スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ロザムンドおばさんの贈り物/ロザムンド・ピルチャー

ロザムンドおばさんの贈り物
ロザムンド・ピルチャー

My評価★★★★

訳:中村妙子
カバー画・カット:岩野礼子
晶文社(1993年10月)
ISBN4-7949-6141-3 【Amazon

収録作:あなたに似た人/忘れられない夜/午後のお茶/白い翼/日曜の朝/長かった一日/週末


イギリスの女流作家ロザムンド・ピルチャー(1924年生まれ)による、イギリスの田園地方(と言ってもそれほど辺鄙な場所ではなく、町という感じかな)に暮らす人々の、ささやかだけれども大切な時間を描いたハートウォーミングストーリー。
原書のThe Blue Bedroom and Other Stories(1985)と、Flowers in the Rain and Other Stories(1991)から『あなたに似た人』と『週末』をセレクトした日本オリジナル編集とのこと。

日常の中でふと感じるとまどいや、ためらい。真実の瞬間や幸福感、家族や隣人との絆。そういった出来事が、ゆるやかなに流れる時間のなかで語られています。話が出来すぎという感はしなくもないけれどあざとさがなく、寛いで読めました。
普段気ぜわしいから、ときにはゆっくり過ごしてリラックスしたい・・・そんなときに読みたい本。人々の営みはどこかゆったりとして、心の持ち方に豊かさが感じられます。イギリス田園の香り高い短篇集でした。

あなたに似た人
恋人アリステアと友だちとスキー場へ来たジーニー。でもジーニーはスキーはまったく初めて。なのに恋人に嫌われたくない一心で、みんなと一緒に頂上から滑ることになってしまった。
彼女は恐いのだけれど、アリステアは彼女の気持ちに気づかない。そのとき一人の紳士が現れて・・・。

********************

アリステアに嫌われたくないジーニー。そのために無理をしてしまう。でもアリステアはジーニーが恐がっていることに気づかないんです。
話を聞いてあげて、見守ってあげればいいのだけれど、アリステアにはそんな気配なし。アリステアのように苦もなくできる人は、同じことをできない人がいるということに、案外に気づかないもの。
安心感を持たせるために、相手の立場になって思いやればいいのだけれど・・・。
そこへ紳士登場。この紳士、なんともカッコ良すぎ。ではあるけれど、キザじゃない。だから好印象を持たれるのでしょうね。紳士の過去に触れられていて、それがタイトルになっています。

日曜の朝
8歳と6歳の娘のいる女性クローダと結婚したビル。
娘エミリーとアナは礼儀正しい。けれど、ときにエミリーはよそよそしくなり、突然子持ちとなったビルにはどう扱っていいかわからないときしばしば。
エミリーのペットが異変が起こった。クローダはまだ眠っているため、ビルはここ一発、父親らしく対処しようとする。

********************

義父となったビルは娘たち、特にエミリーにどう接していいのかわからない。かと言って無理に機嫌をとろうとはしない。軽蔑されることがわかっているから。
キッカケがあれば互いに親しくなれるのに、そのキッカケを掴めない。こういうケースは、実際に結構あるのではないでしょうか。
ときに子どもは残酷なことを平気で思いつくけれど、悪気はないのだ。エミリーもそう。そんな子どもの一面も書かれていて、作者は決して子どもを理想化しているわけでない、ということがわかるのです。
翻訳のせいか本全体にほわんとした雰囲気があるような印象を受けるのですが、作者の視線は案外に透徹。そうしたところが、この作家の魅力ではないかな。

長かった一日
ある朝、8歳の少年トビーは、ソーコムさんが亡くなったことを知る。
ソーコムさんは隣りの牧場主で、62歳だけれどもトビーの親友だった。トビーにはソーコムさんの死を、どう考えていいのかわからなかった。
ちょうどトビーの姉で、ロンドンに勤めている19歳のヴィッキーが帰省していた。
ヴィッキーは、かってはソーコムさんの孫トムと仲が良かったのだけれど、ロンドンで勤め始めてからトムに素っ気ない態度をとり、いまは疎遠になっている。
ソーコムさんの羊が産気づいた。ソーコムさん楽しみにしていた仔羊たちだった。でも危険な状態にあり、トム一人では手が足りない。

