スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

気狂いモハ、賢人モハ/タハール・ベン=ジェルーン

気狂いモハ、賢人モハ
タハール・ベン・ジェルーン

My評価★★★

訳・解説:澤田直
現代企画室(1996年7月)
ISBN4-7738-9606-X 【Amazon
原題:Moha le fou,Moha le sage(1980)


デモ隊の青年が警察に捕えられて、仲間の名前を自白するよう拷問を受けた上死亡した青年。だが官憲は拷問の事実を否認。拷問の最中、苦痛から逃れ自由になるため、青年の意識は肉体を離れて彷徨う。モハとなって。

族長の家で家事に従事することになったアイシャは口をきかない。言葉が通じないためだが、誰もが彼女は生まれつき話せないのだと思っていた。ひとりきりの夜、アイシャはダンスをして一人ごちる。
アイシャは村での生活を想い起こす。祖父のモハは、神や国のためと言われて身ぐるみ剥がされた百姓たちの言葉の代弁者だった。彼は気狂いと呼ばれていた。

族長の娘を産んだ女奴隷ダダ(ファティマ・ゾラ)。ダダにのめりこんだ族長は、やがて聖典(コーラン)をも冒涜する卑猥な言葉を吐く。語る言葉を持たないエセ気狂い・族長のもとに、モハが現れて糾弾する。
賢者でもあり気狂いでもあるモハは町々を彷徨い、神や社会の欺瞞を暴き、痛めつけられた大地への賛歌を語り続ける。
140歳になるモハはときにはインディアンと兄弟であり、拷問される青年であり、アイシャの祖父、ファティマ・ゾラの祖父、族長の息子でもある。モハは語り続ける。狂人の言葉として・・・。

********************

訳者解説によると、時代背景はフランス植民地より独立した(1956年)後、専制政治となった1970~1980年代のモロッコ。作中のデモとは、当時の学生デモのことらしい。
1960年以降、経済構造の変化によって、社会的格差が著しく拡がったらしい。旧弊的な父権制度と新興の有産階級の間で、伝統や人心などが揺らぐ時代であろうと思われる。

時代背景を知らなくても読めるのだけれども、この作品において時代背景は大切だと思う。ただ、物語として読んで楽しめるかと言うと、「うーん・・・」という感じがする。
娯楽的な物語ではなく、どちらかといえば政治的な傾向に偏っているので、物語を読む愉しみに欠ける。それが悪いとは言わないけれど、バランス的にどうかなあ。
時代背景に気をとられると物語を愉しめなくなり、時代背景を意識しないとシックリこないように思う。モロッコというなじみのない国のため、ピンとこないのかもしれないけれど。
正直に言って消化不良気味の作品。『砂の子ども』(1985年発表)の方が格段に出来がよく、物語として読む愉しさもあった。

モハは一人物ではないと考えるのが妥当だと思う。彼が死んで墓の下になっても、彼の存在は消えない。誰もがモハを求め、モハとなり得るのだと思われる。モハは自ら語り、人々に語られる存在である。
賢者であり気狂いでもあるモハ。賢者/気狂いという二重性とは、訳者によると自分が真実を語っているとは知らずに真実を語る「神聖な狂人」のことだという。
真実と知りつつ真実を語るのが預言者であり、聖者であるという。単純に言えば、モハは病んだり歪んだ社会の代弁者であろうか。(2003/12/8)

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへにほんブログ村 本ブログ 海外文学へ

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

H2

Author:H2
My評価について
=1ポイント
=0.5ポイント
最高5ポイント

最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
FC2カウンター
検索フォーム
リンク
QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。