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チュニジアの夜/ニール・ジョーダン

チュニジアの夜
ニール・ジョーダン

My評価★★★★

訳:西村真裕美
国書刊行会(1994年10月)
ISBN4-336-03588-1 【Amazon
原題:Night in Tunisia(1976)

収録作:最後の晩餐式/誘惑/砂/ソロモン氏の涙/チュニジアの夜/皮/彼女の魂/外来患者/樹/愛


誘惑(Seduction)
去年と同じ浜辺のゲストハウスで再会したぼくとジェイミー。
ジェイミーはどこか苛立ちを隠せないで荒々しい。ジェイミーは自分が相手より大人になったのだと思わせたい、自分は性について経験済みだと自慢したい。でも、ぼくはそれが嘘だとわかっている。
二人はフィッシュ・アンド・チップスの店で働く年上の女性についてウワサする。しかし年上の女性に声をかける勇気がない。
ジェイミーは、シスターたちは映画館で何かを期待しながら座っているのだと言う。ぼくたちは、彼女たちが映画館から出て来て、浜辺を通るのを待ち伏せしようとする。

ソロモン氏の涙(Mr Solomon Wept)
保養地を転々として、バカンス客相手のゲーム場を営むソロモン氏。一年前の競馬の開催日に、彼の女房が出て行った。以来ソロモン氏は移動するのをやめて、海岸の町(村?)に居続ける。
今年もまた競馬レースの日が近づいてきた。ソロモン氏は酒に溺れ、酒場から放り出され、息子に憎悪される。彼はふらふらと千鳥足で人混みを彷徨う。その向こうに、自分がほしくてたまらなったもの、なくしてはならないものがあるのだと思いながら。

チュニジアの夜(Night in Tunisia)
バンドマンの父親に付いて、夏の二カ月間を緑のトタン屋根の家を借りて住む姉弟。
少年はピアノが巧いのだが、まじめに弾く気がなかった。父親はアルトサックスを教えようとするが、少年には興味がなかった。それよりも同い年の仲間と過ごしていた。
仲間といっても信用していないが、みんなお互いに信用してないことを知っている。
仲間たちは卑猥な話をする。また、いつも黄色いカーディガンを着ている年上の少女リタのウワサをしていたが、それが少年には苛正しい。
ある日、少年はラジオから流れたチャーリー・パーカーの『チュニジアの夜』を聴く。少年にとってその音は、ある場所、精神のある状態をめざしているようだった。

愛(A Love)
大統領の葬儀の日、ブランバンドが鳴り響くダブリンで再会した青年ニールと年上の女性。青年がかつて15歳の少年だったころ、彼女は39歳の独身で、ゲストハウスの管理人をしていた。
少年のやもめの父親は、彼女を食事やダンスに誘ったりしていたが、少年と女性は肉体関係があった。だが二人の関係は、少年の独占欲によって破局を迎える。
そしていま青年は、女性が願う「最上のときがすぎた人たちのたろのところ」へとドライブする。海辺の町へ、温泉の町へと向けて。
青年は思う。かつて過ごした彼女との日々。いまではわかる、あれは愛だったに違いない、と。

********************

アイルランド出身のニール・ジョーダン(1950年生れ)による通低音がjazzyな短編集。ショーン・オフェイロンによる序文有り。
ジョーダンは25歳時に発表した本作によって作家デビュー。後に映画監督・脚本家となる。映画は『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』あたりが有名かと。

4編のあらすじを紹介しましたが、作品の持つ雰囲気と文体を伝えられないことをお断りしておきます。
作者はアイルランド出身で、作中の舞台もアイルランドですが、固有の民族性や地域性はほとんどなかったように思います。あったとしても重要な意味をなさないので、舞台がイギリスであってもアメリカであってもおかしくないのでは。
このことは、私には作者が意図したことではないかと思われるのです。欧米や日本であろうと、思春期の少年の揺らめく心情は変わらない、ということではないかと受け止めています。

どれも性への憧れと苛立ち、そして自分を取り巻く世界との孤独感や絶対的な孤立。その孤独からの解放を、感情過多になることなく抑制された文体で書いていると思います。
繊細だけれどもクール。醒めてはいるけれど、冷たくはない。やや硬質なようですが、硬いだけではなく弾力性も感じられました。そして鋭利。ヒリリとした心の痛みを、クールに書いていると思います。とても豊かな感受性の持ち主ですね。
25歳という年齢としては完成度が高い。25歳でこれだけのものを書けるとは。その年齢でしか書けない作品集ではないでしょうか。彼と同じぐらいの年齢時に読むことができら、感じるところが大きかったろうな。(2002/10/24)

