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森ゆく人[麥書房版]/アーダルベルト・シュティフター

森ゆく人
シュティフター(アーダルベルト・シュティフター)

My評価★★★★

訳:松村國隆
麥書房(1987年4月)[絶版]
8200-2301-1098 【Amazon】
原題:Der Waldgänger(1847)


青年時代に心の滾るまま希望を求めて故郷を去ってから、長い歳月を経て祖国オプ・デァ・エンス(1784年、ヨーゼフ2世時代が帝国直轄領とした当時の上部オーストリアの呼称)へ戻って来た私。すでに妻は俤の人となっている。
私は祖国の丘陵やボヘミアの森、モルダウ河を散策しながら、かつて「森ゆく人」と呼ばれていた男を想い出す。

「森ゆく人」の素性は誰も知らないが、彼は蝶や植物、鉱物など森のあらゆることに詳しい老人で、好んでいつも森を散策していたので、そう呼ばれるようになった。
彼は森番と親しくなったことから、幼い森番の息子が彼の後をついてくるようになった。二人は夏も冬も森を散策する。老人は少年に文字を教えるようになった。
少年は森ゆく人を敬愛していた。そして、いつまでも彼と一緒にいたいと言う。だが森ゆく人は、いつしか少年も自分の世界を試すために、彼や両親を残して出て行くだろう。新しい若枝が古枝から離れて伸びていくように、世代は次々に成長して替わっていくのだと諭す。

事実、森ゆく人もかつてはゲオルグと呼ばれ、両親のもとを離れて、大学で勉学に励んだ。しかし在学中に両親が亡くなり、天涯孤独となった彼はあちこちを放浪した末に、同じ境遇の少女コローナと出会う。
彼とコローナは結婚して家を持ち、温かな家庭を築く。そして、何不自由なく12年以上もの歳月が過ぎた。ただ一つのことを除いは・・・。

********************

結論から言うと、ホロ苦い物語。[第一章]で老人が森番の少年を旅立たせたように、かつては老人=ゲオルグもそうやって旅立ったのだ。それは冒頭の語り手も同じである。この作品は結末から冒頭へと引き継がれていく。引き継がれることに意味があるのだと思う。
なぜゲオルグが「森ゆく人」になったのか?すべては[第三章]の彼とコローナの関係にあるのだが、ネタバレになるためこれ以上書けないのであしからず。

コローナの心情はわかるけれども、彼女の意見には説得力が感じられない。物語の山場となるべき肝心な箇所なのだが、彼女の持論が脆弱なのだ。ためにコローナの言い分には納得できない。
私にはこの作品の構成が甘く感じられる。それは説得力のなさと、感傷的なまで美化された風景にあるのだと思う。
オプ・デァ・エンスは淡青色の霞たなびくロマンティックな地で、風景もボヤミアの森を徘徊する老人と少年も、センチメンタルに描かれている。風光明媚な土地で、真冬でさえ美しい。ロマンティックとかセンチメンタルに感じるのは、自然の峻厳さや荒々しさがまったくなくて、<美化>されすぎているように感じる。

しかし実はこの作品、完成されたものではない。一度は発表されたが、それをシュティフターは改作しようとしていたという。作者としても不本意なところがあったのだろう。しかし、改作できないまま没してしまった。
「訳者覚書」で作者の経歴を知ると、ゲオルグとコローナが作者の分身であることがわかる。この経歴を知ると、作者が改作しようとして成し得れなかった心情もわからなくはない。(2001/10/23)

追記:2008年5月、松籟社よりシュティフター・コレクション3『森ゆく人』刊行。同時収録「私の生命 自伝的断片」。どちらも松村國隆訳。【Amazon

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