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色を奏でる/志村ふくみ

色を奏でる
志村ふくみ

My評価★★★★

写真:井上隆雄
ちくま文庫(1998年12月)
ISBN4-480-03432-3 【Amazon


1990年に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された染織作家・志村ふくみ(1924年生まれ)のエッセイ集。志村さんは紫綬褒章を受章したり、文化功労者に選ばれてもいる。エッセイストしても有名らしく、少なくない著書がある。本書は1983年に岩波書店から刊行された『色と糸と織と』を文庫化したもの。

この本を手に取ったのは、一つにはタイトルの良さ。<奏でる>というところがいい。色の持つ美しさを、奏でることによって引き出す志村さんの姿勢が表れた言葉だろう。もう一つには写真(オールカラー)にある。写真を見たとき、あまりの美しさにドキッとした。
染めは植物染料のみ、織りは機(はた)織。志村さんが染めて織った布の糸の一本一本がシッカリと捉えられていて、実に美しい。経(たて)と緯(よこ)の一本一本の糸が、織られることによって色彩の層を成し、布としての美しさを醸し出していることがよくわかる。「糸や布って、こんなに美しいものだったのか」と初めて思った。

化学染料と工場の機械織りではこうはいかないだろう。どれほど化学が進んでも、こういう色はできないだろうなあ。手仕事ならではの、やわらかで繊細な色、色糸が奏でるハーモニー、温かで緻密だけれども弱々しくない織り。
なんと言うのかなあ、色っぽいんだよね。匂い立つような色っぽさを感じる。セクシーという意味ではなくて、例えば桜や梅の蕾が膨らんで色づいたときの馥郁とした感じがする。

「色をいただく」というタイトルが付けられたエッセイがあり、「いただく」という表現もまたいい。普通の人ならこういう言葉は出てこないだろう。自然界にある色をいただくのだ。植物染料を使う染色家ならではの言葉ではないだろうか。

「藤原の桜」という一篇では、群馬県の藤原湖の畔にある小さな中学校で、生徒に染めを教えたときのことが語られる。桜を使って染めるのだが、どうしても桜色(薄桃あるいは薄紅色)にならず、赤みを帯びた黄色に染まったという。生徒たちはガッカリするが、志村さんはこれが藤原の桜の色だと言う。藤原には藤原の色があり、他の地では生み出せない色があるのだそうだ。
桜色というと薄桃色を思い浮かべるのだが、桜にも多品種あり、藤原の桜は黄色い花なのだそうだ。ましてや同じ桜を使っても同じ色にはならないという。同じ品種でも、土壌によって多少色が異なるのかもしれない。

読んでいて不思議に思ったのは、草木の染液から、直接緑色を染めることはできないという。青と黄を合わせることによって、緑色にするのだそうだ。周りには緑の草木がたくさんあるのに緑色ができないなんて、不思議だなあ。自然界にある緑色というのは、うつろいやすくて捕まえることのできない色なのだろうな。
植物から生み出される様々な色、植物が秘めている色、様々な美しい色を生み出す自然の不思議。色は生きているのだなと思った。(2005/9/17)

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