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極北の夢/バリー・ロペス

極北の夢
バリー・ロペス

My評価★★★★★

訳:石田善彦
草思社(1993年12月)
ISBN4-7942-0534-1 【Amazon
原題:Arctic Dreams(1986)


1986年度全米図書賞ノンフィクション部門賞を受賞。同年、ブック・オブ・ザ・マンス・クラブ(タイム・ワーナー社による米ブック・クラブ業界の最大手)のメインセレクションに選ばれた。

著者は7年間に12回、通算で4年に渡り生物学者・考古学者・地質学者らのフィールド・ワークに参加し、風景画家らと行動を伴にした。エスキモーの狩猟も実際に体験したという。
その成果が本書である。豊富な資料と実体験・現地調査によって書かれた、北極圏に関するネイチャー・エッセイと言おうか。人間と動物や風土との関係を、根源的に問いかけている。
学術書でもジャーナリスティック論にみられる環境問題提起にも陥らず、尚且つそういった論者にも充分に応えることができ、さらに作家としての感性を発揮している。
鋭敏で明晰な洞察力と優れた感受性。感情に曇らされず、隠された心理を追求し実証してゆく手腕。わかりやすくシンプルで抑制が効きつつも情感漂う筆力。「現代アメリカを代表するネイチャー・ライター」というのは伊達ではない。北極圏に興味のない人が読んでも、考えさせられる名著。

ジャコウウシ・ホッキョクグマ・イッカクなど、北極圏に住む動物の生態。そして北極圏という土地についての気象及び地質学的考察。ここまででも、とても詳しくて非常に興味深いのだが、さらにエスキモーについての文化人類学的考察に進み、中世からの西洋人による探検の章へと至る。
最後に鉱山と油田の開発や軍事基地の建設、乱獲等、現代における北極圏の実情という章立てになっている。

北極圏を広大な地域と考えるのは私だけではないと思うのだが、それはメルカトル図法による地図でこの地域が端から端まで伸びているためなのだそうだ。実際は太平洋ほど広くはなく、大草原地帯(ステップ)程度の広さだという。総人口はシアトル市(当時約50万人)と同じぐらい。
ちなみに13世紀~15世紀までのヨーロッパ人の世界像は、円形地図(世界が円盤状に描かれている)それより古いT形地図に基づくものだそうだ。当時、世界が球状であるという考えは広く認められていたという。
当時の人々が地球を平らなものとして語ったのは、球状の地図が存在しなかったためだという。最初の地球儀がヨーロッパに紹介されたのは1492年とのこと。

北極圏が特に西洋人の関心を引いたのは中世に、スペインとポルトガルが南洋航路を支配していたため、フランスやイギリスは北極圏を経て中国へ至る北西航路を発見するためであった。
航路から上がる利益、または学究的好奇心や名誉心から大勢の男たちが続々と北極圏へ向かった。しかし一部を除くほとんどの男たちは、座礁や遭難などで悲惨な目に遭った。
成功者と敗北者(遭難者)の運命を大きく分けた要因の多くが、北極圏という土地及び現地人であるエスキモーの知恵を理解するかしないかに負っていたという。
西欧のやり方が通じない土地で西欧式を推し通すという愚行が、失敗の大きな要因だという。西洋文化の通念で北極圏を推し測ることは困難だからだ。探検家たちが西欧文化の通念を押し通そうとした背景、行動の裏に隠された心理が重要なのだと思う。

ロペスのスタンスは、土地及びそこに生きる動植物と人間との互恵的関係を、多くの人々(主に西欧文化圏の人々)に知らしめることにあるのだと思う。
情報量が多いこともあるが、抜き書きすると文脈から切り離されてしまい著者の意図が伝わらなくなると思うので、私には上手く内容を紹介することができない。それでも私なりに感じたことをロペスの文脈から切り離して引用するが、「こういう本なのか」と思い込まないで欲しい。

極北では、冬には太陽はゆっくりと南の地平線に姿をあらわし、クジラが寝返りをうつようにほぼ同じ地点に沈んでいく。ここでは、"太陽が東に昇り、西に沈む"という観念は通用しない。"昼"が、朝と午前と午後と夕刻からなるという通念は通用しない。(p34)
要するに、私たちの時間の観念が通じないのだ。このことと一足飛びに結び付けるわけではないが、人類学者エドマンド・カーペンターの言葉を引いている箇所がある。
カーペンターによれば、西洋の言語は時間の観念を重視する。それに対して、エスキモー語は空間の多様性を重視する。西洋人はすべての人間が空間に関して同じとらえ方をし、その結果、対象を同じ視点からながめていると考えている     上は上、下は下というように。あの方向は北、この方向は南というように。しかし、カーペンターによれば、ある遠くはなれた場所について説明する場合、エスキモーはそことのあいだにある土地について量的に言及することはせず(これを距離という概念であらわす西洋人は、衝撃を受ける)、その場所の地形的特徴だけを説明し、そこに行く経路についても述べないことがしばしばある。このため、非エスキモーの観察者は、エスキモーには「方向感覚」がないようだと考えてしまう。
(中略)だが、これはエスキモーが空間と時間のなかで自分たちをどのようにとらえているか、彼らがこの世界での"行為"というものをどうとらえているか、何が重要で何がそうでないと考えているか、という観点から考えるべき問題なのである。(p268~269)

"空間の多様性"という点については、常に変動する北極圏の気象・地理という観点から考えるとわかりやすいのではないだろうか。
ちなみにエスキモーは、直線距離にしておよそ1千マイル、面積で15万平方マイルの地図を詳細に描くことができ、海岸を三次元で表すことができる。空間認識力は抜群に優れているという。彼らの能力は、非エスキモーの観察者にはなかなか知ることができないらしい。

北極に固有のリズムを解明するという作業には、単なる学問的な理由以上に大きな意味がある。
ある地域がほかとちがっている理由を解明し、その土地にまつわる謎を解く手がかりをつかむことによって、わたしたちはそのちがいを明らかにするうえで妨げとなる偏狭な考えから脱することができる。(p179~180)
西洋社会は昔から、温帯の外で生まれた文化を一段低いものと見なしてきたが、その誤りは主としてその文化に属するひとびとが住んでいる土地から受ける制約を無視したために起きたものだった。(p188~189)
わたしたちは未開の生活を野蛮な思考と混同することがある。生肉を食べることを野蛮な心性と誤解することもある。会話の不足を想像力の不足ととりちがえることもある。(p286)

こんなに引用して私が何を言いたいのかというと、西洋文化はエスキモー文化と異なり土地との互恵的関係にないので、北極圏という土地・動物・人々の在り方に適しない。しかし西洋文化に慣れ親しんでいる人は、意識せずに西欧文化の思考や観念という物差しで測ってしまう。西欧文化の尺度で図れない土地をだ。異なる文化圏を理解するためには、まず観察者自身の思考法や観念そのものを見直す必要がある。
つまり、北極圏のように私たちとは異なる土地・文化・人々を知ることは、自分たち自身の文化を知ることでもある。土地が人間にどう作用するのか、互恵的関係であるとはどういうことなのか。北極圏だけに限定されるのではなく、人類というもの、文明というもの、自然との共生など、様々なことを啓蒙させられる名著。(2003/8/30)

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