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魂のジュリエッタ/フェデリコ・フェリーニ

魂のジュリエッタ
フェデリーコ・フェッリーニ(フェデリコ・フェリーニ)

My評価★★★

訳:柱本元彦,序文:トゥリオ・ケージッチ
青土社(1994年12月)
ISBN4-7919-5356-9 【Amazon
原題:GIULIETTA(1989)


フェデリコ・フェリーニ(1920-1993)唯一の小説。1965年に公開した映画『魂のジュリエッタ』【Amazon:DVD】の第一草稿として執筆したという。メモの類等を一切人目に触れないようにしていたフェリーニが、例外として出版。序文のトゥリオ・ケージッチは、フェリーニと旧知の映画評論家。

ジュリエッタは女友だちと降霊会に参加する。あるとき『オラフ』という奇怪な生き物だか精霊が現われる。
母と二人の妹はとても綺麗なため、彼女らに比べて自分を卑下するジュリエッタ。美しく厳格な母。ファシスト政権の幹部だった父。しかしその父は、実父ではなかった。
少女の頃のジュリエッタは、実の父が自分を探し出して連れて行ってくれることを夢みていたが、いまは結婚して夫と睦まじく暮らしている。その夫が寝言で「ガブリエッラ」と口走った!

ジュリエッタは夫が浮気しているのではないかと煩悶する。そう言えばこのところ、夫は多忙とだと言って留守がちだ。ジュリエッタは悩んだ末、興信所に夫の素行調査を依頼する。浮気は確定したが、ジュリエッタは夫に何も切り出せない。
そんなジュリエッタの前に、イリスやカサノヴァ、いまは亡きおじいさんが現われる。やがてジュリエッタは現実と幻覚の境が曖昧になっていき・・・。

********************

ケージッチによると、映画とはちょっとした相違はあるが、本質的には変わらないとのこと。
フェッリーニの妻で女優のジュリエッタは、『魂のジュリエッタ』の主人公とは一切共通点はないと述べ、確かに、あちらこちらに、わたし自身のものや他の人たちのものもありますが、根本的にはフェデリーコのどの登場人物も彼自身の肖像なのです(p13)と語っている。この点が重要で、作中のジュリエッタにフェリーニを重ね合わせることで、作品の意図がわかると思う。
残念ながら小説として優れているとは思えないのだが、フェリーニを知る上では興味深いテクストとなるだろう。

映画『魂のジュリエッタ』は、『8 1/2』(1963)と『アマルコルド』(1973)との間に撮影されている。この時期のフェリーニは、公私ともに行き詰まっていたという。
行き詰まりからの脱却、それが『魂のジュリエッタ』ではないのか。脱却ではなく、「放棄」と言えるのかもしれないが。
ジュリエッタは、破局へと向かう状況や選択肢に惑わされ、精神的にバラバラにされる。バラバラになった状況と自身を後に残し、すべてのしがらみを俯瞰する高みへと昇ってゆく。それは自己からの脱却、「昇華」ではないだろうか。

映画は商業的には成功しなかったそうだ。表現が不十分で理解されなかったらしい。ケージッチも訳者も、映画より小説の方がより理解できる形になっているという。
私はこの映画は観ていないのだけれど、幻想的なところは『8 2/1』の女性版という感じがしなくもない。(2003/9/24)

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