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美しい夏,女ともだち/チェーザレ・パヴェーゼ

美しい夏,女ともだち
チェーザレ・パヴェーゼ

My評価★★★

訳:菅野昭正・三輪秀彦,解説:菅野昭正
白水社(1979年2月)[絶版]
ISBN4-560-04427-9 【Amazon

収録作:美しい夏/女ともだち


イタリアの作家・詩人チェーザレ・パヴェーゼ(1908-1950)の、都市に住む若き女性たちを描いた小説。彼女たちは、旧社会から新しい社会へと移行する際、指針を失って途惑う時代の狭間にいるのだと思う。
憂鬱さや倦怠感、無気力感、渇望は現代人にも通じるものがあり、当代の小説と比べると新鮮さ斬新さがもの足りない。
しかし、時代背景を知ることによって深みが増す。ファシズム以後のイタリア社会における若者の生態を描いた作品と考えるのが妥当だろう。そう読むことによって当時の社会動向が窺え、時代そのものが空虚なのだということがうかがえる。

●美しい夏(La Bella Estate,1949),訳:菅野昭正
16歳のジーニアは兄と暮らしており、洋裁店でお針子をしながら自活している自分は立派だと思っていた。ジーニアは工場に勤める友だちのローザといるときには、自分が大人だと優越感をもっている。女工のローザと同じに見られたくないために、帽子を被ったりする。ローザには買えないからだ。
ところがローザが妊娠したと聞いて、子どもだとばかり思っていた彼女にしてやられてくやしい。先を越されたことを裏切られたと感じたり、ローザを愚か者だと思ったりした後、今度は20歳ぐらいのアメーリアと親密になる。

アメーリアは画家のモデルをしていて、裸でポーズすることもあると言う。ジーニアはアメーリアとカフェや映画館、ダンスホールへ行き、夜の町を散歩する。アメーリアを通じてロドリゲスと、兵隊で画家のグィードと知り合う。ジーニアはグィードに恋をする。二人は付き合い始めるが、実はジーニアの方が夢中だった。
ある日、アメーリアがグィードのヌードモデルとなっていた。それを見たジーニアは、自分も描いてくれと脱ぐが・・・。

********************

焦燥感や苛立ちを抱え、背伸びするジーニア。対してアメーリアは、少し自堕落で奔放な日々を過ごしていて、他の友達と違ってジーニアには自由で魅力的に映る。ジーニアは、自分を仲間とみなしてくれるであろうアメーリアたちに受け入れられようとする。
しかしアメーリアと口論しても、自分からは仲直りしない高慢さと臆病さがある。ときにはアメーリアに負けないとライバル心をも抱く。その姿は、ごく普通のどこにでもいる若い女性だろう。
アメーリアの本心はいま一つハッキリしないのだが、カフェで時間を潰したり口論したジーニアを訪ねに行くなど、彼女も実は孤独で満たされていない。

ラストでジーニアは心境の変化を迎える。要するに自己を取り戻すと言うか、大人に近づく。ラストの一行が重要なのだが、あまりにもさりげないので意味を読み損ねてしまいかねない。このラストは二通りの意味に解せると思う。
一つはジーニアが自己を放棄してアメーリアに追従すること。もう一つはアメーリアのやることを鷹揚な気持ちで受け入れる、心の広さを持つことだ。私は後者だと思う。
現代にも通じる、いわば思春期の戸惑い、誰かに理解されたい認められたいという感じの内容だが、現代は複雑化・多様化している上に、現実のほうが小説をはるかに凌駕してしまった。そんな現代人には、この作品はどこかで読んでような小説だと思い、内容に新鮮さ・斬新さがないと思われる。
しかしジーニアという人物はとても陰翳があり、その陰翳は現代人にも十分に通じるし、ちっとも古びていない。ただ、彼女の陰翳があまりにもアッサリと書かれているので、それと気づかず読み落しやすい。

