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ひそやかな村/ダグラス・ダン

ひそやかな村
ダグラス・ダン

My評価★★★★★

訳:中野康司
白水uブックス(1996年9月)
ISBN4-560-07116-0 【Amazon
原題:Secret Villages(1985)

収録作:南米/庭にいる妻たち/カヌー/慣れっこ/ボビーの部屋/バグパイプ吹き/スタンリー祖父の写真/キルビニン生まれ/テニスコート/庭を持たない女たち/ロバート君への贈り物/釣り天狗たち/クラブ・ハーモニカの一夜


スコットランドの詩人による、スコットランドの小さな村々に住む人々の日常生活の中で、彼らの微妙な機微を描いた短篇集。
これといった事件や諍いが起こるわけではなく、人生のある時期(主に人生の半ば過ぎ)、ふと立ち止まって周りを見回したときに何が見えるのか、といった感じの物語群。何ということのない平凡な人生の一瞬の機微を掬い上げ、苦いユーモアとシニカルなスパイスを効かせてサラリと描き、それでいて静かな余韻を残す。
思うにこの短編集は、若さ溢れる世代よりも、人生も半ばを過ぎ、そろそろ老後を意識し始めた世代の人のほうが味わい深いのではないだろうか。
以下、5篇を紹介。

南米(South America)
鉱山技師の夫は、妻と二人の子どもを残してブラジルへ2年間仕事に行く。妻のシーアは子どもを連れて、グラスゴーから両親の住むバーロハンに引っ越して暮らし始める。
4年経ったが、仕事に夢中の夫は帰って来ない。シーアは南米を憎み、家族を置き去りにして帰って来ない夫を罵る。そしてシーアは赤ん坊を産んだ。その後、もう一人・・・。

********************

シーアは随分と身勝手なように思われるかもしれないが、彼女の言うように夫も身勝手なのだ。仕事のためには家族を犠牲にする夫、仕事よりも家族が一緒に暮らすことを願う妻。
夫を愛してはいるけれど、妻として夫の犠牲にされるよりも、自分の意志を貫き通すシーア。作者はどちらがいいとか悪いとか言わない。ただ、両親の間に挟まれた子どもこそいい迷惑だろう。シーアのさりげなく、しかもキッパリと愛情に満ちたラストの一言がいい。

●カヌー(The Canoes)
自然だけが取りえのロッホアーンヘッド村は、シーズンになると観光客やサイクリストが目立つ。ミューア、マンロー、グレガーの倅、マクマード、マケハーン、私。私たちは仕事がないので、よく鉄柵の側でたむろしている。
ある夏の日、私たちの前にアーン湖に浮かぶインハーン島の別荘に行く、若々しいバーカー夫妻がやってきた。マギーが島までボートを漕いでやり、私は観光客受けする手の振り方をして別れる。マギーはイギリス人夫婦のボート漕ぎもしてやり、以後はイギリス人夫婦の専属のボート漕ぎになって、相場より高い値段をふんだくる。
数日後に私が散歩していると、バーカー夫妻がカヌーを漕いでいた。私はカヌーに乗りたくなった。それよりも美しい土地で可憐なカヌーを漕ぐ若夫婦の姿に見惚れ、眩しくやさしく想いで見続ける。

********************

観光客の前では普段の姿と違い、観光客が望む長閑で穏やかで親しみのある田舎者の姿を演じる村人たち。マギーのようにそんな姿を演じつつ、したたかに観光客から巻き上げる。そんな彼らの姿におかしみがある。
それ以外では特に何が起るわけでもない物語だが、語り手の私がすでに中年ぐらいの歳だということがポイント。カヌーに憧れ、カヌーを漕ぐ若夫婦に好意を抱く私は、過ぎ去った自分の青春を若夫婦に重ね合わせていると思う。

