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新編 みなかみ紀行/若山牧水

新編 みなかみ紀行
若山牧水

My評価★★★★

編・解説:池内紀
岩波文庫(2002年3月)
ISBN4-00-310522-2 【Amazon

目次:枯野の旅/津軽野/山上湖へ/水郷めぐり/吾妻の渓より六里が原へ/みなかみ紀行/空想と願望/信濃の晩秋/白骨温泉/木枯紀行/熊野奈智山/沼津千本松原


紀行文10篇と、「枯野の旅」「空想と願望」の詩2篇が収録されている。
牧水は歌誌を主宰する傍ら、一息つくと東京を飛び出す。「津軽野」では大釈迦駅に着いた牧水が、出迎えの人たちと共に馬で五所川原町へと向う。冒頭からいっきに大正時代へと惹き込まれる。本当は馬ソリのはずだっだのだが、雪が浅くなってとても揺れるため止めたのだと言う。初めて馬の背に乗り、しかも引き手がいないため、及び腰の牧水。

草津方面から浅間山への旅「吾妻の渓より六里が原へ」では、駅へと山道を急いで疲れきった牧水は、漸く一軒の『まんぢゆう屋』で休むことができた。開口いちばん、酒はないだろうかだと。実は前の晩遅くまで飲んでいたのにだ。店を出るとき、牧水は心づけとして、多めにお金を払って出ようとするが・・・。

新聞社主宰の歌会に出席するために、信州へ行ったのが旅の発端となる「みなかみ紀行」では、歌会が終った翌朝、仲間たちと軽井沢へ蕎麦を食べに向う。そこでふと思いついた牧水は一人の青年を誘って、嬬恋へ行って耶馬溪に沿って下り、渋川・高崎へ2日ばかりの旅に出る。
牧水はこの機会に人里離れた山奥へM青年を訪ねる。30歳前のM青年は、野良仕事をしながら歌を作り、母と暮らしている。あまりにも山奥なので、牧水は二度と会うことはないだろうと考える。

猿ヶ京村では牧水に会いに、近郊の村から同人の青年たちが集まる。近郊といっても山を越えて来るのだが、この青年たちは九里や十里の距離が、ほんの隣家に行く程度らしい。さすがの牧水も呆れている。
一里は約3.9kmだから、十里は約39km!?しかも山道!牧水だって一里ニ里歩くのは当然と考えている人のようだが、到底青年たちの足元に及ばない。

「熊野奈智山」は、牧水は『奈智の滝』見物のために勝浦港へ向う。だがあいにくの雨。投宿すると人々の態度がどうもおかしい。馬車で滝へ向い、降りて見物しようとすると馬車屋が後を付いて来る。どうやら牧水が飛び降り自殺すると思っているらしい。憮然とする牧水。

********************

なんといっても時代の違いが否応なしに目につく。大正時代における山間部の様子が知れて、現代との生活の違いは元より、現代人との人柄の違いもうかがえる。当時の人たちは実にのんびりしているように思う。まあ、なかには世知辛い人もいるのだが。
牧水の旅のほとんどは水源を求める旅だ。当然ながら渓谷に分け入ることになり、そこで峡や木々を愛でて歌を詠む。自然、特に渓谷やあるがままの森林の美しさに傾倒する文章は、読んでいると本当に色や音、匂いまでがまざまざと目に浮かぶようだ。「山上湖へ」での鳥の啼声に誘われる静寂と心象世界の拡がり。「木枯紀行」など紅葉する森林の佇まいでは、風が静寂を破り、落葉の音が聴こえるようである。どこへ行っても観光客がいて車が走っている現代では、こんなふうに静寂を楽しめることがあるだろうか。

枯れし葉とおもふもみぢのふくみたるこの紅ゐをなんと申さむ(p97)

解説によると若山牧水(1885-1928)が東北へ旅したのは大正5年、31歳のとき。「信濃の晩秋」では文中で35歳だと知れる。大正11年、37歳のときに信州や日光中禅寺方面を旅し、2年後に『みなかみ紀行』を発表。
まず思ったのは、牧水が30代だったというのは意外だった。言動が妙におやじくさいんだな。いまの40代後半という感じがする。
しかし健脚ぶりはやはり30代。牧水の旅は駅まで汽車、そこからは乗合馬車、あとは全て徒歩である。昔の人はよく歩いたというが、信じられないほど歩く。車のない時代だから当然なのだろうが。
牧水が来たということで、当地の同人たちが集まってくる。いまと違ってインターネットも電話もなく、手紙すら配達に時間のかかった時代だ。牧水以前の歌人もそうだが、全国に歌人のネットワークがあり、機能していることがわかる。旅をするのも大変な時代で、一生に一度会えるかどうかということもある。だからこの機会にと同人たちが集まるのだろうが、それだけではなく「牧水だから」ということもあると思う。

牧水は多弁ではないが、気さくで素直と言うか人が良い。人づきあいがいい。みんなと別れたくなくてグズグズしたりする。でも、ときには一人で渓谷をたっぶりと散策したい。ところが一人で深閑とした山道を歩いていると、ひょいと寂しくなって誰かに出会わないかと人恋しくなる。そんな気持ちを素直に表している。
それを察して、彼の年下の仲間が旅に付き合ってくれる。たぶん気取りがなく親しみやすくて、周囲からはどこかほっとけないところのある性格なのだろうな。

文章には肩の力を抜いたゆとりと、旅先での様々な出会いを愉しんでいる仄かなユーモアとウエットさがある。
彼の文章は、視点が常に外界へ向っている。己の内面性を外界へ求めるのではなく、外界の事象に自分なりの意味付けをするのでもない。感じたことを素直に飾らずに表現して、決してこねくりまわしたりしない。
従って文章上において内省の書とはならない。しかし牧水は根源的には、何かを求めて満たしたいがために旅するのだと思われる。その何かとは外界にではなく、己の胸の裡にあるのだろう。

各地の温泉に浸かり、酒を呑み、当地の人々や、集まって来た歌人たちと過ごす。実際、温泉紀行と言ってもおかしくないほど温泉に立ち寄っていて、また実によく呑む。
牧水の紀行文がいまも読み続けられるのは、都会人でも田舎人でもなくその狭間で揺れながらバランスを保っている感性と、内容はもちろんのこと彼の姿勢と人柄にもよるのではないのかな。読んでいると牧水と一緒に旅をして、自然に親しみ、友と楽しんでいるような感じを覚える。とても気さくな紀行文だった。(2002/9/13)

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