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ラデツキー行進曲/ヨーゼフ・ロート

ラデツキー行進曲
ヨーゼフ・ロート

My評価★★★★★

訳・解説:平田達治
鳥影社(2007年1月)
ISBN978-4-86265-055-9 【Amazon
原題:Radetzkymarsch(1932)


ハプスブルク家の没落とオーストリア=ハンガリー二重帝国の崩壊と運命を共にする、新興貴族のトロッタ家三代を描く歴史小説。時代背景は1859年のソルフェリーノの戦いから、1916年の老皇帝フランツ・ヨーゼフ一世の崩御まで。

ソルフェリーノの戦いで、トロッタ少尉は皇帝の命を救う。その恩賞で大尉に任ぜられ、貴族の称号を授かり、ヨーゼフ・トロッタ・フォン・ジポーリエ男爵となった。
一下士官の息子でしかない彼は、突然の貴族という身分になじめなかった。彼はジポーリエ村のスロヴェニア人であり、先祖はスラヴの農民なのだ。
また、教科書載った『ソルフェリーノの英雄』の話が事実を粉飾していたことにも、彼には堪えられなかった。
彼は退役してボヘミアの地へ隠棲し、スロヴェニアの先祖伝来の小農のように暮らす。あるとき肖像画が描かれ、この絵とソルフェリーノの英雄という名誉が子孫へ遺される。上級官庁だけが知りえる皇帝の恩顧も。

息子フランツ・フォン・トロッタ=ジポーリエは父の意思で官吏になり、やがて郡長となった。頬髭は、ヨーゼフ一世に仕えることと王党派の証しであり、オーストリア人であることに誇りを持っていた。
毎日曜の演奏会は、郡長のバルコニーの下で行われ、楽団によるラデツキー行進曲で始まる。

その息子カール・ヨーゼフは父の意向により、幼いころから軍人となる教育を受け、長じて軍人となる。
若きカール・ヨーゼフは、地方での兵営暮らしをするが、周囲に溶け込めなかった。祖父のような英雄にはなれず、父のように帝国に献身することもできず、軍人であることにも馴染めなかった。彼は同じように周りから浮いているドクター・デーマントと親友になるのだが・・・。
カール・ヨーゼフは転属を志願し、ロシア国境に近い駐屯地での勤務に就く。
世間では労働集会や社会民主主義者たちが現れ、駐屯地でもストライキが勃発。そんな最中、彼は恋と死、不祥事を経験してゆく。しかし、どこにも自分の生きる道を見い出せない。
そして1914年6月、皇太子がサラエボで殺害されたとの報が届いた。

********************

ラデツキー行進曲とはシュトラウスが作曲した行進曲で、ヨーゼフ・ラデツキー・フォン・ラデッツ伯(オーストリアの名将)の武勲を讃えたものだという。これはハプスブルク家、オーストリア=ハンガリー帝国の栄光を讃えた曲と言えると思う。

ソルフェリーノでの大敗といった、ハプスブルク帝国凋落の兆し。やがてサラエボ事件が起こり、フランツ・ヨーゼフ一世が崩御し、帝国は没落する。トロッタ家三代は、こうした帝国と運命を共にする。帝国の瓦解とトロッタ家の瓦解が重ね合わせられている。
正直言ってカール・ヨーゼフにはウンザリさせられた。意志薄弱というよりも、自分の意志を持たないのだ。よく3代目は家運を傾かせると言うが、その典型。無力・無能さにおいては皇帝に重ねられているように思われ、彼の行動は祖父と重ねられる。だが祖父と孫には大きな隔たりがある。それはカール・ヨーゼフが帝国の没落を感じているからだと思う。
その姿は、途方にくれているというのが近いのではないかな。しかし彼だけでなく、他の人々も没落をひしひしと感じている。

サラエボでの皇太子暗殺事件は、ご承知のように第一次世界大戦の直接の引き金となったが、そこへ至るまでの兆候はすでに現れていただろう。発端となったのが、ソルフェリーノで露わになった帝国の弱体化なのだろう。
ソルフェリーノの戦いとは、イタリア統一・独立(北部イタリア解放)をめぐって、若き皇帝フランツ・ヨーゼフ一世率いるオーストリア軍が、フランス・サルデーニャ連合軍に大敗した戦い。ちなみに、スイス人のジャン・アンリ・デュナンはこの戦いの惨状を目にし、赤十字創設を決意したという。

