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アウステルリッツ/W・G・ゼーバルト

アウステルリッツ
W・G・ゼーバルト

My評価★★★★★

訳:鈴木仁子
白水社(2003年8月)
ISBN4-560-04767-7 【Amazon
原題:AUSTERLITS(2001)


1960年代の半ば、私は旅先のアントワープで、建築史家のアウステルリッツと知り合った。その後、私はロンドンにあるアウステルリッツの研究室を訪れる。以来、数箇月ときには二十年もの歳を隔て、アウステルリッツと再会する。
アウステルリッツは建築史・歴史・文学に詳しく、様々な事柄を滔々と話してくれた。やがて話は、アウステルリッツ自身の過去へと至る。
彼は1934年に生まれ牧師館で育ったが、養母の死をキッカケに、牧師夫妻の子どもではないことを知る。そして名前がダヴィーズ・イライアスではなく、ジャック・アウステルリッツであることを知った。しかし、イギリスにはアウステルリッツという姓はない。
彼は歴史の授業で、アウステルリッツの会戦を習う。アウステルリッツという地名がプラハにあることを知る。

アウステルリッツには過去の記憶や記録が一切なかった。それゆえ、不安感に襲われたり自ら抑圧したりと、心の安らぎを得ることができい。だが、彼は敢えて過去をみないようにしてきた。しかし50歳の半ばを過ぎたころ、彼は失われた過去を探し始める。

********************

2001年度の全米批評家協会賞受賞作。
W・G・ゼーバルト(ヴィンフリート・ゲオルク・ゼーバルト。1944-2001)はドイツに生まれ、スイスやイギリスで学ぶ。1969年、イギリスに定住し大学で教鞭をとる。将来のノーベル文学賞候補と目されていたという。2001年、交通事故事故に遭い逝去。

1930~40年代のプラハ。駅構内の屋根、家や人々、建物の図面など様々な写真とともに物語が進行する。幾枚もの写真によって物語の真実味が増し、ふと「この作品はノンフィクションか?」と思ってしまう。特にテレジンの写真が文章と相まって、廃墟感と不気味なほどの圧迫感を漂わせて迫って来る。
読みようによっては、19世紀から20世紀初頭にかけての欧州近代史であり、回想録でもあり旅行記とも受けとれる。語り手と読者との距離を置いた文体は、物語というよりもノンフィクション性を強く感じさせる。
私たちは客観的な語りというものが存在しないことを知っている。私には、物語である以上、客観的であることは不可能にように思われる。
しかしゼーバルトはそのジレンマを突き崩した。と同時に、ジャンルというレッテルを越えた。この作家が生きていればもっともっと素晴らしい作品を書いたであろうと思うだけに、その死が惜しまれてならない。

自分の名前も両親も知らず、過去の記憶も母国語も失ったアウステルリッツ。人は大概、名前・両親・母国語(出生地)・過去の記憶に依って立っている。それらが名前以外すべ失われ、自分が何者なのかわからない状態というのは、私には想像することが非常に難しい。
彼の語る内容は、個人的出来事から歴史的事実まで範囲が広く重層的である。歴史は時系列で語られない。私たちが自分の人生を、時系列に沿って語れないように(書くことではない、あくまでも語り。記憶というものは、必ずしも時系列に沿って温存されるわけではないため)。
記録された出来事を史実という。それが私たちの学ぶ歴史だろう。しかしその歴史はパリの巨大国立図書館が建てられた場所のように、埋められて無かったことにされてしまう。数世代後には、その地中にあるモノを誰も記憶していないだろう。

アウステルリッツは建築物から歴史を探る。建築物は歴史を刻んだモニュメントだからだ。なかでも駅というものは、東西南北の地理的な空間を繋ぐ。空間を移動することは当然ながら時間的経過を伴う。旅人の後方には過去、前方には未来。空間と時間の錯綜が最も顕著な場所、それが駅なのだろう。
アウステルリッツは駅構内に佇む。建築学的興味のためだが、本当にそれだけだろうか?
過去へも未来へも踏み出せない彼には、空間と時間の交錯する駅が相応しい場所のように思えるからだ。アウステルリッツの場合、駅は歴史の過去と未来の中間点という象徴のようにも思われる。
彼は欧州を漂泊する。彼は建築学・文学・歴史などの知識を蓄える。しかし年齢を重ねて知識を蓄えても、彼の内的な時間は止まったままだ。
彼の精神(魂と言ったほうがいいのかもしれない)は、未来を夢見ることも過去を振り返ることもできない。道はあるのだがどこへ行ったらいいのかわからず、結局はどこへも行けず、途方に暮れて駅構内に佇んでいるかのよう。

アウステルリッツという存在はフィクションだろうが、時代背景は殆ど真実ではないかと思われる。当時、きっと彼と同じ境遇の子どもはいたに違いない。そんな作品をどう形容すればいいだろう。迂闊な言葉では形容したくない。ここには言葉にできない想いが込められているからだ。
漂泊するアウステルリッツの"空白の叫び"が聴こえる     。(2003/9/16)

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