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美しい日本の私 その序説/川端康成

美しい日本の私 その序説
川端康成

My評価★★★☆

講談社現代新書(1969年3月)
ISBN4-06-115580-6 【Amazon


川端康成(1899-1972)が、1968年にノーベル文学賞を受賞したときの受賞記念講演の全文。日本文学研究家エドワード・G・サイデンステッカーによる英訳付き。

川端康成は、雪月花に象徴されるような自然美が日本美の精神であり真髄であるとして、道元や明恵上人、西行、良寛などの歌を通じて説く。例として、良寛の歌を挙げている(p13~14)。

霞立つ永き春日を子供らと
手毬つきつつこの日暮らしつ

風は清し月はさやけしいざ共に
踊り明かさむ老いの名残りに

世の中のまじらぬとにはあらねども
ひとり遊びぞ我はまされる


私としてはこの歌が、四季や自然の事象に心象風景を重ね合わせていて、いかにも日本的だなあと感じる。
思うに、日本的な美の顕現は「うつろい」にあり、それを何かに「みたてる」ことにあるのではないだろうか。

東洋画の空間や余白、省筆に見られる「無」の精神についても触れている。そして日本庭園に見られる不均整。どちらも茶の世界に通じており、どちらも禅の世界である。
和歌や造園などから日本的な美の精神を、短いながらもわかりやすく端的にまとめている。

しかし果たしてこのような美は、日本人にとって一般的な美なのだろうか。つまり一般庶民にとっての美の観念なのだろうか。
和歌にしろ庭園にしろ、特定の階級あるいは特定の人々が親しんできたものであって、ごく一部の人々にとっての美意識でしかない。
また、東北、北海道、沖縄ではそれぞれ文化が異なる(ただし、当時沖縄はまだ返還されていなかった)。東国と西国でも文化が異なるだろう。ともあれ、東北や北海道は含まれていないと感じた。日本の美が中央に集約されて語られることに疑問を感じる。

四季のあることは日本人の意識に何らかの影響を与えるだろう。けれども、ではなぜ四季に心象または心情を重ねるのか。そこが見えてこないため、スンナリ納得できなかった。
でもまあ、「序説」とあることだし、元々がスピーチだから限られた時間では深く語ることはできなかっただろう。
しかしながら、確かにこれらは伝統的に洗練された日本の美の一スタイルではあるだろうから、本書は日本の美ついての入門書としてはいいかもしれない。(2006/2/2)

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