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葦と泥 付バレンシア物語/ビセンテ・ブラスコ・イバニェス

葦と泥 付バレンシア物語
ブラスコ・イバニェス(ビセンテ・ブラスコ・イバニェス)

My評価★★★★★

訳:高橋正武
岩波文庫(1978年4月改訳)
ISBN4-00-327241-2 【Amazon

収録作:葦と泥/バレンシア物語~ディモーニ,婚礼の夜,馬糞拾い


作者の故郷の地中海にのぞむバレンシアを舞台にした作品群。郷土色を全面に出し、風土とそこで暮らす人々の生活が活写されている。田舎の生活は貧しいが、人々は単純素朴。助け合って生活することもあるが、同時に貪欲さゆえに冷酷なエゴイズムの塊とも化す。

訳者あとがきによるとビセンテ・ブラスコ・イバニェス(1867-1928)は、スペイン第一次共和制時代、政治活動のために新聞社を興し新聞を発行。その新聞に小説を発表した。共和主義者で反カトリシズムのイバニェスはのちにフランスへ亡命したが、スペインでは王制の軍事政権下が続いたため、死ぬまで帰国できなかった。
イバニェスの作品は、フランコ政権下では故意に無視されたそうだが、フランコの死後(1975)、亡命先から帰国した作家たちによって再評価された。スペインを代表する作家の一人と言っていいだろう。現在、バレンシア近郊のマニセスという町に『ブラスコ・イバニェス通り』と名付られたストリートがあるという。

イバニェスは世界一周の途中、大正12年の関東大震災後に日本に立ち寄り、報知新聞社の講堂で講演会を行なったこともあるという。大正10年から昭和30年代前半まで盛んに邦訳されたが、現在はほとんど絶版、全て絶版と言っていいほど。これほどの作家がどうして読まれなくなったのかな?非常に惜しい。ちなみに、未読だが代表作の一つ『血と砂』(岩波文庫,絶版)は映画化もされている。

イバニェスはゾラなどフランスの自然主義の流れを強く受けたというが、その作風はイタリアのジョヴァンニ・ヴェルガを彷彿させる。ヴェルガをもっと読みやすくした感じがするのだ。この作品集はスペインの「ヴェリズモ」言っていいのではないだろうか。
一見して抒情性はないように思われるが、そこは読者の判断に委ねられているのではないかなぁ。まったく抒情性がない、とは言い切れないように思うのだ。解釈の仕方によって、「ある」とも言えるし「ない」とも言えるのではないかな。一読しただけなので、私にはどちらとは判断できないのだが。

葦と泥(Cañas y barro.1902
バレンシアから南へ10キロメートルのところに広がる淡水湖アルブフェーラ。淡水湖と言うより、葦などの繁る沼と言ったほうがいい。主要交通手段は舟であり、人々は半農半漁で暮らしている。
アルブフェーラに面したパルマール村に、老船頭パローマ爺がいた。この町一番の船頭である。パローマ爺の家系は、アルブフェーラへ狩猟(漁)をする王侯貴族の案内役を古くから勤めていた。

パローマ爺は漁一筋で、沼があってこそのパルマールと考えており、田を耕す人々を軽蔑していた。だが、息子のトーニは沼を埋め立てて開拓に精を出している。トーニは養女ボルダと共に、来る日も来る日も、ひたすら埋め立て作業に没入する。
トーニの息子トネットは、村一番のハンサムだが怠け者で、ラクをして生計を立てることばかり考ていた。トネットは酒を呑んで暴れる日々を過ごしていたが、謹厳実直なトーニは激怒され、志願兵となり(1890年代からキューバ独立戦争が激しくなる。北アメリカがキューバを支援したことから、1898年に米西(北アメリカとイスパニア)戦争となった。
トーニは米西戦争でイスパニア兵に志願したが、イスパニアは負けキューバは独立する。ちなみに作者は独立派の同調者だったという。彼はキューバへ渡る。

