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赤い手の王/グスターボ・アドルフォ・ベッケル

赤い手の王
グスターボ・アドルフォ・ベッケル

My評価★★★☆

監訳:日比野和幸・野々山真輝帆,解説:野々山真輝帆
カバー画・挿画:丸尾愛
彩流社(1995年5月)
ISBN4-88202-348-2 【Amazon

収録作:緑の眼(伝説)/赤い手の王(インドの伝説)


グスターボ・アドルフォ・ベッケル(1836-1870)は、スペイン・ロマン主義における最大の詩人で、スペインを代表する詩人の一人だという。また、ジャーナリストでもあった。

2篇とも官能と理想を求めて現実と幻想世界が交錯し、生と死を越えた幻想の彼方へと羽ばたくかのような幻想小説。その描写力は官能的で神秘的で、美しくも儚いかのようなビジュアル的イリュージョンに満ちている。
『緑の眼』はソリアの伝説に因んでいるという。対して『赤い手の王』は、現実の土地に取材しない完全なオリジナル。どちらも文語体。この文体はおそらく、原詩の持つ神秘的なムードを忠実に再現するための選択ではないのかな。

緑の眼(伝説)(Los ojos verdes.1861)
アルメナール候の長子フェルナンドは初めての狩りで、勢子頭の止めるのも聞かずに獲物を求めて、禁断の「アラモスの泉」に分け入った。泉を恐れた勢子たちは、誰一人フェルナンドに追従しなかった。泉には悪霊が住んでおり、泉を汚す者には禍がふりかかるという。
その事件から後、フェルナンドは顔色が悪くなってふさぎこむようになった。泉に住まう女人の緑色の瞳に魅入られたからだった。

********************

この世ならぬ存在の緑の眼に魅入られた若者フェルナンド。ストーリー的には目新しいとは言えないが、なんといっても絵画的な描写力が秀逸。
彼岸と此岸の狭間に位置するかのような湖で、一瞬エメラルド色の水草かと見紛う、緑の萼。魔性なのか精霊なのか判然としない女人の妖しいほどの美しさは、緑の眼にのみ集約される。

赤い手の王(インドの伝説)(El caudillo de las manos rojas.1856)
ダッカ国の詩人たちがこぞって讃美する麗しのシアナ。彼女はオリッサの王ティポ・デリの許婚で、弟プーロ・デリの情人。そのシアナをめぐって、王ティポ・デリと、弟プーロ・デリが対峙する。
プーロは兄を討ち倒してシアナを娶り、ダッカ王となる。だがその両手は、兄ティポ・デリの血で赤く染まり、どんなことをしても決して消えることはない。
プーロは手の血を消すための償いをすべく、バラモンの隠者に助言を求める。そして助言に従い、シアナと共にチベットへの巡礼へと旅立つ。
シヴァ神は彼に償いをさせようと誘惑する。シヴァ神と対立するヴィシュヌ神は彼を見守り、幾度も失敗した彼にチャンスを与え続ける。プーロの償いは、命には命を要求するシヴァ神と、憐れみと慈しみのヴィシュヌ神の闘いでもあった。
プーロに残された最後のチャンスは、国に戻り廃墟となった寺院を再建し、ヴィシュヌ神の神像を造って奉ることだった・・・。

********************

絶世の美女シアナをめぐって、兄殺しの罪を負ったブーロ。彼はいかにも人間的な愚かさゆえに、罪の贖いに幾度も失敗する。ブーロの贖いは、ヴィシュヌ神とシヴァ神という、善と悪の闘いでもあった。しかし物語の主軸はあくまでもプーロだ。プーロとシアナの物語とも言えるだろう。
絵巻物であるかのように、どの場面も常に絵が思い浮かぶ。物語は次第に幻想性を増し、読む側は作者の創り上げたエキゾチックでどこかしら官能的な世界へと没入してゆく。私には、死すらもなぜか官能的に感じられる。絶望の果ての死ではなく、成就のための死だからではないのかな。(2003/7/19)

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