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巫女/パール・ラーゲルクヴィスト

巫女
ラーゲルクヴィスト(パール・ラーゲルクヴィスト)

My評価★★★☆

訳・解説:山下泰文
岩波文庫(2002年12月)
ISBN4-00-327572-1 【Amazon
原題:SIBYLLAN(1956)


十字架を背負って処刑場へ向う罪人に、壁にもたれかけて休ませなかったため、男は永遠に呪われた。彼を呪った罪人こそが神の子だった。男は己の運命を知るべく、追放されて高地に住むデルフォイの巫女を訪ねる。
かつて老婆はデルフォイで最も偉大な巫女だったが、いまは山腹のあばら屋に、白痴の息子と暮らしていた。巫女は男に神を見ることはうれしいことではないと言う。そして自分の過去を語り始める。

貧しい家で育った少女は、神官に召されて神のよりましとなった。巫女は地上の神殿ではなく、最も神の力が宿る神聖な場所、地下の岩室で神がかりになる。神の霊に満たされるということは彼女が想像していたのと違い、歓喜だけではなかった。そこには恍惚さとともに恐怖があった。巫女は神官たちの欺瞞に気づくが、神を恐れつつ魅せられてゆく。やがて一人の男と出会い恋に陥る。
だが二人の行く手にあったのは幸福ではなく、神の報復だった。妊娠したことが発覚した巫女は、怒り狂った民衆に包囲される。包囲網を脱出した彼女は、山に潜伏しながら臨月を迎える。次第に彼女は、お腹の子は何者なのかと疑問を抱く・・・。

********************

パール・ラーゲルクヴィスト(1891-1974,スウェーデン)は、1951年にノーベル文学賞を受賞。
本作は、「神とは何か」という神学的命題ではなく、その「神性」について語られているように思う。
正直な気持ち、なぜそんなに神を絶対視しなければいけないのかと思う。これは私の信仰心の無さからくるのだろう。あるいは神性と仏性の違いからくるのかもしれない。
私には、神性を疑いつつも揺るがない巫女の信仰心、絶対的な存在へのこだわりが、どうにも理解し難かった。

私は、人は神を擬人化して考えるため、その神性もまた擬人化されると思う。神性は人間の側が創りあげたものであり、人間性の規律となるべく機能する。つまり神性とは人間性を反映したもので、主体はあくまで人間の側にあるのだと思う。
人々は神性によって導かれたり裁かれたりと束縛される。一神が宿している崇高な神性、あるいはきまぐれで残忍な神性。それは巫女が見たように、人間の側が何を求めるか、どう受け止めるかによって変化するのではないだろうか。
若き巫女は人間の持つ矛盾、その解答を神に求めている。しかし老いてのち、彼女は答えを自分自身の内に見い出す。神性は不変ではない、そして人間性もまた不変ではなく、うつろいゆくものだと言っているかのようだ。

作者は十字架を背負う者、その神聖に疑念を投げかける。また本当は信仰していないのに、神を崇める神官たちを糾弾する。欲得なく慎ましく奉仕する下僕こそ、作者の求める理想の信仰心を持つ者なのだろう。
作者には篤い信仰心はあるけれども、神性による束縛、あるいは依存することを拒否しているように感じられる。また、人間の矛盾、多面性を認めさせるために、神性を多面化させているようでもある。
巫女を通じて神性をいったん人間の位置まで引き下ろし、それからもっと人間を超えた、崇高なものに高めようとしているように思われる。それは人間(と言うよりも宗教)が創りあげた、神性という擬似人格の再生であるとともに解放ではないだろうか。(2003/1/16)

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