スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

晩夏(下巻)/アーダルベルト・シュティフター

晩夏(下巻)
アーダルベルト・シュティフター

My評価★★★★★

訳・解説:藤村宏
ちくま文庫(2004年4月)
ISBN4-480-03945-7 【Amazon
原題:DER NACHSOMMER(1857)


薔薇の家から自宅へ戻った私は父の蒐集品を新たな目で見ている自分に気づく。薔薇の家での体験が、私の視芸術的視野を拡げたのだった。夏がきていつものように薔薇の家に滞在した私は、丘で偶然にナターリエと二人きりのひとときを過ごす。

翌年の夏、例年より遅れて薔薇の家へ到着した私は、男たちが旅に出ていると聞き、シュテルネンホーフへ向かう。マティルデとナターリエとともに、男たちの帰りを待つことになった。
ナターリエはなぜか言葉少なく、私を避けているように思われた。散歩していた私は、泉の洞窟でナターリエを見かける。邪魔をしないよう声をかけずに通り過ぎようとするのだが...。この一件をキッカケとして、私は薔薇の家の主人からマティルデとの過去、そして主人とシュテルネンホーフ一家との関係を知らされる。

********************

世界文学の名作として挙げたい。読後には静かな感動が沁み込むように広がる。こういう作品に出会えて本当に嬉しい。だが一読だけでは理解したとは言えないので、ニ読三読していきたい作品。
ただし好きになる人と、退屈と思う人にハッキリ分かれるだろう。理由は訳者が解説(結末がわかってしまうので、本文を読了するまで読まないほうがいい)で述べているように、一つにはストーリー性の乏しさにある。ストーリー性に乏しいとは言え、再会した薔薇の家の主人とマティルデの姿には思わずほろりときた。この作品の良さはストーリー性にあるのではない、と思う。

もう一つは善意と悪意の葛藤、苦悩といった人間的な相克する感情表現の乏しさにある、というようなことが解説で述べられている。
しかしながら、解説にもあるが人間的な感情の相克がまったくないわけではない。主人公を雪山へと突き動かす情動は何なのか。社交界に出ようとしないクロティルデと主人公との関係、おそらく嫉みから主人公を冷やかす人々、若い頃のマティルデの激しさ、ローラントが画布に表現したものなど、それとなく負の感情が描かれている。
主人公の青年とナターリエは、薔薇の家の主人とマティルデが本来あったであろう姿のように思われる。この巻の後半で明らかになるまでの主人公の無名性が、なんとなくわかったような気がする。

上巻ではわからなかったが下巻を読んでみて、この作品の真の主人公は薔薇の家の主人ではないかと思う。『祝祭』の章に、薔薇の家の主人が、未来における物質文明のあり方について語る箇所がある。薔薇の家の主人に託して、シュティフターはとても19世紀後半の人とは思えないほど、私たちの現代社会を予見しているのには驚きを禁じえない。ここがこの作品の核ではないだろうか。

薔薇の家とは物質では得られない豊かさ、外面からではなく内面から得られる歓びを具現した家であろう。そこに集う人々は互いに敬愛の情で結ばれている。家族同士そして他人同士を繋ぐのは愛情ではあるが、愛情のなかに互いに相手を敬う気持ちがなければいけないのだなと思う。いや、相手を敬う気持ちが愛情となるのだろう。
薔薇の家は理想郷だと思う。だがそれは作者の同時代の人々だけに向けたものではなく、百年以上もの時を越えて私たちに向けられたメッセージでもある。とは言え、一読では掴みきれていないので、これから何度も何度も読んでいきたい。巻末にシュティフターの年譜あり。(2004/4/22)

晩夏(上巻)
+晩夏(下巻)

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

H2

Author:H2
My評価について
=1ポイント
=0.5ポイント
最高5ポイント

最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
FC2カウンター
検索フォーム
リンク
QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。