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風景画論/ケネス・クラーク

風景画論
ケネス・クラーク

My評価★★★★★

訳;佐々木英也
ちくま学芸文庫(2007年1月)
ISBN978-4-480-09037-9 【Amazon
原題:Landscape into Art(1949);new ed.(1976)

目次:序/改訂版序/第一章 象徴としての風景/第二章 事実の風景/第三章 幻想の風景/第四章 理想の風景/第五章 あるがままの自然の把握/第六章 北方の光/第七章 秩序への復帰/エピローグ/文庫版訳者あとがき/索引/図版一覧


プロフィールによるとケネス・クラーク(1903-1983,イギリス)は、ウィンチェスター大学、オックスフォード大学で学び、フィレンツェにてイタリア美術史の大家バーナード・ベレンソン(1865-1959)に師事。30歳にしてロンドンのナショナルのギャラリー館長に就任。オックスフォード大学教授、英国美術協議会会長、大博物館理事、ロンドン図書館長などを歴任。1969年、貴族に叙せられるといった華々しい経歴の持ち主。
本書は、氏によるオックスフォード大学での冬季講義に基づいたものなのだそうだ。巻末の図版一覧に、作品を収蔵している施設名も記載されている。

内容は、原題の「Landscape into~」というところがポイント。極論すれば「西欧の風景画の表現には、どんな意味がこめられているか」「人間は自然に何を観てきたのか」ということではないかと思う。それと、構図や遠近法の変化と発展。風景画に表現される人間の精神史といったところ。
風景をどのように観るか、描くのか。それは時代時代の社会状況と関わりがあるということがわかる。

本書に登場する絵画はベノッツィオ・ゴッツォリ『三賢王の旅』、ヤン・ファン・エイク兄弟、デューラー、ポライウォーロ、ベリーニ、ヒエロニムス・ボス(かなり時代に先んじていたんだなあ)、ブリューゲル、カナレット、アルトドルファー、パオロ・ヴェネローゼ、エル・グレコ、ルーベンス、ティツァーノ、ジョルジョーネ、クロード・ロラン(確かに独特で独自の様式だと思う)、ニコラ・プッサン、コンスタンブル、ルソー、コロー、クールベ(著者による評価に、なるほどと納得)、ドービニー(この画家は初めて知った)、モネ、ターナー、ゴッホ、スーラ、セザンヌ他。
そしてフランドル派やネーデルラント派、印象派などの技法や派生、マニエリストによる風景画など。絵画と連動して、文学もたくさん語られている。著者が断っているように、イギリス人の見方によって論じられている。

情報量が多いので、もしかすると誤解・曲解しているかもしれないことをお断りしておく。
ヘレニスティック・フレスコから始まり、ユトレヒト詩篇挿絵、カンタベリー詩篇挿絵やポンペイなどの壁画・モザイク画に見られる象徴(シンボル)としての風景。
これらの装飾的な風景は模様(パターン)となり、神の世界の反映であるという。こうした風景表現はやがて、有名な『貴婦人と一角獣』などのタペストリーに表れる。その観念は「閉ざされし庭(ホルトゥス・コンクルスス)」という主題となって表現されるのだという。
また、タペストリーから象徴の風景画の伝統が生まれたのだとか。タペストリーに見られるアラベスク風文様もだけれど、パラダイスの庭にはイスラムの影響が感じられ、イスラムの内庭と同じような観念に基づいていると思う。
ピザンチン風の幻想的な岩山風景は、ゴシック風景画へ影響を与えたが、その起源はヘレニズムの絵画まで遡ることができ、山や岩を象徴的に描いたものだという。なるほど、象徴なのか。
自然に対する人間の考え方や接し方は変化していき、15世紀になると、ランブール兄弟による『ベリー公の豪華時祷書』に描かれている田園詩といもえる情景となっていった。
パラダイスの庭からアルカディア、田園詩への変化といった人間の精神史の変化があり、それが風景画に表れているわけだ。象徴としての風景画から、やがて光の表現による風景画が現れる。光は神であり、神の愛である。そうした思想が絵画に光として表現される。
ヴェルギリウス(私は未読なのでなんとも言えないが)的風景とワーズワース的風景、風景画におけるサテュロスの役割りなど興味深い。
ふと思ったのは、ダ・ヴィンチの『受胎告知』に見られる風景画の流れ。どういう流れによって描かれているのか、ということがわかった。

人間の空間感覚は拡大し、視覚経験による風景画へと変化してゆく。光は愛の行為ではなくなり、運動や詐術(トリック)と化していく。夜の森の風景や、ねじくれた木々の繁る森の風景が現れるが、それはなぜか?
また、ある時点から絵画に火が現れて流行するのだが、それを著者が「火遊び」と言っているのには笑った。この他にも、いかにもイギリス人らしい辛口のユーモアが冴えている。いかなる場でも捻ったユーモアを忘れない、というところがイギリス人らしく感じた。
ゴーガン(ゴーギャン)による象徴の風景画の再創造や、ルソー本人は最先端と思っているジャングルの『陽気な道化たち』は、著者によればその絵画観は400年以前の手法だという。こうして読んでみると、確かに中世的だと思う。印象主義の派生と限界も興味深かった。
ちょっと気になったのは、中世と近世とでは著者の筆の滑り具合が異なり、中世絵画においてはいかにも学者らしく沈着な文章なのだが、近代絵画になると主観的になってしまっているように感じられた。

現代ではもはや中世や近世、印象派のような風景画が描かれることはないだろう。そこに込められる観念が現代と異なり、現代人の感性にフィットしないからだと思う。科学の発展、居住空間の拡大、また人間の自我の拡大などによって人間の精神が変わってきたわけで、それが風景の見方・接し方を変えたのだと思う。
著者は、風景画存続のためには感傷的虚偽(パセフィック・ファラシー)の拡張と、情感の中心的表現として風景を用いることが望ましいという。パセフィック・ファラシーは、日本人は得意ではないかな。
この本で語られる風景画観は、絵画と文学が密接な関係にあるように、文学にも適用されると思う。文学から生じた絵画があるから当然かもしれないけれど、文学における自然観の解釈にも役立つのではないかなあ。

注意したいのは飛ばし読みや拾い読み、斜め読みをせず、始めから順に読んでいくこと。そうでないと著者の言わんとするところが理解できなくなる。また、近代絵画は当然だが、ある程度は中世の絵画を観たことがないと、内容についていくのが困難かもしれない。
図版は豊富なのだが文庫なので小さいし、モノクロなのでよくわからないのだ。文庫だからこそ入手しやすくていいのだが、やはり大判のカラーで読みたかった。
正直に言って読んでいる間は「なるほど」と納得できるのだが、本書を読んだからといって、では実際に絵を目前にして、その風景画観を見分けたり理解できるかとなると、私は困難だと思う。研究者などの経験を積んだ目でなければ、風景画観を見分けるのは無理だと思うのだ。私には無理。でも知識としては面白かった。西欧の絵画(特に中世画)を好きならば、読んで損はないと思う。私は刺激的で面白かったし、近代絵画において顕著になる皮肉たっぷりの文体も好きだな。
誰とは言わないけど、日本の教授もこのぐらいわかりやすく面白い文章を書いてくれればいいのに。(2007/4/2)

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