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月は沈みぬ/ジョン・スタインベック

月は沈みぬ
スタインベック(ジョン・スタインベック)

My評価★★★

訳・解説:龍口直太郎
新潮文庫(1971年5月改版)[絶版]
0197-210102-3162 【Amazon】
原題:The Moon is Down(1942)


その日曜日、市民に人気のある商店主コレルの手引きで、市は戦闘を経ずしてあっけなく占領された。犠牲者は6名のみ。オーデン市長は、侵入軍のランサー大佐に会見を求められる。
ランサー大佐は、石炭を掘るため鉱山の仕事に従事するよう、市長から市民に命令を下すよう要請する。しかし市長は、独裁国から来た占領軍にはわからないだろうが、人々は命令されるのを好まないだろうし、自分には命令する権限はないと言う。権威は市長ではなく市そのものにあり、人々の行動を決定すのは市(市民)そのものにあるのだと。
市民は何が起こったのかわからないまま、占領軍によって鉱山の仕事に従事させられる。諍いによって占領軍の大尉が殺され、犯人の男モーガンは、占領軍による裁判にかけられた上で処刑された。この事件を引き金にして、市民の間に燻っていた不満が抵抗へと向う。

占領軍の仕官たちは、自分たちが秩序と平和をもたらした者として市民から尊敬されるはずだと意気揚揚としていたが、やがて自分たちが歓迎されず憎まれ、市民の監視のなかにあることを知る。
ランサー大佐は経験によって、占領軍が歓迎されないこと、押し付けの秩序や規律が受け入れられないこと、市民は決して敗北しないことを知っていた。また占領した側の軍人が、やがて憎まれるべき存在であることも知っていた。だが彼は軍人であり、そのため己の心情とは別に司令部の指示を遂行しなけばならなかった。
コレルは反逆を指揮しているのは市長であり、彼を監禁した後に処刑して見せしめにすれ治まると、ランサー大佐に進言する。そのためコレルは、司令部からの権限を得ていた。ランサー大佐はコレルの意見に懐疑的で、市民たちは決してあきらめないことを知っていたが、彼には止める術はなかった。

********************

戯曲的な文体で書かれた作品。明示されていないが、占領軍はナチスドイツであることがわかる。市は地理的にヨーロッパに位置するが、モデルはアメリカだ。
占領軍による弾圧に対して、人間性を求めて抵抗する市民。オーデン市長は占領軍の代表に言う。あなたにもあなたの政府にも、物事の道理がおわかりにならんようです。世間広しといえども、何世紀にもわたって敗北に敗北を重ねたという記録をもっているのは、あなたの政府と人民だけです、しかもその敗北はいつも人間を理解しないところから起こっているのです。(P96)
ランサー大佐はオーデン市長を尊敬して意見を同じくする。占領軍とはいえ人の子であり、個人的にはわかり合えないことはない。だが大佐はあくまで軍人として任務に忠実で、自分の行動に悩んだりしない。
オーデン市長は抵抗運動に影で手を貸すが、和解という考えはまったくない。また、夫を処刑されたモーガン未亡人の復讐は、結局のところ周囲から判強制されたようなものではないのか。
結局すべては力に対する力での応酬でしかなく、誰もが力に依存しているため、根源的には何も解決しない。誰もが侵略という人権蹂躙に対して憤慨していても、戦争行為そのものを非難しているようには感じられないのだ。そう感じるのは私の読解力の問題なのかもしれないが・・・。それとも訳の問題なのだろうか。

それでもこの作品は、第二次世界大戦中に書かれたということで注目に値する。解説によるとパール・ハーバー直後に発表されて、アメリカ国民から猛烈な非難を受けたと言う。そんな戦況のなかで、敵国人だからと闇雲に誰を彼をも憎むのではなく、非難すべき対象をハッキリさせて、敵国人に人間性を見い出そうとした作者の姿勢は評価されるべきだろう。
解説者も言っているが、当時の日本だったら絶対に発禁の憂き目にあっていた作品が、アメリカでは刊行されたという事実。この作品の存在そのものが、日本とアメリカ社会との違いを改めて感じた。(2002/5/15)

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