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名画とは何か/ケネス・クラーク

名画とは何か
ケネス・クラーク

My評価★★★☆

訳:富士川義之
白水社(1985年9月)
ISBN4-560-03931-3 【Amazon

収録作:名画とは何か/付録 若きミケランジェロ


名画とは何か(What is a Masterpiece? 1979)
白状すると、言いたいことはわかるのだけれど、なかなか飲み込めないでいる。私の読解力の問題なのだろう・・・。図版は載っているけれど、やはり実物を観ていないと・・・。

サー・クラークは序文の冒頭で、執筆の意図を手厳しく述べている。
十五年ほど前に、あの偉大な出版人ウォルター・ノイラートが、「名画とは何か」という表題で本を書くようにとわたしにすすめてくれた。
わたしは感激して引き受けたが、その理由は、芸術の価値評価など主観的なものにすぎぬという考え方を、再度、とことんまでやっつけることができると考えたからだ。
名画という言葉は単に気まぐれや流行に由来する個人的意見の表明にすぎないなどといつも主張する人がかつていたし、たぶんいまもいるだろう。
こういう信念は、人間の偉大さという土台のすべてを侵食してしまうことのように思われる。(p5)


個人的な好き嫌いはあるとしても、名画は主観で判断されるものではないということだ。私も主観だけで判断すべきではないとは思う。けれども美術史家ならともかく、素人が絵を観て自分の感じたことを論理的に言語化するのは困難。主観で判断しているわけではなくても、結果的に主観的な発言しかできない、ということがあるのではないのか。
でもね、主観で判断するのはまだいい方。少なくとも絵に相対し、自分自身で判断しているから。最悪なのは、それが歴史的・世界的に有名な画家の絵だからという理由だけで、なんの感興もなく「これが名画だ」と判断してしまう人。美術展へ行くと、こうした付加的価値でしか判断しない人を結構見かける。

結論として、名画という言葉のまわりには数多くの意味が群がっているが、それは何はともあれ、その個人的経験を普遍的なものにするような具合に、時代精神に同化した天才芸術家の作品なのである。(p54)などと述べている。抜書きすると語弊が生じるのだが、ポイントは、「名画という言葉の周りに群がっている数多くの意味」だろう。名画は形式の連鎖や、時代的連鎖、時代の言語などから生まれるという。
どういう意味なのかは読んでもらうしかないのだが、私なりに説明すると、例えばヨーロッパ絵画はキリスト教を主題に発展してきた。主題も形式も時代によって変化している。そして現代では、キリスト教を主題とした受胎告知やキリストの磔刑といった絵画は、非常に描かれにくい。それは人々の宗教に対する意識が変化したことによる。
また、絵を観ることのない人にいきなりジョットの絵を見せても、現代人の感覚では、何が素晴らしいのか理解するのは難しいんじゃないかと思う。ジョットの絵を理解するには、ジョット以前の中世の絵画がどういうものであったのかを知っていないと、理解しにくいんじゃないかと思うのだ。
ただし、時代の連鎖や形式などを知らなくても、万人の心を揺さぶる名画としか言いようのない絵がある。理屈を越えたところで語りかけてくる絵、そうした絵が存在しているから、「名画とは何か」ということを理論化しにくく、主観的判断と言われるのではないのかな。とはいえ、そのような絵も、形式と時代の連鎖(シークエンス)と無縁ではないということだ。

若きミケランジェロ(The Young Michelangelo.1964)
こちらの方が面白かった。ミケランジェロは、その偉大さが真面目に問われたことが一度もない、詩人、画家、そして音楽家たちからなる、あの少数の一団に属している。(p57)という書き出しで始まる。
サー・クラークも似たようなことを書いているのだが、ミケランジェロの作品は「偉大」という言葉で括られてしまい、作品よりも本人の個性を側面的に語られることが多いように思われてならない。同様のことは、私はゴッホについても言えると思う。これでは作品を正当に評価していると言えるのだろうか、という疑問がある。
著者は彫刻と絵画を挙げ、ミケランジェロの作品に込められた精神とスタイル、その哲学の有り様について語る。また、時の法王ユリウス二世とミケランジェロの関係、つまりパトロンと芸術家の上下関係に関するエピソードがあり、これが面白かった。ミケランジェロほどでもパトロン、それが法王であれば尚更従わざるを得なかったという。

ミケランジェロの何が凄いと言うと、作品そのものが哲学的精神を有している(ようにしか思えない)ことではないかと思う。例えばダヴィデを前にすると、この彫刻が内包し放射している精神に圧倒される。しかし著者は、この彫刻にはある種の調和の欠如があり、多くの点で不完全だと言う。その上で、ミケランジェロが英雄性を最初に主張した傑作と評している。
そのミケランジェロも古代の様式とは無縁ではなく、そうしたものを取り入れて、新たに独自なスタイルを創り上げたのだそうだ。
肉体が滅びるのは必定である。こうしてミケランジェロはますます死に取り憑かれていくようになる。
魂は審判を受けねばならぬ。しかも彼は罪の意識にいっそう縛られていった。だが彼の想像力のうちでは、肉体と魂は分離不能であり、それら同士の闘いのなかで必然的に統一されるのだ。(p84)
このことはミケランジェロ作品の特質を、端的に示しているのではないかと思う。(2007/9/7)

2015年8月、ちくま学芸文庫化【Amazon

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