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すべてがちょうどよいところ/キム・R・スタフォード

すべてがちょうどよいところ
キム・R・スタフォード

My評価★★★★☆

訳:今泉敦子
パピルス(1995年12月)
ISBN4-938165-16-3 【Amazon
原題:HAVING EVERYTHING RIGHT:Essays of Place(1986)

目次:はじめに     北西部を名づけて    /外界へ、チョーサーと宇宙飛行士たちとともに/ウィズダムまであと数マイル/命を救った物語/十二月の瞑想     キャンプ・ポーク墓地にて    /五月初旬の散策/もうひとつの炉辺/マツ、モミ、ヒマラヤスギ、イチイ/英雄時代としての大恐慌/ローカル・キャラクター/リバー&ロード/シスローの踊る熊/納屋と蜜蜂


米オレゴン州で生まれ育ったキム・R・スタフォード(1949年生まれ)による、アメリカ北西部への想いを綴ったエッセイ集。ネイチャーエッセイと言えるかと思う。
北西部の海岸地方に住むクワキトゥル族は地名を名付けるときに、それ(場所)が何であるかではなく、そこで何が起きるかによって名付けるという。
クワキトゥル族の人々が木の実を持ち寄って分かち合い、踊ったり物語を交換しあったりして、ゆとりのあるよき日々を過ごす場所。その場所をクワキトゥル族は『すべてがちょうどよいところ』と名付ける。日々の暮らしの中からみつける、暮らしの中にある場所。

著者にとっての<すべてがちょうどよいところ>は何処か?彼はもっと自然の残された田舎でも都会でも異国の地でもなく、生まれ育った北西部に探し続ける。
<探す>と言うのは適切ではなく、すでに在るものに耳を澄まし眼を見開く、と言ったほうがいいかもしれない。そうして自然とともに生きる術、自然によって生かされる術に身を浸す。かつて人々は自然の中で生き、自然から学ぶ。
失われたあるいは失われつつある北西部の自然と人間との関係。著者はそういった失われつつあるものへのへの想いを語り、現代に受け継ごうと努力し続ける。
そして、自分の居場所は故郷の北西部だと言い切るスタンスは、羨ましいほど潔い。「自分の居場所はここだ」と言い切れる人は、一体どれほどいるだろう。

********************

「ウィズダムまであと数マイル」で、著者はモンタナ州ウィズダムの国立戦争記念地を訪れる。
1877年8月にアメリカ陸軍兵とネズパース族との戦いで、ネズパース族の戦士<五つの傷>(ファイヴ・ウーンズ)は同士との誓いを守り自ら命を絶った。その<五つの傷>の死後から現在まで、かつての戦場で連綿と儀式が続けられていることを知る。その場所を示すのは、ネズパース族の誰かが絶えず木の枝に下げたリボン。
これ以前の作品では観念的な傾向が強く感じられるのと、著者の思考が飛んでいるため、文脈を掴みにくい箇所があるからだ。私としては「もうひとつの炉辺」以降のエッセイが好み。

以降の作品では、著者の家族の歴史や身辺の人々に触れており、より具体的な内容になっている。著者は周囲の人々との交流などを含む、自身の体験を語る。体験に裏付けられているため説得力を感じる。
私は、幼いころの著者と祖母との関係を綴った「もうひとつの炉辺」。熊と猟師との一瞬の眼差しによって霧消する相克「シスローの踊る熊」。朽ちた納屋の解体作業を続けながら、木と蜂と出入する人々について語る「納屋と蜜蜂」などが気にいった。

全般的にややセンチメンタルではあるが、スーッと心に伝わってくる。開放感的で清々しくてどこか詩的さがある。アメリカ北西部なんて映画以外では見たこともないのに、既知の土地のように思われて、ちっとも違和感を感じないのはなぜだろう。すでに親しみのある土地のように思えるのだ。この居心地の良さはなんだろう。
木立の下や草原で寝転んで読んだり、まだ陽が落ちきらない時刻に、焚き火の傍らで読むのが似合いそう。燻った焚き火の煙り、樹木の匂いがしそうな気がする。夜にベッドで読むよりも、野外で皮膚や五感に自然を感じながら読みたい本。それは自然の中で心を開放する、ということなのかもしれない。(2003/9/8)

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