巻頭に1918年当時の帝国の版図が載っているが、断片的には知っていたけれど、地図で見ると帝国の領土の広大さや、多民族国家ということがよくわかった。
私が意外に思ったのは、現ウクライナまでも含まれていること。当時のウクライナは、ポーランド領でもロシア領でもなかったのか。それと、トリエスト(現イタリアのトリエステ)までも含まれていたこと。

現代社会(ましてや日本)に生きる私にとっては、帝国主義、反民族主義というものはなかなか理解し難い。
明らかに貴族中心の身分社会であり、農民には発言権のない国家であるため、そうした帝国に郷愁・哀惜の念を抱く作家に反発したくなる人は、私だけではないと思うのだが。
ところが、帝国主義とか反民族主義というから語弊があるのであって、大陸における「帝国」とは要するに多民族国家を意味する。ロートはユダヤ人だが、ハプスブルク帝国下でのユダヤ人の待遇を知らないと、作中に漂う郷愁・哀惜の念を感じはしても、理解できなかったかもしれない。しかしそれはユダヤ人作家から見た帝国なのであって、ハンガリー人にとってはまったく違ってくるのである。

巻末に、訳者による「ヨーゼフ・ロートという作家」と、「あとがきに代えて     『ラデツキー行進曲』について」という文章があるが、どちらも本書を理解する上で非常に重要。
本作と解説的なものを読むと『聖なる酔っぱらいの伝説』についても理解が深まる。すでに『聖なる』を読んでしまっているが、先に『ラデツキー』を読めばよかった。

ヨーゼフ・ロート(1894-1939)は、ガリチアのブロディの東方ユダヤ人家庭に生まれた。ブロディはロシア国境に近く、現ポーランドと現ウクライナにまたがるのだそうだ。
ハプスブルク統治下のブロディはユダヤ商人の町として繁栄し、フランツ・ヨーゼフ一世時代にはユダヤ人の町であり、学校も建てられたのだそうだ。
帝国の崩壊と第一次世界大戦を経て、1918年にワイマール共和国が成立。ロートの故郷ウクライナは、ポーランドの支配下となった。
共和国の最後1932年、本作が共和国内のベルリンで執筆されたという。当時はナチス・ドイツ台頭の時代で、翌1933年にヒトラーが首相に任命され、これによってワイマール共和国の終焉となる。

ヒトラー政権下でユダヤ人たちがどのように扱われたかは言うまでもない。そのような時代と国家、ユダヤ人への待遇の激変を経たロートが、多民族国家の旧ハプスブルク帝国を懐かしみ、理想とするのは無理ないことだろう。
ただ、作者は帝国を100%理想としているわけではなく複雑な感情を抱いており、ときに皮肉めいていて、受け止めようによっては批判的だったり揶揄しているように思える部分が窺える。
要は帝国が過去の栄華という幻想に浸っていて、現実の社会に対応できないという点にあるのだろう。初代男爵が幻滅し憤りを感じたのも、この点にあると思う。
しかし、フランツ・ヨーゼフ一世はそれを理解している上に、なおも帝国の象徴として在り続けなければならない。己が無力で無能であると認識しつつ、さらに己の死によって帝国が崩壊すると知りながらも、帝国の礎であらねばならない・・・。その姿は哀れをもよおす。

全体に派手さはなく、どちらかといえば地味だが、ジックリ読ませてくれる。巨大帝国の没落、それは一時時代の終焉でもある。なんといっても実在した帝国と、同時代を生きた作家による作品なのだから、その想いは濃く深い。訳者のいうように、哀惜のこもった「鎮魂歌」というべき作品。
読後には、イライラさせられたカール・ヨーゼフも、誰も彼もが哀れでいとおしくなった。(2007/4/25)

追記:2014年、岩波文庫から上下巻の二分冊で刊行。同年7月に上巻【Amazon】、8月に下巻【Amazon】。

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