためだ。一方、レシンガムは名探偵オウガスタス・チャンプルに、事件と犯人の解明を依頼。

すべての発端は、彼が20年前にカイロで遭遇し軟禁された魔窟での、イシス信仰の祭儀にあった。
マージョリーが東洋人に連れ去られ、アサートン、レシンガム、チャンプルたちの追跡が始まる。レシンガムの秘密とは?黄金虫とは何なのか?

********************

戸川安宣によるあとがき(解説)によると、リチャード・マーシュ(1867-1915,イギリス)は、イートン及びオクスフォード大学で学ぶ。作家のロバート・エイクマンは彼の孫にあたるそうです。

ロンドンを跳梁する邪教の魔術に対抗する話かと思いきや、最後は探偵による追跡劇。
東洋(エジプト)の邪教の信徒が、ヴィクトリア朝の世紀末ロンドンで跳梁する怪奇小説。いわゆるスリラーですね。探偵が登場するので、怪奇探偵小説となるのかな。怪奇色は薄いのですが。似たような傾倒として、コナン・ドイルの『緋色の研究』が挙げられます。
物語は4つのパートで構成されており、それぞれホルト、アサートン、マージョリー、チャンプルの一人称による4人の視点で語られます。複数の視点で語られることによって、事件の重層さ、各人物像が浮かび上がるという狙い。
1912年にはアメリカでも刊行されたというから、当時はよほど人気があったのでしょう。私にはそれほど面白いとは思えないのだけれども、背景となっている当時のイギリス社会の様子は興味深かったです。

本書では異国の秘教=邪教であり、その信徒はアラブ人という、有色人種蔑視と白人選民主義が表れています。その点は時代性だから仕方がないのでしょうねえ。こうしたことは、おそらくは当時のイギリス人の一般的な反応ではないかと思います。なぜなら作者に特別な偏見があったとは思えないんですよ。

イギリスは階級社会として知られますが、作者は階級社会に対して結構辛辣。
マージョリーの父親は古い家柄を誇るガチガチの保守派で、成り上がりのレシンガムを頭から毛嫌いします。父親はレシンガムの才知と人柄はまったく無視し、家柄でしか判断しない。
一方のマージョリーは、社交界の花でありながらも婦人労働者クラブの会合に参加し演説までする活動家。彼女は理不尽な父親には従わず、真っ向から対立する。
当時、女性の活動家がいたことは知られていますが、けれどもマージョリー女性像は当時としてはまだまだ新しいタイプだったのではないでしょうか。
そんなタイプの女性が小説に登場するということは、読者に受け入れられる素地がすでにあったということではないでしょうか。(2007/8/12)

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへにほんブログ村 本ブログ 海外文学へ

わが家の人びと/セルゲイ・ドヴラートフ

わが家の人びと ドヴラートフ家年代記
セルゲイ・ドヴラートフ

My評価★★★★☆

訳・解説:沼野充義
成文社(1997年10月)
ISBN4-915730-20-4 【Amazon

目次:イサークおじいさん/ステパンおじいさん/ロマンおじさん/レオポルドおじさん/マーラおばさん/アロンおじさん/母/父/いとこのボーリャ/グラーシャ/レーナ     これは愛じゃない/カーチャ/ニコラス     結び


ソ連出身の作家セルゲイ・ドナートヴィチ・ドヴラートフ(1941-1990)は第二次世界大戦中に両親の疎開先で生まれて、レニングラード(現サンクト・ペテルブルク)で育ったそうです。父はユダヤ人、母はアルメリア人。
ソ連では作品を出版できず、1978年にアメリカへ亡命。この作品の原書(原版)は、1983年にアメリカでロシア語版が刊行されたとのこと。

作者自身が語り手となって、彼の親族のエピソード面白おかしく語られ、飄々していて、とぼけた味わいがあります。
身長2メートル10センチぐらいのイサークおじいさんは、アメリカの会社の評判を台無しにしたり、1.5トン積みのトラックを止めてしまったりと、「まさか!?」と思うような逸話が紹介されているんです。
裕福だけれど陰気なステパンおじいさんは、誰にも解読不能な言葉で罵るんですよ。罵り言葉の意味を知ると、笑っていいのか呆れればいいのか・・・。苦笑いするしかないでしょ。

いちばんの変わり者は、いとこのボーリャでしょう。メチャクチャ頭がよくてモテて運も強く金持ちになってもおかしくないのに、それらは囚われの身にならないと発揮されない。自由になると張りを失って何をしていいのかわからなくなり、突拍子もないことをしでかす。
特に男性陣はどこかしらヘンな人たちなのですが、そのヘンなところに愛嬌を感じて憎めません。
ドヴラートフの作風は必ずしも真実そのものを書くことではないので、全てを鵜呑みにするわけにはいかないのですが、現実にあったとしてもおかしくないように書かれているんです。
そんな中、母親に対する筆は愛情に満ちています。主人公の唯一の理解者は母親です。無条件で息子を信頼する母、女手一つで育ててくれた母を愛する息子。どこまでが本当でどこからが作り話なのか判然としない作風にあって、「母」の章に作者の個人的な想いがストレートに表れていました。

解説に、あるインタビューでの「人がどのように生きるべきか」自分は指図しようとは思わない、自分に興味があるのは「人がどのように生きているか」だ(p211)というトヴラートフの言葉が引かれています。これが彼の姿勢であり、彼の作品を貫く根幹となっているのでしょう。
そこに作者のイデオロギーは感じられません。だからと言ってドヴラートフが、自分の身辺にしか目が向いていないかと言うと、そうではないでしょう。

この作品は面白おかしいだけではないのです。
作者の筆が軽妙なので読み流してしまいそうになるのですが、ときにはドキリとするようなエピソードがさりげなく挿入されていて、底流には物悲しさが湛えられています。そうした物悲しさを笑いで吹き飛ばしているんです。
イサークおじいさんは無実のスパイ容疑で逮捕される。アロンおじさんはコロコロ変わる政策のために、次々と政治的崇拝者が変わってゆき、最後には自分さえ信じられなくなる。校正者の母は、一文字でもスペルが欠けると反ソ連的な表現となるため、常に刑務所行きと背中合わせ。
ドヴラートフ家の一族を通じて、ソ連に住む一般人の生活が見えてくるよう。ソ連という国・社会がどんなところなのか点景として伺えるようでした。(2002/8/25)

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへにほんブログ村 本ブログ 海外文学へ

プロフィール

H2

Author:H2
My評価について
=1ポイント
=0.5ポイント
最高5ポイント

最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
FC2カウンター
検索フォーム
リンク
QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。