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引き船道/ジェズス・ムンカダ

引き船道
ジェズス・ムンカダ

My評価★★★★★

訳:田澤桂子・田澤耕
現代企画室(1999年10月)
ISBN4-7738-9911-5 【Amazon
原題:Camì de Sirga(1988)


スペイン・カタルーニャ地方のエブロ川流域にある旧マキネンサ村を舞台に、村の人々による19世紀~20世紀にかけての出来事と、村人たちの精神史が語られる。
旧マキネンサ村は1970年代に、ダム建設のため家々が撤去された後に水没し、現在のマキネンサ村は別の場所に造られた。本作では、ダム建設が始まる1970年代を基軸として、水没した旧マキネンサを舞台としている。村の崩壊を機に、人々の脳裏に過去の出来事が次々と去来する。
1970年4月12日、一軒の家の解体が始まった。それを村人は、自分たちの共同体であるマキネンサ村崩壊の始まりと考えていた。実は村崩壊の兆候は13年前から始まっていたのが、それに気づく者はいなかった。

ストーリーを説明すると込み入ってしまうので、以下に主要な登場人物と出来事を挙げてみた。
マキネンサ村を二分する名家に、トラス家とサリェラス家がある。両家はともに特権階級に属すが、気風はまったく異なる。
トラス家のカルロタは父の跡を継いで、炭鉱と甘草エキス工場を経営し、運搬用の船を数隻所有している。カルロタは村人や炭鉱夫たちが自分に跪くものと考え、下々とは一切交わりを持とうとしない。
カルロタにとって村や村人は、トラス家の自分のために存在する。また、共和国制は特権階級を揺るがすとして許されないものだった。彼女は、村が移転する際には、邸宅を用意した村人たちに懇願されて引っ越すのが当然と考えていた。
一方、炭鉱や数隻の船を所有するサリェラス家の未亡人は、男出入りの噂が絶えないけれども、炭鉱夫たちの面倒見がよい姉御肌。密輸にも手を染める女傑で、合理的な考えの持ち主。

1970年、70歳のカルロタ・ダ・トラス夫人は、亡き父トラス氏の肖像が描かれた当時を思い出す。描いた画家は、古くからの地主だが没落しつつある名家のアレシュ・ダ・サガラ青年だった。アレシュは上流階級の出だが、老船長アルキメデス・キンタナを尊敬し傾倒していた。
老アルキメデスは誰からも尊敬され、1859年からモロッコで始まったアフリカ戦争の古参兵だった。彼はいまではトラス家お抱えの船長だが、特権階級を嫌い社会主義を標榜。その老アルキメデスが、キャバレー『エデン』にフランス女の美女マダム・フランスワを連れて来た!
当時は第一次世界大戦によって石炭の需要は急激に伸び、マキネンサ村は出稼人で賑わい、エデンも連日連夜大繁盛。マキネンサ繁栄の時代であった。

大戦後、ブルジョワジーによって独裁制が敷かれるが、世界恐慌を契機に独裁制から共和制へ。しかし党派、派内で分裂・対立が起こり政局が目まぐるしく変転するさなか、共和国制を支持したマキネンサの村人は弾圧される。男たちは蜂起するが、それ以外の人々は方々へ散り散りになる。フランコの登場によって内戦は長期化し、やがて独裁政治へ。
老アルキメデスに仕込まれた船長ネルソンは、村を離れる際に、自らの手で船を川底に沈める。船を徴発されないようにするためだった。そのネルソンには、結婚した後になって愛していると気づき、以後ひそかに想い見守り続けている女性がいた。

********************

ジェズス・ムンカダ(1941~)は、スペイン・カタルーニャの旧マキネンサ村出身。訳者あとがきによると、当初はイラストレーターであったが、40歳のころから小説を書き始めたのだそうだ。原書はカタルーニャ語で書かれたという。カタルーニャ語の文学賞でもっとも古いジュアン・クラシェルス賞受賞作とのこと。
巻末に『「引き船道」の時代背景』という、スペイン及びカタルーニャ地方の歴史がまとめられている。これによると、カタルーニャは共和国側の拠点であったため、そのナショナリズム諸共、フランコ政権時代に激しく弾圧されたという。スペインでも特殊な地域であったようだ。

マキネンサ村という小世界の歴史が語られることによって、人々の精神史が浮き彫りされる。炭鉱者たちの初めてのストライキ、戦争、内乱、変転する政局。迷走する政局への戸惑い。内乱や国政も、村の水没と移転も、村人たちのあずかり知らぬところで、物事が決められ進められることへの憤りと無力感。
ここには混迷の20世紀前半の西欧の歴史が凝縮されている。それはスペインだけでなく、西欧諸国や植民地にも通じるものだと思う。
しかし作者の意向は、歴史的事件そのものよりも、マキネンサ村という共同体で生きてきた人々の記録を著すことにあるように思われる。「村人たちが何を考えどう生きてきたか」という、マキネンサ村で暮らした人々の内面を描くことにあるのではないだろうか。

作者には過ぎ去った時代を懐がる気持ちはあるようだが、旧マキネンサ村が理想の楽園であり、古きよき時代であったと考えているとは思えない。ただ、マキネンサ村が失われたことで、共同体として村人たちを繋いでいた何かも失われてしまったことは確かである。
個々人の回想から様々なエピソードが展開してゆき、カタルーニャ及びマキネンサ村の歴史が時間を前後して語られるのだけれど、混乱しなかった。どちらかと言えば地味な作風だが、退屈せずに次々とページをめくった。翻訳というフィルターはあるが、時代背景にも関わらず陰惨でも悲愴でさは感じられない。落ち着いて安定した筆致だと思う。

登場人物が多く、複数の人物が次々に入れ替わって語り手となるが、混乱せずに読むことができた。その理由は、登場人物が書き分けられており、どの人物も魅力的だったことにある。多数の人物が登場するのだが、唯一人もぞんざいに扱われていないのだ。
きっぷのいいサリェラス未亡人、アレシュたちのひそやかに愛を育む姿、ネルソンの秘めた恋心、辛辣な批評家の薬剤師、マダム・フランスワの最期・・・。
ちょっとしか登場しない人物であっても生き生きとしている。普通ならばそれが却って混乱の原因となるところだろうが、そんなことがなかったのは、一人一人に作者の愛情と慈しみがこもっているからだろう。もちろん構成の巧妙さもあるだろう。

主要な語り手が常にカルロタであることが、登場人部の多さによる物語の混乱を防いでいると思われる。
傲慢・尊大なカルロタでも、若かりしころに恋(不倫)をする。でも、相手も高慢ちき。似たもの同士ということか。カルロタはとても好きになれないが、エピローグでの親族の仕打ちには哀れをもよおさずにいられない。
だが、私はサリェラス未亡人が好きだな。カルロタはその倣岸さゆえに時勢を見極めることができないが、サリェラス未亡人は合理的に先行きを予測し決断する。しかも情に厚く面倒見がいい。「色キチガイ」と呼ばれることより「婆さん」と呼ばれることを嫌った愉快な性格なのだ。カフェの主人の言葉ではないが、うん、いい女だったよ。(2005/4/12)

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