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鳥たちが聞いている/バリー・ロペス

鳥たちが聞いている
バリー・ロペス

My評価★★★★☆

訳:池央耿・神保睦
角川書店(1998年3月)
ISBN4-04-791292-1 【Amazon
原題:FIELD NOTES(1994)

収録作:鳥たちが聞いている/ティールの川/エンパイラのタペストリー/空き地/ある会話/ピアリーランド/台所の黒人/ウィディーマの願い/我が家へ/ソノーラ     砂漠の響き/クズリの教え/ランナー


鳥たちが聞いている
二週間ほど前に旅に出た私は、山脈やホワイトシェル峡谷を越えて海を目差した。踏破できる自信はあったのだが、灼熱で雨が降らず水場を探すことができなかった。
熱気と渇きで疲労がピークに達して倒れそうになりながら、オソ川と思われる方向をとって川沿いに海を目差すが、なかなか川に辿り着けない。倒れた私が眼を開けると、ナゲキバトが胸にズラリと止まっていて、足で私の唇を開けて水滴を落とした。
かつてホピ・インディアンが住まいとした渓谷抜け、遠くにレイヨウの群れを見つけた。熱気や渇き、孤独に蝕まれながら歩み続けていると、どこからかミソサザイの啼き声が聴こえてきた。

ティールの川
1954年4月、白人が入植して以来ベネット川地方と呼ばれたあたりに、ジェームズ・ティールという男がやってきた。ティールは乗って来た車を売り払って、人里離れたその地に住み着いた。ティールは山中で独り暮らしする術を身に付けていた。
私は当時子どもだったが、やがて青年となり大学へ進学するために家を出た。その後に町へ戻って結婚したが、ティールを忘れたことはなかった。
彼のことが気になり近くまで行くのだが、他人の領域を侵すことが出来ず、いつも途中で戻ってくるのだった。
ある春の日、雨の降るなか、私は遠くからティールを見続けた。そしてティールの内に求めていたものを理解する。

ウィディーマの願い
ナヴォホ族の研究を終えた私は、『狩りの思想』を新たな研究テーマに据えて、いまだ狩猟民族が残っているオーストラリアの西部砂漠地方へと向かう。私は未開部族の叡智を求めていたのだ。
私は探検隊のキャンプを離れて、ウィディーマ族と接触にして彼らと行動をともにする。はじめは英語が通じなかったが、ともに生活するうちに、彼らが英語を話していることに気づいた。しかし彼らは英語を使っているのではなく、ウィディーマ語で話しているにすぎなかった。
ウィディーマ族は彼らの意識が解き明かし、信じ、想像したものを物語に投影していた。彼らは人間の死と動物の死を、感情や道徳の上で区別しておらず、西洋的思考では理解することが出来なかった。

●我が家へ
29歳で国際的な名声を博した植物生態学者のウィック・コールターは、学会や調査へ赴くために各国を飛び回る。
だが、多忙のため大学の仕事が疎かになり、家庭を顧みることもなくなった。また地位に固執してしまったため、新たな論文の反響がないことに憤り、遂には行き詰まって辞めようかと考える。
彼は研究分野を極端に特定してしまったため、娘マデロンに森のことを訊かれても答えることができなくなった。
妻のアリスは、自分と娘はここで生活しているが、ウィックはここにいるだけで生活は別のところにある。彼が地位や名声にしがみついているが、それが生活のためだとは認めないと言う。彼が昔の純粋な情熱を失い、森の植物たちを忘れたので、植物のほうから見捨てられたのだと・・・。

********************

副題に『THE GRACE NOTE OF THE CANYON WAREN』とあり、訳者は『鷦鷯(みそさざい)の装飾者』と訳している。
私はみそさざいの生態を知らないので、本来の意味するところがわからず解釈に途惑うが、この副題が作品とロペスの姿勢を語っているように感じられる。
読後の私の印象では、ここでは渓谷だが、渓谷に限らず大地を「鳥の視点で俯瞰する」というニュアンスがあるのではないだろうか。また「装飾」というのが巧妙で、この言葉は「何が何を装飾したのか」ということと、「その装飾を見ている第三者」の存在をも意味しているように思う。この点が作品における重要なポイントではないかな。

静かに語られるひっそりとした世界は、瞑想的ですらあるかのよう。
フィクション/ノンフィクションに区分できない作風は、詩的で瞑想的なので一見ファンタスティックのように思われるが、実は論理的で曖昧さがなく文体は硬質ですらある。それらはもちろん魅力的だが、なによりも作者の真摯さと誠実さに惹かれる。

ロペスは自然を語りつつ、究極には人間を語る。どちらも切り離しては考えられないからだ。そして過去や未来と繋がっている「いま」に生きる人間の在り方を見極めようとする。
作者は結論を出さないので、各短篇とも中途半端に終わっているのように感じるかもしれないが、それは作者の視線が過去を探りつつ、現在と未来を見つめているからだと思う。
結論を出せば方法論をも提示せずにはいられない。ところが方法は一つだけではあり得ないから、一つの方法に固執するのは非常に危険だ。そもそも未来の可能性は一つだけではないのだから。だから作者は方向を示すだけに留まっているのではないだろうか。(2002/4/10)

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