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石さまざま/アーダルベルト・シュティフター

[シュティフター・コレクション1,2]石さまざま
アーダルベルト・シュティフター

My評価★★★★★

松籟社(2006年5月,上下巻)
上巻:ISBN4-87984-243-5 【Amazon
下巻:ISBN4-87984-244-3 【Amazon
原題:Bunte Steine(1853)

収録作:
上巻:序文/はじめに/花崗岩/石灰石/電気石/解説・松岡幸司
下巻:水晶/白雲母/石乳/解説・林昭


初めての全訳版。これまで現行本では岩波文庫の手塚富雄・藤村宏訳『水晶 他三篇』しかなかった。岩波文庫版の収録作は「水晶」「みかげ石(花崗岩)」「石灰石」「石乳」「『石さまざま』の序」。絶版だけど、山室静訳の『ジプシーの少女』(白雲母)も読んだ。
でも、『石さまざま』の全篇を一度にまとめて読むことができなかったので、今回の松籟社版はとてもうれしい!これでやっと全篇を読むことができた。

二分冊の本書はシュティフター・コレクション1・2と銘打たれているのだが、このことから察せられるように、松籟社には今後もシュティフターの本を出したいという気持ちがあるらしい。『習作集』が絶版状態なので、それらをコレクションに入れて欲しい。

本書だけではなく、後のシュティフター作品を理解するためには、序文(青木三陽訳)は欠かせない。シュティフターの理念であり宣言であると言えると思う。
以後のシュティフター作品はここに収束されるだろう。また、はじめに(松岡幸司訳)では、子どものころからのシュティフターの鉱石収集が語られている。
「電気石」(Turmalin)以外は再読(ただし「水晶」を読むのは3訳者め)になる。すでにストーリーはわかってるので、急がずジックリ読むことができた。

初読のときはストーリーに気を取られ、急いて読んでしまったようだ。この本は、やはりゆっくりと読むに限る。幾度か再読すると、作者の目差すところがよりよくわかるように思われる。
こう言うと語弊はあるが、シュティフター作品の読みどころはストーリー性ではなく、その倫理性にあると思う。こうした倫理性と論理性は、昨今の日本の作家には見受けられないように思われるのだが、どうだろう。
美しいボヘミアの地。人々は与えられた自然の中で、自然とともに共存する。人間も自然の一部なのだ。極端に暴力性が排され、礼節を重んじる人々、また困っている者には救いの手を差し伸べる人々が登場する。清々しく浄らかな世界。読んでいて、浄化されたかのような穏やかな気分に浸れることができた。その分、作中世界にトリップしてしまい、現実へ浮上するのが難しかったけれど。

そんな世界においても、老いや死を切り離すことはできない。ペストや老齢、雪山での遭難、火災、戦争など、どの短篇にも常に死の影がある。だが、登場人物が死を恐れているかというと、そうではないだろう。闇雲に恐れることは人を愚かにさせる。逆に、全く恐れを知らずにいるのも同様だが。
「恐れ」や「嫉み」、そんな感情に振り回されないことが肝心なのだが、それにはどうすればいいのだろう。作者はどう思っているのだろう。その点が私にはまだ掴みきれないでいる。

花崗岩(林昭訳)
叱られた孫を連れ出して、他の村へ行く途中の山々で、土地にまつわる様々な話をして聞かせる祖父。
世の中が変わり、ペスト柱がなくなり、墓地は雑草に覆われ、ペストの脅威が人々の記憶から消えてしまった。ペストで生き残った子どもたちの話も、いずれは忘れられるだろう。それを敢えて祖父は孫に伝える。

人は悲しかったり辛い出来事は忘れたがるし、他の人に話すのに躊躇する。それは当然の反応だと思うけれども、いざ後代が同じ状況に陥ったとき、どう対処していいのかわからなくなってしまうと思う。
過去の異変のデータがないため、何が起こっているのか理解し予測することができなくなるのではなかろうか。過去の出来事を語り継ぐことは、とても大切なことだと思う。

石灰石(高木久雄訳)
初読ではあまりにも奇麗事すぎて馴染めなかったのだが、再読して好きになった。
前に読んでから5年も経っているから、その間に自分が変わったのだろうか。それもないとは言えないだろうけれど、あんまりそう思えないなあ。たぶんジックリと再読したから、咀嚼することができたのだろう。

司祭は善人だけれど、決して頭脳明晰ではない。むしろ純粋なゆえに不器用で、ある種の愚かしさがある。彼は危険ということを知らない子どもたちを、身を挺して守ろうとする。
彼は、かつての恋人と兄の想い出のよすがとなるリンネルへの執着を捨てきれない。あらゆる意味で一途で純粋だと思う。
リンネルとバイブルを除けば、彼は清貧と献身以外の何物も持っていない。その姿はまるで清貧な聖者のよう。理想化された人間像ではあるが、死して後に次の世代へ繋げてゆく事、周囲の人々に伝える事柄があるということが、その人の生きた証となるのではないだろうか。

電気石(田口義弘訳)
ウイーンで何不自由なく暮らしている年金生活者の男。年下の妻は、夫の親友ともいうべき俳優の男と浮気をした。彼女は赤ん坊を残してどこかへ姿を消した。
夫は赤ん坊を連れ、ウイーンから姿を消す。長い歳月が流れ、とある夫人が古ぼけたペロン邸の門番の老人とその娘に出会う。少女は頭部が肥大化しており、知能の発達が遅れていた。

本書の中では気色の異なる作品。下巻の解説によると、この作品は全くの創作ではなく、ある夫人の手記が下敷きになっているという。年金生活者の男とその娘への教育、妻の破滅的な姿が暗い影を落としている。けれども結末にはシュティフターらしい救いがあった。

水晶(田口義弘訳)
何度読んでも名作だと思う。これは幼い兄妹が主役だが、その靴屋の父母と、義理の祖父母たちの物語。
子どもたちの遭難事件によって、母のザンナは土地の女として受け入れられる。義理の祖父は、孫の父親や娘婿としてではなく、一人間として靴屋を認めたのではないだろうか。祖父母が初めてグシャイトを訪れることで、彼らは真に家族となったのではないかと思う。

白雲母(青木三陽訳)
今回初めてちゃんと読むことができた。山室静訳『ジプシーの少女』では、子ども向けの抄訳だったため、かなり省略されていたのと、些細なことだがストーリーが微妙に変えられていた。本書を読むと、やはり子ども向けの抄訳とは雰囲気が異なる。これは子ども向けの話とは言い切れないだろう。

下巻解説にも書かれているのだが、作者が女の子をどう扱っていいのか迷っているように感じられて歯切れが悪い。親切な人々に囲まれた農園での文化的な生活と、孤独だが自然に囲まれた山での生活の、どちらが良いのか迷っているふうに感じられてならない。
教育を受けどれだけ親切にされても、女の子が本来持っていた生命力が失われてゆく。その姿は本当に幸せなのか。そんな迷いが作者にあるのではないだろうか。

石乳(松岡幸司訳)
ナポレオン戦争の時代、敵を撲滅することを望む城主。だが、白いマントを着た敵の青年スパイが城へ潜入したとき、手も足も出なかった。戦いが終わり、青年に再会した城主と管理人は、彼に好意を抱く。
再読だからだろうか、初読よりもスンナリ読むことができ、展開についていくことができた。話の筋はわかるし結末のあり方も理解できるのだけれど、いま一つ何かが足りないような気がする。それが何なのかわからないのだけれど。(2006/7/1)

水晶 他三篇
ジプシーの少女

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