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ヒヤシンス・ブルーの少女/スーザン・ヴリーランド

ヒヤシンス・ブルーの少女
スーザン・ヴリーランド

My評価★★★★★

訳:長野きよみ
早川書房(2002年6月)
ISBN4-15-208422-7 【Amazon
原題:Girl In Hyacinth Blue(1999)

目次:十分に愛しなさい/すべての夜と違う夜/警句/ヒヤシンスの青/朝の輝き/アドリアーン・クイペルズの手記から/静かな生活/マフダレーナが見ている


フェルメールが描いた窓辺に佇む少女の絵画と、その絵にまつわる人々の人生をめぐる連作形式の長篇。
物語は現代のアメリカから始まり、第二次大戦中のアムステルダム、19世紀オランダ、1700年代のオランダの村、そして絵が描かれた発端へと時代を遡ってゆく。

『十分に愛しなさい』では、現代のアメリカに住む数学教師コルネリアス・エンゲルブレヒトが、同僚の美術教師リチャードに見せた絵が発端となる。
リチャードはその絵が仮にフェルメールの絵だとしても、なぜコルネリアスが所持しているのか、書類のない絵の出所を問い質す。
絵はコルネリアスの父親のものだった。ドイツ人の父親は、1942年にアムステルダムで絵を入手したのだった。

そして時代は第二次大戦中のアムステルダムに住む、ユダヤ人一家の物語『すべての夜と違う夜』へ。
居間に飾られている絵の少女を、少女ハナは自分自身と重ね合わせていた。ハナはナチスドイツによる緊迫の高まり不穏な空気をひしひしと肌で感じとっていた。
19世紀末のオランダに舞台を移した『警句』では、娘の結婚式の祝いに絵を贈ろうとする妻と、なぜか反対する夫。ふとしたことから生じた夫婦の溝とその回復の物語。
『ヒヤシンスの青』は、愛のない結婚をしてオランダに住む、フランス上流階級の女性の物語。

1717年、オランダは大洪水に見舞われた。サススキアは、舟のなかに置き去りにされた赤ちゃんと絵をみつけた。書類の裏には、絵を赤ちゃんの養育費に充てるようにと走り書きされていた。彼女は赤ちゃんを育てようと決心する。
だが洪水のために農地を耕せず、一家は逼迫しつつあった。夫は絵を売却するようにと言うが、彼女は「朝の輝き」と名付けた絵を手放したくなかった。そのため、彼女はついに大事な種芋に手をつけてしまう。

『アドリアーン・クイペルズの手記から』では、赤ちゃんと絵がどこから来たのかが語られる。
アドリアーンは大学で学んだ理論を実地に生かそうと、伯母の住む村へやって来た。そこで魔女とウワサされる少女アレッタと出会う。

絵を描くことへの欲求と、家族を養うことの両立に悩むフェルメール。だが、絵は描こうと思って描けるものではない。モチーフはインスピレーションと深い瞑想からしか得られないからだ。その彼が少女の絵を描き始める。フェルメールはモデルの少女の内に、自らが求める天国『静かな生活』を視る。
『マフダレーナが見ている』はフェルメール亡き後、モデルとなった二女マフダレーナの物語。

********************

タイトルがいいですね。「ヒヤシンス・ブルー」という、涼やかな香気と清冽さ、開花した花が持つ生命の輝きのイメージを含んだ語感は、この作品にピッタリ。
香しくて清冽な情感と知的さを湛えており、それらがちっとも押し付けがましくなく、控えめな美しさと輝きを放つ作品。その輝きはフェルメールの絵を彷彿とさせます。
しかし最終章のラストに顕著なのですが、その美しさも恒久的なものではないんですね。だからこそ美しく稀少で、せつないほどの悦びに満ちている・・・。それは生の悦びのよう。
問題の絵は作中でいろいろな名前で呼ばれるのですが、作者による架空の絵なので実在しません。でも話が進行するごとに、絵をまざまざとイメージでき、本当に実在する絵を活写したかのような印象を受けました。

