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エミリーに薔薇を/ウィリアム・フォークナー

エミリーに薔薇を
フォークナー(ウィリアム・フォークナー)

My評価★★★★

訳・解説:高橋正雄
福武文庫(1988年5月)[廃版]
ISBN4-8288-3078-2 【Amazon

収録作:赤い葉/正義/エミリーに薔薇を/あの夕陽/ウォッシュ/女王ありき/過去/デルタの秋


ウィリアム・カスバート・フォークナー(William Cuthbert Faulkner,1897-1962)は、1950年度、ノーベル文学賞を受賞。アメリカ南部ミシシッピ州のニュー・オルバリーという町に生まれる。フォークナー一族は北部ミシシッピの名門であり、なかでも祖父のサートリス大佐は鉄道を造り、政治家としても活躍した名士だという。父は、祖父の造った地方鉄道に勤務。
1902年、ウィリアムが5歳の時に、祖父が鉄道を人に譲り父が鉄道を辞めたため、一家はオックスフォードに移る。以後、ウィリアムは65歳で亡くなるまでオックスフォードに住み続けた。
フォークナーに小説を書くことを勧めたのは、当時新進作家のシャーウッド・アンダスンであり、このことは両者が認めているという。フォークナーはアンダスンと出会ったことで、オックスフォードをモデルにしたヨクナパトーファ(ヨクナパトウファ)郡のジェファソンという架空の南部の町を背景に、<ヨクナパトーファ・サーガ>を生涯にわたって書き続けたという。

フォークナーの長篇は難解だと聞くので、いまだ読んだことがない。まずは短篇集をぼちぼち読んでいるのだが、短篇はちっとも難しくなく、わかりやすく読みやすい。短篇集でフォークナー作品に興味を掻き立てられたので、そろそろ長篇を読んでみたい。
ヨクナパトーファ・サーガにはサートリス家、コンプソン家、スノープス家が登場する。後期の作品には、マキャスリン家とその親戚のエドモンド家も加わる。本短篇集もヨクナパトーファ・サーガに連なる。それぞれ独立した短篇ではあるが、登場人物とその家系は他の長短篇とリンクしている。

「正義」と「あの夕陽」(1931年発表)の語り手は『響きと怒り』に登場するクェンティン・コンプソンで、彼は『アブサロム、アブサロム!』にも登場するという。「正義」はサム・ファーザーズの物語であり、サム・ファーザーズはアイザック・マキャスリンと関係がある。
「ウォッシュ」(1934年発表)は『アブサロム、アブサロム!』のトマス・サトペンの物語を独立させたものなのだそうだ。
「女王ありき」(1933年発表)は『サートリス』から十年後の後日譚で、名門サートリス家の唯一の生き残りであるが、90年間灯り続けた命の火が消えていこうとするジェニーおばさんを中心に語られる。
「過去」と「デルタの秋」はアイザック・マキャスリンが登場する物語であり、「デルタの秋」はアイザック物語の最終編だという。

ちなみに新潮文庫の瀧口直太郎訳『フォークナー短篇集』に、「赤い葉」「エミリーに薔薇を」「ウォッシュ(瀧口訳では「孫むすめ」)」が収録されている。他のアイザック・マキャスリンの物語には、加島祥造訳『熊 他三篇』(岩波文庫)がある。

********************

赤い葉(1930年発表)
ヨクナパトーファ・サーガ以前に、ジェファソン(オックスフォード)一帯を、チカソー・インディアンが所有している19世紀初頭の物語。
インディアンたちは白人のするように、黒人を奴隷を手に入れ使役している。酋長が死ぬと、その側仕えの黒人も一緒に死んで、あの世でも酋長の世話をしなければならない。だが、その側仕えの黒人が逃走したため、インディアンたちは捕まえようとする。
ガルシア=マルケスはフォークナーに影響を受けたと言われているが、なんとなく納得できる。どことなくマジックリアリズムを思わせる。ここで描かれるインディアンたちは、まだ白人社会をよそ目に、自分たちの社会を形成しており風習を維持している。彼らの生活には悠揚さが感じられる。しかし差別される側が、差別する側に回っている。そんな人間の愚かしさが描かれている。

正義(1931年発表)
これもインディアンもので、「赤い葉」の姉妹編のような作品。インディアン酋長の血をひく黒人のサム・ファーザーズが生まれるまでの顛末が、「赤い葉」よりユーモラスさを交えつつおおらかに語られている。この作品での黒人は「赤い葉」よりも、インディアンとの心理的な境界線が低くなっているように思われる。
「赤い葉」と「正義」における白人とインディアンと黒人の関係性が、フォークナーらしいのかなあと思った。特に黒人の社会的位置関係と、彼らに向けられるどこかヒューマニスティックな印象の目線が、フォークナーという作家の性質が表れているのではないのかな。

エミリーに薔薇を(1930年発表)
頑なに世間との交流を拒み続けた未婚の老嬢エミリーの死によって、長い歳月、誰も足を踏み入れたことのない家の扉が開かれた。家の中には、40年来閉ざされ、こじ開けなければ入ることのできない一部屋があった。孤独な老嬢エミリーの哀しいまでの妄執を描く、ゴシック怪奇小説風の物語(ロマンス)。
この短篇は、フォークナーの短篇では最も知られている作品ではないかと思う。子ども向けの本にもなっているから。

高橋訳は短篇のセレクトはいいのだが、原文がどうなのか知らないけれど、訳は全体的にちょっともどかしさを感じた。物語の核となる肝心な部分にフォーカスが合っていないと言うか。微妙に文意が伝わりにくく感じるんだなあ。特にこの短篇では顕著で、肝心要のラストが、状況がわかりにくいため雰囲気を損なっている。
重要なのは怪奇趣味ではなく、孤独な老嬢に対する憐憫の情だと思うのだが、そこのところが伝わってこない。この点に関しては、新潮文庫の瀧口訳の方が格段にいい。

過去(1942年発表)
アイザック(アイク)・マキャモスリンが、彼の生まれる以前に起こった事件を、いとこのマキャスリン・エドモンズから聞いた事件。
マキャスリンがまだ幼い頃、バックとバディの双子のおじさん(マキャスリン家の2代目)のところから、黒人のトミース・タールが逃げ出した。行き先はいつもヒューバート・ビーチャムの屋敷で、黒人の女中テニーに会いに行くためだ。この事件によって、バックおじさんがヒューバートの妹ミス・ソフォンシバと結婚する破目に!?
コミカルでユーモラスな作風。マキャモスリンものは他の短篇に比べると、肩の力が抜けてのびのびと書かれているように感じられる。

デルタの秋(1942年発表)
私有財産を拒否し、自然の中で自然と共に暮らす80歳近くになったアイザック(アイク)・マキャスリンの老境が描かれている。
60年以上もの間、毎年11月の最後の週には仲間と狩猟に出かけているアイク。だが連れてきた仲間は、かつてのメンバーではなく、昔の仲間の息子や孫たちである。世の中や様々な事柄が変わったが、彼はこの土地に生き続ける。
自然との調和、人々との諍いのない調和をめざすアイクの人生観に、作家自身の思想が重ねられているのだろう。本書の中では深みのある作品になっており、作者の円熟を感じさせる一篇。(2007/11/6)

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