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目眩まし/W・G・ゼーバルト

目眩まし
W・G・ゼーバルト

My評価★★★☆

訳:鈴木仁子,解説:池内紀
白水社(2005年12月)
ISBN4-560-027230-7 【Amazon
原題:Schwindel.Gefühle(1990)

目次:ベール あるいは面妖なことども/異国(アレステロ)へ/ドクター・Kのリーヴァ湯治場/帰郷(イル・リトルノ・イン・パトリア)


1800年、ナポレオン軍はアルプス峠を越えて戦った。このとき生還した一人に、17歳のアンリ・ベールこと後のスタンダールがいた。ベールのイタリアの旅と、女遍歴。
そして1913年、ドクター・Kことカフカのイタリアの旅。20世紀に生きる私による、ドクター・Kの足跡を巡るイタリアの旅と、私の故郷W村への帰郷。
次第に三者の旅が巧妙に重ね合わせられ、やがて時間と空間、記憶が綯い交ぜになってゆく。

********************

この作品はゼーバルト初の小説とのこと。
うーんうーん、この作品は私にはよくわからなかった。難しいと言うのではなくて、何かだまされたような気がする。
原題を直訳すれば「眩暈。感情」となるそうだが、邦題の「目眩まし」が実に的を得ている。とすれば、騙され撹乱されたかのように感じるのは、作者の手に見事引っ掛かったということになるのかなぁ。
面白いと言えばそうなのだけれども、私にはこの小説の読みどころ、作者が何を書きたかったのかがわからない。決してつまらなかったわけではなく、たんに私の理解が及ばなかったのだ・・・。
カフカの『狩人グラフス』へのオマージュらしいが現時点では未読。しかしオマージュだけに留まっているようには思われない。ともあれ『狩人グラフス』を読んでいれば違ったかもしれない。

幾度も繰り返される変奏/変容は、やがてブレを生じさせる。写真に譬えるなら二重写し、三重写しだろうか。ブレは次第に大きくなリ、撹乱や困惑へと変わる。最後に語る人物はいったい何者なのか?私にはアンリ・ベール/ドクター・K/20世紀に生きる語り手の私の三者が重ね合わされた者に思われてならない。

キーワードは戦争とその記憶、望郷の念だろうか。記憶とは、自分が何者であるかということの証であると思うが、しかし記憶は不確かで曖昧であるため、常に真実であるとは限らない。
故郷は彼の痕跡を残している場所。彼の所属、彼が存在したことを証明する場所ではないだろうか。だが、生まれ育ったから土地だからといって、その地に所属しているとは限らない。何もかもが不確かな中、何をして一人間の存在を明言できるのだろう?
しかし、ラストではすべてが泡のごとく掻き消えていくかのよう。面紗か靄の向こうに包まれたかのようで、輪郭が曖昧になり、あわあわと頼りなく感じられる。「これはこういう意味ではないのかな?」と意味付けることが、なぜかむなしいことのように思われてならない。(2006/1/)

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