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西洋中世奇譚集成 東方の驚異/逸名作家

西洋中世奇譚集成 東方の驚異
逸名作家

My評価★★★★☆

訳・解説:池上俊一
講談社学術文庫(2009年5月)
ISBN978-4-06-291951-7 【Amazon

収録作:I アレクサンドロス大王からアリストテレス宛の手紙[ラテン語]/II 司祭ヨハネの手紙(1)[ラテン語ヴァージョン]/III 司祭ヨハネの手紙(2)[古フランス語ヴァージョン]


薄い本なのですぐに読めてしまうが、西洋中世人(私としては12世紀フランス人)を理解する上で、他にない貴重な資料だろう。大事な点は、本書で語られる世界を、当時の人々が(おそらく)信じていたことだ。
三つの手紙には、アラブ世界への憧憬、ハッキリいえばアラブの持つ富への執着が描かれている。司祭ヨハネの手紙(1)と(2)では、アラブ侵略(十字軍)におけるフランク人のメンタル面がうかがえる。フランク人にとってのアラブとは、という点である。また、十字軍と時を同じくしてフランスでゴシック様式が興るのだが、ゴシックの精神性という点でも、とても興味深い。

『皇帝の閑暇』と併せて西洋中世人の奇怪な想像力を理解する上で、当時の西欧は国土のほとんどが森林と原野で、都市及び農村は絶海の孤島の如く孤立していたことを留意すべきだろう。
現代と異なり、灯りが煌々とともることはない。闇に包まれていたであろう当時の生活様式を念頭におくべきだろう。一般的に人は陽の光の下で魑魅魍魎を想像することはないが、闇が恐怖を育むのである。(森林に囲まれた)閉塞感と闇が、人の精神に影響し、様々な想像力を刺激するのだと思う。
閉ざされた闇への恐怖は、ハリウッドのホラーやパニック映画の常套手段となっている。現代人であったとしても、人の恐怖心あるいは好奇心を掻き立てるのだろう。

アレクサンドロス大王からアリストテレス宛の手紙[ラテン語]
アレクサンドロス大王が東方遠征の途中、インドの奥地に向かったという設定によるインド見聞記、という偽書。現代人からすればいかにも偽書という感じなのだが、この手紙は後世に多大な影響を与えており、その影響は『司祭ヨハネの手紙(2)』にも見受けられるのである。

解説によれば、アッリアノスによる『アレクサンドロス大王東征記』が3世紀から13世紀まで、ギリシャ語、ラテン語、各国の俗語で書き・語り継がれ、12世紀末から「アレクサンドロス大王もの」という一大サークルが流布していったという。
本書のアレクサンドロス大王ものは、7世紀頃に作られたのではないかという。古英語、中世アイルランド語、アイスランド語、フランス語など多くの俗語にも訳されたのだそうだ。俗語に訳されるということは、ラテン語を解する一部の教養人以外の一般庶民に広まっていった、ということになるはず。文字が読めなくても、口伝が可能になったということだろう。
当時のインドは現代とは地理的概念が異なり、アジアとアフリカをも含む。ここで描写されるインドはユートピアなどではなく、様々な怪物の跋扈する、まさに人外魔境。ここから煉獄のイメージがきているのだろうか、それとも逆で煉獄のイメージが投影されているのか。

司祭ヨハネの手紙(1)[ラテン語ヴァージョン]
私が最も知りたかったのが、プレスター・ジョン伝説。東方にあるというヨハネの王国(神の国)の伝説のこと。
プレスター・ジョン伝説は大航海時代にも深く関わっていて、大航海を推進させた主な理由は三つあり、香料、奴隷貿易、プレスター・ジョン伝説といわれている。
日本人が書いた西欧中世の大概の本に「プレスター・ジョン」という言葉は出てきても、その内容まで語られることがないため、本書は貴重だと思う。