作者の日記によると、この作品が執筆されたのは1940年(短編集として刊行されたのが1949年)。表面にはほとんど出てこないが、時代はムッソリーニ率いるファシスト政権がイタリアを席捲していた頃。
ちなみに1940年、ムッソリーニはヒトラーと会談している。そんな時代に、都市部に住む若者たちの倦怠感や停滞感、目的意識の欠如を描いた作品なのだ。
たんなる青春群像ではなく、ファシスト政権以降の若者たちの生態である。ファシズムが若者にもたらした影響への風刺と言えるのではないだろうか。このことは表面にはまったくと言っていいほど表れていないが、だからといって軽視できないのではないだろうか。

女ともだち(Tra Donne Sole,1949),訳:三輪秀彦
謝肉祭の真っ最中、ローマから洋服の新店舗をオーポンさせるべく、トリノへ派遣されたクレリア。ホテルに投宿したその夜、少女の自殺騒動に遭遇。
クレリアは社交界へ出入りして、モレリやマリエーラと知り合う。彼女たちの友だちが、自殺未遂を起こしたロゼッタだった。

少女期をトリノで育ち、トリノを出て仕事で成功することで貧しさの中から這い上がり、自分の力で毛皮や絹の靴下を得ることができたクレリア。そんな彼女は、生まれながらに裕福で無為に日々を過ごし、バカ騒ぎしても本心では愉しんでいないモレリやマリエーラ、ロゼッタたちにウンザリしていた。だが彼女の意思とは別に、否応なく付き合わさせられる。
遣り手のクレリアは店舗の完成に向けて、建築家のフェボや現場監督のペクチオの作業を指揮しながら、モレリとロゼッタ、彫刻家のネネらと交際する。
親しくなるうちにロゼッタが自殺しようとした真意を知る。クレリアはロゼッタに仕事をするよう勧めるが、何もかもが汚く、何をしてもむなしいし意味がないと言われる。クレリアはモレリの悪影響だと考える。クレリアがオープンに向けて多忙を極める中、ロゼッタが家出してしまう。

********************

1949年に執筆された作品。原題を直訳すると『女たちのあいだで』になるという。
クレリアは仕事で成功して社交界へ出入りするのだが、上流階級の年配者たちは表面的には好意的でも、決して打ち解けてはいない。仕事をしていること、しかも女で、ということが恥ずべきことであると言わんばかりだ。
いわばクレリアは新興階級となるだろうが、決して激しくはないけれど、上流階級の怠惰で無為な生き方に嫌悪感を抱いている。
ベクチオは「中産階級より上の連中と付き合うことはムダだ」と明言。歴然と階級が存在しており、クレリアに象徴される中産階級の台頭、上流階級の退廃、上流階級への批判がうかがえる。

クレリアは知ったかぶりに人生に失望している少女ロゼッタに意見する。クレリアがロゼッタに意見できるのは、仕事に生き甲斐を見い出しているからだ。
しかし、仕事以外のことに満足しておらず、年上で仕事をしていて実績があり、何かあってもある程度妥協して巧く立ち回れるだけにすぎない。仕事以外は空虚で満たされていないのだ。基本的にはロゼッタやモレリと大差ないだろう。
ロゼッタやモレリの生き方は、現代人にも通じるところがある。一緒にいるときは親しく振る舞い、相手がいなった途端に陰口を叩くという、よく見かける姿が描かれている。
この作品の真の主人公はロゼッタだ。いや、ロゼッタに象徴される空虚感や倦怠感、希望の持てなさだと思う。正確には、そういった雰囲気を醸し出す都市生活や時代そのものだと思われ、「美しい夏」の別バージョンといった感がある。(2002/9/6)

備考:2006年10月、岩波文庫から河島英昭訳『美しい夏』(表題作1篇のみ)が刊行【Amazon】。河島氏の方が訳が断然よく、わかりやすく理解しやすい。(2010/5/10)。

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