********************

幼い少年トビーが突然に遭遇した死と生。トビーには、死というものがのみこめない。周りの大人たちの話を、自分なりに消化できないでいる。そんなトビーの姿が慈しみをもって書かれています。
ヴィッキーとトムは、ヴィッキーのせいで仲違いしている。ロンドンに出たヴィッキーにとって、トムが野暮ったい田舎者に見えるのでしょうね。
トビーはトム青年と仲良しなので、ヴィッキーのせいで彼が家に来れなくなったことに腹を立てている。
子どもというものは、見ないようでいてちゃんと見ていると言います。トムとヴィッキーのこともわかっているのです。
子どもだからとお茶を濁そうとすると、それを見透かされる。納得できるように説明するのは難しい。だからトビーの祖母のように、話を聞いてあげることが大切になってくるのでしょう。(2006/9/26)

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへにほんブログ村 本ブログ 海外文学へ

スポンサーサイト

ナイチンゲールは夜に歌う/ジョン・クロウリー

ナイチンゲールは夜に歌う
ジョン・クロウリー

My評価★★★☆

訳:浅倉久志
早川書房(1996年9月)
ISBN4-15-208028-0 【Amazon
原題:NOVELTY(1989)

収録作:ナイチンゲールは夜に歌う/時の偉業/青衣/ノヴェルティ


時間と創造に関わる中篇集。部分的にSF的ですが、全体としてはファンタジーだと思います。
それぞれが独立して完結した物語なのですが、作品順に読むと相互に繋がりのあることがありました。なかでも「時の偉業」と「青衣」は読み応えはありました。ですが正直な話、この作品集は私にはよく理解できませんでした。作者の用意した理論をうまく呑み込めないんですよねえ。
また、どの作品もどことは言えないのですが、なんとはなしに中途半端に終わっているように感じられました。しかしこの作品集を読むと、他の作品を含めてクロウリーが描こうとするテーマの方向性がわかるように思います。
これらの作品が執筆された年代はわからないので、もしかすると前後しているのかもしれませんが、この作品集から名作『エンジン・サマー』へと繋がっている印象を受けました。

ナイチンゲールは夜に歌う(The Nigbtingale Sings at Night)
デイム・カインド(母なる自然)が世界を創ったときには、いまだ「時間」というものが存在していなかった。またそのときは、どんなものにも名前がなかった。
デイム・カインドは「男の子」と「女の子」を創り、男の子と女の子は見るものすべてに名前を付けていった。
そして男の子と女の子は月によって知った「時間」というものを創造したがために、デイム・カインドの世界に時が流れて死が生まれた。

********************

男の子と女の子が名付けるまで、すべてのものには名前がなかったのに、「ナイチンゲール」という固有名詞が使われて物語が進むんです。さらに、まだ名付けてもいないのに男の子がサラマンダーを捕まえる。まだないはずの名前でもって語るのはやめてほしいなあ。
デイム・カインドによって創られたものがある時点=過去、まだ創られていない時点=現在となるのですが、ここではいまだ時間がないのではなくて、時間という概念・観念がないということではないかと思います。
男の子と女の子によって初めて死がもたらされたことを、どう解釈すればいいのか。時間は存在していても創られた時点から成長しないので、死というものがなかったということかな。死によって初めて時間というものが意識されたのかな。
でもまあ、理屈抜きに、神話的な世界創造の寓話として読むのがいちばんなのかも。

時の偉業(Great Work of Time)
大英帝国に存在する秘密組織<異胞団(アザーフッド)>は微妙な歴史を改変することで、大英帝国の版図を拡げて
完全な階級制と変化のない世界を目指していた。デニス・ウィンターセットは<異胞団>の会員として選ばれ、異胞団創立に大きく関わるセシル・ローズの生死に関与する。
しかし<異胞団>が歴史をごく微弱にでも干渉したために、未来に変化が起こってしまう。

