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さくらんぼの性は/ジャネット・ウィンターソン

さくらんぼの性は
ジャネット・ウィンターソン

My評価★★★★

訳:岸本佐知子
白水社(1991年11月)
ISBN4-560-04468-6 【Amazon
原題:SEXING THE CHERRY(1989)


17世紀、ピューリタン革命の嵐吹き荒れるロンドン。闘犬の世話をする巨体で怪力の犬女(ドッグウーマン)は、テムズ川で赤ん坊を拾った。赤ん坊はジョーダンと名付けられ、舟に憧れる少年に育った。やがてジョーンダンは王室庭師トレードスキャントと共に、海の彼方の世界へと旅立つ。

ジョーダンはトレードスキャントを手伝いながら、塔に閉じ込められた娘や、十二人の踊る王女たちを一人ずつ訪ねた。愛について知りたかったのだ。そして王女たちの口から結婚までの経緯と、結婚後の生活を聞く。だが末の王女フォーチュナータは婚礼の日に、空を飛んでどこかへ行ってしまったという。
ジョーダンは恋によって破滅した町を抜け、現実と幻想の世界を航海してフォーチュナータを捜し求める。
犬女はジョーダンの帰りを待ちながら、信念を持ってチャールズ王を断頭台に送ったピューリタンを殺戮してゆく。犬女が愛しているのはジョーダンだけで、彼が傷つくこと意外、何も恐いものはなかった。

********************

愛とは何かを求めるジョーダンと、恋愛は特に必要のないものと思っている犬女(ドッグウーマン)。ジョーダンと犬女の物語が交互に語られる。やがて現実と幻想と時までもがシャッフルされ、お伽噺の世界から現代まで、作者の想像力は縦横無尽に駆け巡る。
その作品世界は、まるで時間という観念が意味のないことのように感じられる。また性や、ピュアと残酷さには区別が存在しないかのようだ。

ジョーダンと犬女は愛を通じて見る世界の別々の面を表しているだけで、源は一つではないかと思う。ロゴスがジョーダンなら、パトスが犬女かな。
犬女は「理不尽なもの全てを解体する無敵の女」というイメージが強い。ピュアだから残酷になれるのか?そもそも犬女には残酷という感覚がない。不思議なキャラクターだが、彼女の行動様式については後半で明らかになる。

ジョーダンは育ての親の犬女があまり愛情表現をせず無口なので、自分のことを愛していないのだと思っている。
一方、犬女はジョーンダンをとても愛しく思っている。そして自分ではおしゃべだと思っているが、ジョーダンから無口だと言われて驚く。二人の気持ちが通じ合っていないところに、一抹の淋しさを感じる。
しかしこの作品では結局、誰もがお互いに理解し合えていない。そもそも安易な相互理解を拒絶しているようだ。

現実の楔から解き放たれたフォーチュナータ。彼女は世俗に影響されない世界に住む。ジョーダンは幻想の世界を旅することで現実から遊離してゆく。犬女は納得できない現実を暴力によって破砕してゆく。
思うに「現実の干渉にどう対応するか」ということが、この作品の核になっているのではないのかな。

備考:1997年10月、白水uブックス化【Amazon】(2001/12/16)

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