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大理石/ヨシフ・ブロツキー

大理石
ヨシフ・ブロツキー(ブロツキイ)

My評価★★★☆

訳:沼野充義
白水社(1991年3月)
ISBN4-560-03356-0 【Amazon
原題:MARBLES(1989)


終末後二世紀、高層建築のマンション風監房を舞台とし、性格の異なる二人の登場人物によって進行する戯曲。
ティベリウスは、あらゆる時代を通じて世代の6.7%の人間が監獄に閉じ込められているというデータを元に、死刑を廃止し、平均をとって市民の3%が囚人して刑務所で過ごさなければならないとした。
それをローマ帝国の元老院は法令化し、罪の有無とは全く異なる次元で3%の市民を選出。選ばれた者は、一生を監房で過ごす。

1750号室にはトゥリウスとプブリウスがいる。彼らはバストイル付きのホテルのような部屋で暮らし、ほしいものはベッドサイドのボタンを押し、エレベーターで取り寄せることができる。ただし、増えた重量分だけ、他の物を返却しなければならない。
散歩のときはスクリーンに、森や公園などの三次元映像が映される。
トゥリウスは古典詩人の本を読んで超然と過ごす。しかしプブリウスは下界に未練がいっぱい。この塔を抜け出したい(つまり脱獄したい)が絶望感に浸るプブリウスに対して、トゥリウスは脱獄可能なことを証明してみせると賭ける。
しかもトゥリウスは、眠りによって空間を超越しようとする。

********************

訳者あとがきによると、1982年にロシア語によるオリジナル版が完成し、1984年にアメリカで出版。英訳は1989年に刊行。英訳にはブロツキー自身が訳者として加わっている。1986年にニューヨークでの初演以来、欧米各地で上演されているとか。

時間に関する物語と言うべきか。白状すると、私にはブロツキーの作品はよく理解できない。私の読解力が足りないのだ。
翻訳されているブロツキーの本はすべて読んだけれども(この本を含めて現在4冊しか邦訳されていない)、ノーベル賞受賞講演の『私人』以外は掴み所がなくてよくわからないというのが本音。本書は戯曲なのでわかりやすいほうなのだが、どういう意味を秘めているのか考えると、やっぱりよくわからない。
掴もうとすると、スルリとすり抜けてしまう感じがする。時間と空間をどう捉えればいいのか、その関係性と、時間と空間における人間の位置がわからない。また、時間と空間の果てにあるものは何なのか。
そういった点を、訳者はあとがきで適切に示してくれている。

ブロツキーの逃走は、本質的には、人間の存在を拘束する「空間」から、人間にもっと大きな自由を与える「時間」への逃走という形で表現され、それをさらに突き詰めればすべては、果てしなく広がる灰色の時間の彼方から仄見えてくる至高の「言語」の問題に帰結する。(p132)
これがブロツキー文学の本質なのだろうと思われる。なるほど、空間から時間への「解放」ではなく「逃走」か。解放ではないとは感じていたけれど、逃走だったのか。

ブロツキーの場合、空間の上に時間があるのではなく(位置関係が縦方向ではなく)、空間と時間は並列に配置しており、自在に横方向にスライドする印象を受ける。
しかし、空間から時間への昇華という印象もなくはない。その行方を示すブロツキーの作品は、色にすれば確かに灰色だと思う。それを訳者は「行き止まり」と表現している。

本作をソ連時代に作者が投獄された体験と重ねてみることもできるだろう。だが私は、作者は個人的な体験ではなく、国家という次元で語っているのではないかと思う。
帝国は訳者言うところのユートピアはアンチ・ユートピアを包含している。この帝国は一国家を指し示すものではなく、ユートピア=アンチ・ユートピアという概念はあらゆる国に適用されると思うのだ。
このユートピア=アンチ・ユートピアは、閉塞的と言うか停滞していると言うか、未来へ向けて躍進するとは到底思えない印象を受ける。ああ、だから行き止まりなのか。なるほど。もっとも、よくわかっていないのだけれど。(2006/2/7)

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