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草原の祝祭 ヤンのヨールカ/町田純

草原の祝祭 ヤンのヨールカ
町田純

My評価★★★★★

カバー画・挿画:町田純
未知谷(1998年2月)
ISBN4-915841-64-2 【Amazon


『ヤンとカワカマス』に続くシリーズ2作目。時代背景は革命直後のロシア。
1921年冬、ボクは天辺に銀色の星の付いた樅の木を探していた。宿屋の主人の弟は、木の場所を知っていた。猟師から聞いたという。でも、いまはその樅の木はない。ボクがその樅の木を知っているのは、ヤンから聞いた話だった。

20世紀を目前とした秋、ヤンは汽車に乗ってサヴィンスキー駅で降りた。そこは寂しい町だった。
クリスマス前日、3回目にサヴィンスキーを訪れたヤンは、銀紙で出来た星や月、セルロイドや金紙で作られたベルなどを手に入れる。店仕舞いをしようとしていた物売りのオバアさんが、ヤンに呉れたのだった。
でもヤンには樅の木がない。そのとき、草原にたった一本立っている樅の幼木を思い出した。あれがヤンのヨールカ(樅の木=クリスマスツリーのこと。ここでは、樅の木が飾られるヨールカ祭のことを指しているという)になるのだ。
けれどもその年は吹雪きのため、樅の木をみつけることができなかった。

翌年の夏、ヤンは草原の樅の木に飾りを施す。しかし5回目の旅で、ヤンは星などの飾りが飛んで失ってしまったことを知る。
春になり、カワカマス君がやって来た。ヤンがサヴィンスキーと樅の木のことを話すと、カワカマス君が銀の星や月や球を作ってくれるという。星の樅の木はもはやヤンだけのものではなく、カワカマス君を含め、ボクらの世界の象徴だった。

********************

人間と同じ世界に住むながらも距離を置いて暮らすヤン。だがヤンは何度もサヴィンスキーを訪れる。町でヤンは、「寂しい町だよ」と言い続けるドブネズミ君、呆然と立ち尽くすミヤマガラスと出会う。
クリスマス飾りをもらったヤンは、それを草原の樅の木に付けることを思い立つ。何度も失敗しながらもやっと付けた樅の木。それはヤンやカワカマス、そしてドブネズミ、ミヤマガラスたちにとって特別な木となるだろう。
カワカマスは、ボクらはもう一度新しい象徴をたてなくちゃいけないと言う。そして星の樅の木は「人間の世界との訣別の象徴」とも言う。だがヤンの行動から、私には「ボクらがここに在ること」の象徴ではないかと思われる。

この作品は寓話だが、本質的には詩ではないかと思う。理屈で考えるのではなく、詩として素直に受け止めると、感覚的にわかるような気がする。
全体的に感傷的で多少の厭世観が漂うけれど、なんかいいなあ。どこがどう良いのかと訊かれると答えにくいのだが。
サヴィンスキーのガランとしたひと気のなさや寂れた感じ、雪原を吹き抜ける風の冷たさ、草枯れた秋の草原の匂い、町の雨音、寝転んで見た星々の煌き、車窓からチラリと見える樅の木の星・・・。描写から醸し出される雰囲気やイメージが、この不思議な物語世界を拡げてくれる。
挿画と文章が相まって、様々な情景が記憶を刺激し、似たような場面を記憶の彼方から思い起こさせてくれる。記憶に仕舞われつつも、とうに忘れていた風景とその感覚を覚醒させると言うか。
世界の片隅でひっそりと暮らす、ヤンたち動物や人間の孤独と寂しさ。しかし、世の中にはウォトカのオジイさんや物売りのオバアさんたちのような人もいて、ふいに小さな親切に遭遇する。小さくても無私の親切は、何よりも尊く思われる。

語り手のボクは、車窓から本当に銀の星を見たのかもしれない。たんに見間違いで、もう樅の木は存在していないのかもしれない。私はどちらでもいいと思う。大切なのは、いまも星の樅の木が存在しているかどうかではなく、かつて存在したことを憶えている人が居り、それが語り継がれることにあるのではないだろうか。
語り継がれることによって、その美しさが人々の記憶に仕舞われ、磨かれてより輝きを放つのではないだろうか。(2006/6/5)

ヤンとカワカマス

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