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冬かぞえ/バリー・ロペス

冬かぞえ
バリー・ロペス

My評価★★★★★

訳:菅原克也
パピルス(1995年5月)
ISBN4-938165-14-7 【Amazon
原題:Winter Count(1981)

収録作:修復/冬の鷺/バッファロー/太陽系儀/冬かぞえ 一九七三年     雁たちよ、嵐のなかを飛んでいった雁たちよ/タペストリー/貝殻を持つ女/ことばを愛した男/川の在りか


修復(Restoration)
ノース・ダコダ州とモンタナ州の境にある町で、1863年にヴィクトリア朝様式で建てられたド・クルニール家の屋敷を見学した私は、蔵書を修復しているエドワード・スローと知り合う。
スローとの会話からド・クルニールに興味をもった私は、蔵書からド・クルニールが独学した得た博物学の知識を辿る。側ではアメリカ人らしくない上品な服装をしたスローが、根気のいる仕事に没頭していた。

太陽系儀(The Orrery)
アリゾナ州にある「牧場(フィールズ)」と呼ばれる、車では近づけない平原がある。子どものころ父に連れられてカルフォルニアからここに来た私は、風が異なっていることに気づいて魅せられた。
二度目に来たとき、荒野を箒で掃いている男を見た。3度目、男の生き方に興味をもった私は、午後の時間を男と話をして過ごした。夕方になって男は太陽系儀を見せてくれた。
そして庭へ出て、平原に置かれた小石を見せた。竜巻で小石は舞い上がり・・・。

冬かぞえ 一九七三年     雁たちよ、嵐のなかを飛んでいった雁たちよ(Winter Count 1973)
Winter Countとは、北の平原の部族ではある年の夏から翌年の夏への季節の移り変わりが、出来事によって記憶され、そのことを意味する言葉。そうした記憶はバッファローの皮に絵として記録され、絵の意味は口伝された。同じ部族内でも、異なる冬かぞえが同時に知るされることもあったという。

学会での発表のためにニューオーリンズのホテルへ泊まった男。男は自説が正しいと証明するためだけの発表に、もはや意欲をもっていなかった。男の頭のなかでは様々な冬かぞえが去来していた。
発表後、おざなりの拍手のなかで男は思う。
いいかね君たち。物語というものは君たちが聞いた通りにしか語りようのないものなんだ。嘘をつくんじゃない。作り物にしちゃいかん。(中略)みんなが同じ物語を語るなんて危険きわまりない。みんな同じことを体験するなんてありえないんだ。(p79~80)

貝殻を持つ女(The Woman Who Had Shells)
夕暮れどき、フロリダに浮かぶサニベル島の浜辺で、頬に貝殻を押し当てる女を見かけた。その姿はいつまでも胸に残った。
翌年ニューヨークのレストランでその女に出会った私は彼女と会話を交わし、家へ送って行き、明け方まで話し込んだ。彼女は休暇になると国内外の浜辺へ行き、貝殻を探しているという。そして私に、様々な模様の美しい貝殻を見せてくれた。

********************

どの短篇も素晴らしいのだが、4篇のみ紹介。ただし、あらすじでは良さが伝わらないけれど。もっとも、あらすじ自体を上手く伝えられないのだが・・・。
学術的ではない風土や歴史の在り方に根差した環境意識や、ネイティヴ・アメリカンを題材にしたネイチャー・エッセイとでも言おうか、フィクションとノンフィクションが混淆する詩的で知的な珠玉の作品集。一読で大好きな本になりました。
文章は詩的で美しく思索に富んでおり、簡潔で明晰。静謐に語られる言葉と豊かなイマジネーションに心を澄ませたい。

ロビン・ギルによる序文『ネイチャー・エッセイとノン/フィクション』から、お金の話で恐縮ですが、日本の大新聞の読書欄がつまらない都会派ニュージェネレーション・ライターたちを紹介していた九〇年代の初頭、全米図書賞受賞の『極北の夢』によって評価をかちえたバリー・ロペスの、わずか五枚の梗概にすぎない次作に対して、七〇万ドルの前払い金が出版社から提示された。(金額よりも編集者を重視したロペスは、それよりやや低い金額を提示した別の社を選んだ)。
作品の価値を金ではかるつもりは毛頭ないが、言いたいのは、ごく最近まで(平成五、六年)、日本ではほとんど無視されてきたこの種の文学は、日本人の想像しがちなマイナーではけっしてなく、本物のメジャーであるということ。


注目したいのは「ニュージェネレーション」と比較していることだろう。
私には巧く説明できないのだが、ニュージェネレーションの定義は様々だけれど、例えば「癒し」とか「自分探し」、「身体感覚の希薄さ」などが特徴かな。昨今の現代小説がテーマにしていることを、ロペスはサラリと、しかも本質を深く鋭く突いている。
登場人物による「人」ないし「モノ」や「自然」との距離というか受けとめ方、関係性が重要視されている。関係性とは「(いま自分の在る)空間認識」とでも言おうか。訳者はあとがきで「身体感覚」という言葉を使っているけど。

この作品集は一見して詩的なネイチャー・エッセイふう且つファンタスティックなので、つい雰囲気に流されて、身体感覚や空間認識という部分を見過ごしてしまいそうになる。それほどさりげなく書かれているのだ。だがそのさりげなさの裏には、作者の優れた思索が秘められている。
二読三読すると作者の考えを朧げながら捉えることができ、作者の深い洞察力に驚かされた。ロビン・ギルがなぜ都会派ニュージェネレーション・ライターと比較しているのかが理解できるような気がする。ロビン・ギルの言う「本物のメジャーである」という言葉に頷くしかない。
この作品集からアメリカ文学・文化の成熟度が伺える。日本でいまだこうした小説が生まれないのが(私の知る限りにおいてだけれども)残念でならない。(2002/3/25)

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