********************

タイム・パラドックスとパラレルワールドを駆使した時間改変SF。この作品集のなかでは構成がハッキリしていて、物語としてまとまっていると思います。幻想的でファンタジックな究極の未来についてもっと語ってほしかった。
しかしガスパー・ライトの発明したタイムマシンとは、いったいどんなものなのだろう?
疑問に思うのは、<異胞団>はどうやって、セシル・ローズが決心を翻したパラレル・ワールドがあることを知ったのか。そのパラレル・ワールドへ行くことができたということなのでしょうが、いくつものパラレル・ワールドのうち、どうやって目的のパラレル・ワールドを選び到達することができるんだろう?そこまで追求しちゃいけないのかな。

青衣(Fn Blue)
<革命>によって時間を静止させた歴史のない世界。「時の偉業」とは逆の世界、もしくは<異胞団>の理念を推し進めた変化のない世界というところ。
そこでは青衣の幹部団が、人民の生活を援助していた。援助であって支配ではないというが、知識は青衣の者しか扱えないらしい。
青衣のヘアーは「行動場理論」に悩まされていた。やがてヘアーは行動場理論が行動場を支配し、その逆は成り立たない、と自分は信じていた。だが、実は行動場が行動場理論を支配していることに気づく。

********************

行動場理論とは簡単に言うと、未来はすでに決定したものであり、従って過去である現在に行うことは予め決定されていたことである、ということだと思います。
時間に置き換えると、未来が今現在に影響を与えているのではなく、今現在が未来に影響を与えている。前者では現在の時点でどんな選択をしても、予め定められたことなので選択にはならない。後者では未来は不確定なので、選択肢が存在することになる。
もっとも未来を知らないのにどうして行動場理論を信じることができるのか、私には不思議なのですが・・・。あと、革命についての詳しい説明がほしかったな。

ノヴェルティ(Novelty)
現代のとあるバー「第七聖人(セブンスセイント)バー&グリル」で、作家に突然アイディアが閃いた。それは"新奇なもの(ノヴェルティ)と堅実なもの(セキュアリティ)"だった。
作家は客の女やバーテンダーとたわいのない会話をしながも、アイデアを使って小説の構想を練る。

********************

訳者があとがきで触れているのですが、作家のアイデアである新奇なものと堅実なものが、作品集全体を通じてのテーマに違いない。
「ノヴェルティ」以外は、ノヴェルティの作家が創造した作品世界と考えることもできるのでは。とすれば、この本の中で最後に配置された作品ですが、時間的にはいちばん始めに当たるわけです。つまり円環構造ということ。
この作家をジョン・クローリーその人とみなすことも可能でしょう。(2001/4/15)

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへにほんブログ村 本ブログ 海外文学へ

リトル、ビッグ/ジョン・クロウリー

リトル、ビッグ
ジョン・クロウリー

My評価★★★★★

訳:鈴木克昌
国書刊行会(1997年7月,全2巻)
I巻:ISBN4-336-03580-6 【Amazon
II巻:ISBN4-336-03581-4 【Amazon
原題:Little,Big(1981)


スモーキィはドリンクウォーター家のディリィ・アリスとの結婚するために、ドリンクウォーター家のエッジウッド邸へやって来た。一族にまつわる歴史が語られるが、影には妖精の存在があった。
ドリンクウオーター家は祖母の代から妖精との交流があり、一族にはどういう形でかはわからないが「物語」が知られており、物語のほんの一部はカードによって知ることができた。だがそれは言葉にならない物語なので、誰も口にして説明することができず、誰もが暗黙のうちに妖精の存在を示唆するのみ。

2巻では妖精の取り替え子ライラックが登場し、物語が回転し始める。スモーキィの息子オーベロンが若者らしい功名心からエッジウッドを出て、シティの旧約農場に住む。
オーベロンはそこでシルヴィーと出会う。シルヴィーは親戚からチターニアというあだ名で呼ばれることもあった。またシルヴィーの兄ブルーノも登場。

神聖ローマ帝国皇帝フレデリック・バルバロッサが800年の眠りから目覚めたことによって、人間界と妖精界の境界が揺らぎはじめ、妖精界が存続の危機に陥る。妖精界を存続させて物語を続けるために、一族はエッジウッド邸を後にする。

