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はるかぜのたいこ/安房直子

はるかぜのたいこ
安房直子

My評価★★★

カバー画・挿画:葉祥明
金の星社(1980年11月)
ISBN4-323-00242-4 【Amazon


秋の終わりの野原を通って、寒がりのうさぎが、「くまの楽器店」にやってきました。うさぎはセーターの上着にオーバーを着込み、厚い靴下にブーツを履き、手袋にマフラー、そしてマスクまでしていまるんです。とっても寒がり屋なんですね。
そんなうさぎが「くまの楽器店」へやってきたわけは、何か暖かくなる方法はないかと思ったから。
くまがすすめてくれたのは、たいこでした。くまに言われたとおり、たいこを叩いて目をつむってみると・・・。おや、不思議な景色が!?そしてもう一回叩いて、そっと目をつむってみると・・・。

********************

パステルカラーが愛らしい幼年向け絵本です。
野原にもうすぐ寒い冬がやってきます。寒がりのうさぎは大変!でも、たいこを叩いて目をつむると、重くなっていた気分が明るく晴れやかに。このたいこがあれば、冬なんてへっちゃら!気持ちも足取りも軽やかになりそう。

春を待ちわびる気持ち、春の空気を全身で感じるような感覚が伝わってきます。あたたかな陽射し、輝く空、頬をそよぐ緑風、菜の花の緑と黄色・・・。見開き画面いっぱいに春の野原!
葉祥明さんのやわらかで開放感のある絵が、冬の間に固まってしまった身も心もほぐしてくれるようでした。(2007/5/5)

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うぐいす/安房直子

うぐいす
安房直子

My評価★★★★

カバー画・挿絵:南塚直子
小峰書店(1995年10月)
ISBN4-338-10507-0 【Amazon


森の中に小さくて古い病院がありました。病院には年とったお医者さんと、奥さんが看護婦をしていました。
奥さんが働き疲れで病人のようになってしまったので、お医者さんは見習い看護婦さんを募集しましたが、なかなか人が来ません。
ある春の月夜、小柄な若い娘が看護婦さんになりたいとやって来ました。娘は一生懸命働きました。娘が歌をうたうと、病院へ来る人たちも一緒にうたい、病院が明るくなりました。
ところがある日、娘は歌をうたわなくなったのです。どうしたのかと奥さんが心配していると、娘は柏の木の中で誰かが呼んでいると言います。その声を聞くと娘は、胸がふるえてせつなくなるというのです・・・。

********************

春の宵、若葉に包まれた病院に、湖の方から流れてくる野ばらの香りとともに現われた娘。子どものいない夫婦にとって、自分の娘ができたような感じです。
夫婦は娘が来てから楽しく毎日を過ごしますが、やがて娘の様子がおかしくなり、その理由が明らかに・・・。そして翌年の春には。

春の息吹と生命の歓びに満ちた、とても春らしい童話でした。春は繰り返しやってくる、生命(いのち)は連綿と続くのだと言っているかのよう。温もりがあって親しみやすい一方、しっかり芯の通った童話という感じがしました。
南塚直子さんの挿絵は水彩とクレヨンを用いているのか、明るい色彩でやわらかな印象。この物語に華を添えているように思います。(2003/4/6)

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パリの憂愁/ボードレール

パリの憂愁
ボードレール(シャルル・ボードレール)

My評価★★★★

訳・解説的ノート:福永武彦
岩波文庫(1966年改訳・2008年改版)
ISBN978-4-00-325372-8 【Amazon
原題:LE SPLEEN DE PARIS(1869年)


パリの憂愁パリの詩人、批評家シャルル・ピエール・ボードレール(1821-1867)の小散文詩集。最晩年まで書き継がれたが、刊行されたのは没後の1869年。

詩の可能性を模索したボードレールが新たに築いた「散文詩」というジャンルは、フランス散文詩の出発点となったそうです。ランボーやマラルメ、ヴェルレーヌなどに決定的な影響を与えたとのこと。
パリの風物をうたった50篇からなり、なかには幻想的なコントのようなものも。とはいえ全体としてやはり「詩」なのだと思いました。読後感は「詩」としか言いようがないのです。

以前、三好達治訳の『巴里の憂鬱』(新潮文庫)【Amazon】を読んだことがあるのですが、どうにもピンとこなかったんです。パリという雰囲気がしなかったし、コスモポリタン的な視線が感じられなかった。そこで今回、福永訳で再挑戦してみたんです。
三好訳を読んだのは何年も前のことなのでうろ覚えだけれど、三好訳と福永訳はまったく別物のような気が。訳者が変われば印象が異なるとはいえ、相当異なるように思います。

ボードレールは老婆や老いた香具師、娼婦、貧乏人たちに心を寄せ、彼らを詩にうたっています。こう書くとボードレールは聖人のような心優しき詩人と思われるでしょう。確かに心優しいところはあるのですが、決して聖人君子ではない。その視線はシニカルで、感情の発露もストレートではない。
おそらく本人は意識していないんじゃないかと思うのですが、ちらほらと傲慢さがうかがえ、ときには上から目線だったりするんですよ。
まわりくどい理屈っぼさもあり、今でいうウザさが感じられるんです。周囲に人気がなかったそうですが、わかる気がしますね。現実にこういう人いるなぁ。

訳の問題もあるでしょうが、私には福永氏のボードレール像はしっくりきました。当時の文人たちが書き残したボードレールの姿に、ピッタリとハマるんですよ。やや複雑な性格のボードレール像は、都会パリを浮遊するコスモポリタンとして納得できるものでした。
ボードレールの人物像をどう捉えるかによって、詩の感触が変わってくるのではないでしょうか。訳も変わるでしょうね。福永訳を読んで気づいたのですが、三好訳は性善説に基づいていて、ボードレールを理想化していたのではないのかなぁ。
福永訳では生身のボードレールが感じられました。とても人間くさいボードレール像に寄り添って読み進むと、詩の中の人々、香具師や娼婦たちが現実的に感じられるような気がしなくもない。

で、肝心の詩はどうなのかって?
そう訊かれると「どうなんでしょうねえ・・・」としか応えようがないです。「福永訳と三好訳を読んでそれかよっ」て感じですが・・・。たぶん私にはボードレールは合わないんだろうなあ。詩そのものよりも、ボードレールその人を知るためには福永訳はよかったです。
そうそう、邦題は「憂鬱」より「憂愁」のほうが内容に合ってますね。(2013/4/22)

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