このラテン語ヴァージョンは偽書。プレスター・ジョン伝説のおそらく初期のものではないのかなあ。
解説によれば、東方の謎の帝王=司祭について言及しているのは、12世紀ドイツの年記作者オットーが、1145年の項で簡単に触れたのが初出なのだそうだ。
シリアの高位聖職者ジャパラ司教が、近年陥落したエデッサ回復の力添えを教皇に陳情するために派遣されたとき、前年(1144年)にペルシャのイスラム教徒が、「ヨハネ」と呼ばれるネストリウス派の王にして司祭によって、敗北を喫したことを伝えた。このジャパラ司教の情報の裏に、訳者はカラキタイ族の中のネストリウス派キリスト教徒の存在と、セルジューク=トルコによる中央アジアの情勢が絡んでいるとみている。
「司祭ヨハネの手紙」は遅くとも1165年にはヨーロッパ各国に知られ、人気を博し民衆を熱狂させたとか。ラテン語オリジナルは1150~1160年にかけて作られたと、一般的に考えられているという。

手紙の内容は、東方で広大なキリスト教国を治める王であり司祭であるヨハネが、ロマニアの指導者マヌエル(ピザンツ帝国マヌエル1世)に向けて、自分の王国がピザンツ帝国とは異なり、いかに神の国であるかという自慢。明らかに『アレクサンドロス大王からアリストテレス宛の手紙』の影響を受けており、荒唐無稽&人外魔境ぶりは五十歩百歩。だが、自動で音楽を奏でる金の鳥(ロボット)について書かれていたりする。
ここで注意したい点は、やはり天国における煉獄であろう。『皇帝の閑暇』で触れられているが、当時の天国という概念は、現代人が想像するものと非常に異なるのである。従ってユートピアというものも、現代人が想像するところと異なるのだろう。

司祭ヨハネの手紙(2)[古フランス語ヴァージョン]
本書に収録された三つの手紙のうち、最も重要なのがこれ。古フランス語ヴァージョンは、ラテン語ヴァージョンを踏襲しつつ、話を整理して合理化し、筋をつけたもの。1240~150年前後に作られたと考えられているという。ここで語られる異形の棲む世界は、元を辿れば「アレクサンドロス大王からアリストテレス宛の手紙」を引き継いでいるわけだ。
手紙はヨハネが力、富、キリスト教としての資質、己の教国がいかにキリスト教的であるかという点を誇示したもの。ラテン語ヴァージョンとの相違は、政治的な内容になっていることだろう。「キリスト教及び教徒」と「富」を前面に打ち出しており、さらに聖地を異教徒から解放するための援助を申し出ているのである。
注目したいのは信仰と富がセットになっていること。当時は信仰と富が分離していないことが一般に理解される状態だったわけだ。これは非常に重要なポイントだと思う。

この時代の出来事として、避けて通れないのが十字軍。訳者は解説で、ラテン語ヴァージョンと古フランス語ヴァージョンの手紙に関わる年代を挙げている。十字軍を念頭においているのだろう。
それぞれの年代において符合する出来事があり、フランク(フランス)がアラブ世界で逆風に立たされていた時期と一致する。
この手紙は、アミン・マアルーフ『アラブが見た十字軍』(ちくま学芸文庫)と併せて読むと面白い。司祭ヨハネの手紙が俗語で流布した(流布させた)意図が見えてくる。「富」が強調されている理由もわかるように思う。
もう一つ注目したいのは、古フランス語ヴァージョンで異教徒が人間扱いされていないことだ。異教徒は人間ではないのである。これに関わるエピソードも『アラブが見た十字軍』で触れられている。

要するに、この手紙はアラブ世界で苦境に立たれたフランク人を救うため、つまりはアラブ世界での支配権を握るために、民衆を扇動し鼓舞させるためのものではないのか。時代背景を考えればそうとしか思えない。
また、正史では初回見十字軍を聖地巡礼としているが(それは一面でしかないのだが、ここでは置といて)、ではその宗教的情熱とはどのようなものであったのかについては、一般的な西欧史の本で語られることはまずない。しかし、この手紙でアラブ世界を侵略するフランク人の宗教的情熱、つまり彼らにとっての正当性と、彼らにとってのアラブ世界のイメージを知ることができる。どちらも十字軍を知る上で重要な点だろう。(2009/9/11)

西洋中世奇譚集成 皇帝の閑暇
+西洋中世奇譚集成 東方の驚異
西洋中世奇譚集成 聖パトリックの煉獄

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