********************

世界幻想文学大賞を受賞作。アーシュラ・K・ルグインに、この一冊でファンタジーの再定義が必要になったと言わしめた作品なのだそうです。
エッジウッドのドリンクウォーター一族、そしてシティの旧約農場の日常が地道に構築され、ほんの少しづつ妖精の存在が暗示されます。地味な日常生活の構築によって、妖精界がどれだけドリンクウォーター家に浸透しているのか、次第に緊密さを増していきます。
1巻はテンポが遅くこれといった大事件が起こらないので読むのにとても苦労しましたが、読み進むうちにディリィ・アリスや妹のソフィーとともに、いつの間にか妖精の存在を信じている自分に気づきました。
日常生活の隙間にチラチラと暗示される妖精の姿は、ハッキリと姿を現さないだけに神秘性や幻想性を増しています。

ルイス・キャロルの『シルヴィーとブルーノ』や赤ちゃんを運ぶコウノトリなどの遊び心がにくいですね。
まさらにオーベロンとチターニアが登場。この名前がラストを暗示しています(と言えば少々見当がつくのでは)。私はラストにおいて、ジョヴァンニ・ベルリーニの絵画『神々の祝祭』の饗宴を思い浮かべました。森の中でギリシアの神々の祝祭(饗宴)を描いたもので、祝祭ではあるけれども静謐な絵なのです。

この作品は感覚ではなんとなくわかるのですが、私には巧く言葉で説明することができないし、あらすじを辿っても良さが全く伝わらないため、読んでもらうしかありません。
私としては面白いのですが、面白いと言うのは笑ったり、ワクワクドキドキ、ハラハラしたりするのではなく、作品における世界と時間の構造が独特なところ。その構造が一読しただけではわかりにくいのですが・・・。

作者は登場人物の口を借りて、何度も二つの世界と物語のあり方を説明しています。特にスモーキィによる太陽系儀の運動の仕組みによせて、二つの世界のあり方をハッキリと明示しているのです。この仕組みで考えると、二つの世界は匙加減によってどちらか一方へ傾くことになるのかな。
でも人間界と妖精界という世界が二つあるのではなく、世界は一つしかなく様相が異なるだけで、平面ではなく立体として考えるとわかりやいすかも。ある位置から見た場合と別の位置から見た場合、位置を変えるだけで同じ一つのものが全く違うものに見えたりします。そう考えるといいかと思われます。
変化は閾と閾値の関係でしょうか。スモーキィのように運動として捉えた場合、二つの世界は一瞬の運動によってバランスを取り戻す。ストーリーは運動の準備のためにほとんどを費やしているわけですよね。

登場人物たちは、自分では意識していなくても実際に運動に従事する人。そして妖精は、自分たちだけでは運動を起こせないので、それとなく人間を指揮する立場。運動によって妖精と彼らの俗する世界が、存在もしくは活性化することができる、ということでしょうか。
ここでややこしくなるのが人間と妖精の時間の流れ方の違いで、人間にとっての未来は妖精とっての過去なのです。だから未来はすでに決定していることになる。
この時間の流れ方がキーポイントで、結局のところ世界と時間のあり方はメビウスの輪ではないでしょうか。また運動前の世界と運動後の世界は位相に属するように思われます。ややこしい。

タイトルの『リトル、ビッグ』ですが、訳者はあとがきで評論家ディヴィット・プリングルの言葉を紹介しています。ですが私には相対的な大きさよりも、むしろ観念的・心理的な気持ちの持ち方を表しているように思われるんですよね。
心理的に大きく感じたり小さく感じたり、遠く感じたり近く感じる、それが妖精界であり人間界ではないでしょうか。しかしその世界もまた、大いなる世界の部分でしかないのです。(2001/4/23)

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへにほんブログ村 本ブログ 海外文学へ

プロフィール

H2

Author:H2
My評価について
=1ポイント
=0.5ポイント
最高5ポイント

最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
FC2カウンター
検索フォーム
リンク
QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。