●ボビーの部屋(Bobby's Room)
ひとりっ子のヘンリー・ポロックは、12歳のときに両親と、スコットランド南部から南西部にかけて旅行した。そのときたまたま泊まったのが、ボーデン夫人の経営する『ネザーバンク旅館』だった。
2年後、両親は3ヵ月間仕事でシンガポールへ行った。ヘンリーは両親がの気に入っていたボーデン夫妻に預けられた。そして家を出ている息子ボビーの部屋をあてがわれた。
彼はヒマなこともあり、旅館の手伝いを始める。そして自分の心に芽生えた独立心に気づき、それがいつの日か両親の生活に危機をもたらすだろうと考える。だが両親には、どうしてそうなったのか絶対にわからないだろう。

********************

ボーデン夫人はボビーの手紙を待ち侘びながら、客に手紙と写真を見せて自慢気に話す。ヘンリーはそんなボーデン夫人に苛立ちを覚える。そして家を出たボビーを身近に感じる。ヘンリーはボーデン夫人に両親を重ねて、束縛を感じたのかもしれない。
両親の言いなりだった少年から、自分の考えを持ち始めたヘンリー。彼は思春期の移行のなかで独立心に目覚めるが、なぜそうなったのか、それは誰にもわからない。おそらくヘンリーは、両親に理解してほしいとは思わないんじゃないいかな。

テニスコート(The Tennis Court)
戦争中にポーランドの将校たちが駐屯していた時代、村のテニスコートにはポーランド語が飛び交っていた。イギリスやカナダ、アメリカの兵士たちも村へ来て、テニスコートはとても賑わっていた。村の娘デボーギラ・カニンガムは、アメリカ人とテニスコートで結婚式を挙げて、いまはアメリカに住んでいる。
私の親友ベラは、デボーギラの妹だ。私とベラはよく一緒にテニスをする。私たちはこの辺りでは最強のコンビだが、二人ともオールドミスだった。テニスクラブはいまは寂れ、私たち以下の会員がテニスをすることははほとんどないので、テニスコートは自分たちのものだと言っていい。
テニスシーズンが終り、私たちは旅行に出かけた私たちは、夕食の後のテーブルに座っていた。私はこの機会に、ベラのテニスコートへの愛情を確認しようとする。

********************

長い間、親友としてコンビとしてテニスに打ち込んできた二人。その二人の間でも、胸に秘められて語られなかったことがある。華やかだった時代、過ぎ去った時間。誰もが過去に戻ることはできない。それは知っているが、忘れることもできない女たち。そして、ふと洩れる溜息・・・。そこには後悔や感傷、苛立ちがあるだろう。でもそれを前面に出すことなく、さりげなく語られる一抹の寂しさと温もりが印象深い。

庭を持たない女たち(Women without Garden)
一人暮らしをする3人の女たち。読書が好きで部屋をキチンと整え、人と言い争うことや強弁に自己主張することが苦手のエリソン夫人。長年秘書をしたおかげでちょっとだけ生活に余裕があり、スボーツウーマンで活発で他人に寛容だが、普段の生活はだらしのないミス・ドルーリー。自分に厳しいが他人にも厳しさを求めて癇癪持ちだが、一人のときには眠れない夜を過ごすシンクレア夫人。
3人ともいずれは自分の体が動かなくなる日がくることを覚悟している。そのときは親戚から、一人暮らしをやめて老人ホームへ行くことに勧められるだろう。
彼女たちは夏の間、雨が降らない限り大通りを散歩する。そして眼に映るだけの庭々を、毎日10点法で採点する。彼女たちにはおきにいりの庭が一つあり、以前その庭を手入れしていた中年男性の主人に、うれしさのあまり満点ですよと言ってしまった。以来、通りかかると主人と話するようになる。
公園も彼女たちの採点から逃れられない。ベンチに座りながら世間話に興じる。エリソン夫人は話を聞きながら、彼女たちの自尊心を傷つけずに、帰りにお茶に誘うタイミングを図っていた。

********************

それぞれ性格の違う3人の老婦人の日常。些細な日常の一コマなのだが、ありきたりの日常生活を書くことはとても難しいと思う。現実に彼女たちのような人はいるだろう。だからこそ親しみがあり、おかしみがある。だが時折りそっと、老いに対する寂しさと不安の微風が吹く。
誰かと話しながらも、頭の片隅でふとした瞬間に心の秘め事をみつめるとき。誰もが表面には表さないが抱えているであろう陰翳を巧みに捉えた作品。(2001/11/27)

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