各篇とも時代が異なり、作者は各時代に生きる人々の感受性を書き分けています。これはすごいことではないでしょうか。相当の筆力がなければできないですよね。凡庸な作家なら上下巻など長い物語にしそうなところを、一冊にまとめて、しかも様々な物語性を内包していると思います。
時代の描写は最小限に抑えられているのですが、それでも各時代の雰囲気が伝わってきました。人物造型や時代描写、エピソードが章ごとに異なり、短篇小説としても楽しめるんです。また、一つの絵の真偽をめぐるミステリー的な物語としても楽しめます。

「訳者あとがき」で、ニューヨーク・タイムズの書評が部分的に紹介されています。さすがニューヨーク・タイムズなだけあって、実に的確で簡潔。もはや何も言うことはありません。でも、蛇足ながら私的感想を書くことにします。
絵は様々な時代に生きる階級・境遇の人物の手を経ます。所有者たちがなぜ絵を手放したのか、絵に何を視ていたのかが、それぞれの現状を通じて語られます。このことは、観る者へ影響を及ぼす絵画というものの本質を突いていると思うのです。
どの物語では、個々人は絵に求める理想世界と、現実生活との何らかのギャップを認識していると思うのです。そのギャップを越え、自分の人生を見つめなおす。そして自分の本心に沿うよう努める。
しかし必ずしも悦びばかりや、状況がいい方向へ変わるとは限らず、ときには葛藤や苦痛を伴う選択を迫られる。それでも絵を手にする前と後では、人々に何らかの変化が起こったことがわかるようになっているのです。
「美」というものが私たちの生活に必要なのはなぜか、何をもたらすのか。そのことを作者なりに提示した作品ともいえるのではないでしょうか。(2002/12/28)

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クリスマスツリー/ジュリー・サラモン

クリスマスツリー
ジュリー・サラモン

My評価★★★★

訳:中野恵津子
カバー画・挿画:ジル・ウェーバー
新潮文庫(2000年12月)
ISBN4-10-212311-3 【Amazon
原題:The Christmas Tree(1996)


ロックフェラー・センターのクリスマスツリーとなる木を探していたジェシー・キングは、ニュージャージー州の修道院で目的の木をみつけました。
その修道院にはシスター・アンソニーという修道女がいて、木を「トゥリー」と名づけて、とても大切にしていました。
シスター・アンソニーとトゥリーは幼なじみで、彼女にとってトゥリーは、歓びや悲しみをともに過ごしてきた大切な友だちだったのです。
シスター・アンソニーはトゥリーの下で、集まった子どもたちにお話をします。いつしかジェシーは、トゥリーを切ってクリスマスツリーにすることをあきらめて、シスター・アンソニーのお話に聞きいります。
彼女の父が亡くなって孤児院へ行ったこと。記憶の底に眠る父の言葉。たったひとつの形見のカバン。孤児院でのこと、修道院に引き取られたこと。そしてトゥリーとの出会い・・・。

彼女が修道院に引き取られたときには、同じぐらいの背丈だったトゥリーが、いまでは堂々とした大木になりました。トゥリーは「ドイツトウヒ」という種類で、他の種類にくらべて成長が速いのです。しかし、それだけ衰えるのも速かったのです・・・。

********************

単行本「クリスマスの木」を改題して文庫化。児童文学という範疇ではなく、年齢を問わずにしっとりと読ませてくれる物語。クリスマス前に読んでほしい本です。
子どもより、むしろ大人向けの作品だと思います。子どもには、他人や大人にはガラクタにしか見えないものでも、大切な宝物があります。その宝物は親友だけに見せたい、とっておきの秘密なのです。そんな宝物を持っていませんでしたか?でも大人になるにつれ、いつしか宝物はどこかへ消えて行ってしまいませんでしたか?
子どものころのシスター・アンソニーも、そういった宝物を持っていました。いえ、かなり歳をとっていても彼女はいつまでも大切に持ち続けています。それはとても美しいものです。

見た目だけではなく、本質的に美しいものとはなにか?
美しいものは心の琴線に触れ、輝きと憧憬に包まれているように思われます。それが希望をもたせてくれ、明日や未来)への扉を開くための活力源のひとつとなるのでは。世界と己を信じ活力源を維持するために、美しいものがあるのではないでしょうか。
抽象的で漠然としていますが、シスター・アンソニーの語る部分を読んで、そんなことを考えました。
訳者あとがきによると、著者の母親はアウシュヴィッツの生存者だったそうです。そうしたことを考えあわせると、この作品に込められたメッセージが意外に深いものだと思われます。(2000/12/23)

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