村へ戻ったトネットは、幼なじみのネレータが美しくなり、居酒屋兼金貸しのカニャメールの後妻になっていることを知る。トネットは漁場のクジ引きで一等地を当て、カニャメールに資金を融通してもらう。
しかし実際に漁へ出るのはパローマ爺で、トネットはカニャメールの居酒屋で過ごしていた。トネットとネレータは密かにデキてしまう。やがてカニャメールが亡くなり、遺産がネレータのものになった。
だが先妻の妹サマルーカはカニャメールに遺言で、ネレータが再婚したり恋愛した場合、サマルーカ並び親族に財産を分与させるよう仕向けていた。ネレータはトネットの子どもを孕むが、遺産を失うことには耐えられなかった。

********************

アルブフェーラとパルマールの風土・歴史・伝承、四季折々の行事や風俗を背景に、貧しいが必死に生きる人々(ただしトネットは別)の生き様が描かれる。イバニュスが描くのはあくまで人間である。発露した感情と、そこからとる行動に重点が置かれている。
意志薄弱で怠け者のトネット、頑固で一徹なパローマ爺、謹厳実直なトーニ。貧乏からのし上がったネレータ、太りじしで欲深だが理路整然としたカニャメール、酒呑みの浮浪者然としたサンゴネーラなど、個性的な人物が多数登場する。

パローマ爺は貧しいが、それを苦にしておらずむしろ誇りにしており、沼での生活を捨てようとはしない。トーニの事業は何度も挫折しかけるが、不屈の意志によって諦めることはない。ネレータは良くも悪くも遺産を死守すべく奮闘する、恐るべき我欲の持ち主だ。遺産に執着するネレータによって、トネットは破滅してゆく。パローマ爺は孫に忠告するが無視され、すべての事情を知りつつ押し黙る。傲慢なまでに自分の生き方を貫くパローマ爺。

パローマ爺とトーニ、ネレータに共通するのは何者にも屈しない強烈な意志であり、トネットに欠けていたのは意志力だろう。かといってトネットは、サンゴネーラのように流離う生活を良しとしない。身から出た錆なので、どうしてもトネットに同情できない。遺された家族の方に同情してしまう。
パローマ爺はトネットを嫌っていたわけではないのだ。だがパローマ爺は生しか見ていない。それは苛酷な生活を生き延びる術なのかもしれない。
トーニは息子のために貧しさから抜け出そうと必死に働いてきた。彼が慟哭する姿は憐れであり、ボルダもまた・・・。ラストでのボルダの行為に「ああ、やっぱり」と思うのだが、それがこの物語の救いになっている。トネットの罪を洗い流すかのような行為は、哀れだが美しく清冽な余韻を残す。

バレンシア物語(Cuentos valencianos.1986)
は、バレンシアを舞台にした短篇。本書では3篇のみ収録されているが、原著には他にまだ数篇あるらしい。

ディモーニ(Dimòni
呑んだ暮れで、生まれながら驚くほど笛吹きの才を持つディモーニ(悪魔・鬼才を意味するバレンシア方言)。ディモーニは祭りや祭礼の度に引っ張りだこだが、ちょっと目を離すと居酒屋にしけこんでしまう。
そのディモーニが自分のあばれ屋で、同じく呑んだくれのボラーチャと住むようになった。ディモーニは29歳にして初めて愛情のなんたるかを知るのだが・・・。

********************

悲劇ではあるが、背景で痛烈な風刺が利いている。ディモーニを慰めて手伝うのは、彼と同じような貧困層である。それ以外の、つまりディモーニよりも富裕層の人々は、遠巻きに彼の悲しみを見ながら嘲笑う。ディモーニのやり方が理解できないし、理解しようという気もないのだ。彼の幸せと悲しみを理解できるのは、同じような境遇の貧困層しかいない。

婚礼の夜(Noche de bodas)
村で生まれ育った貧乏人の子ビサンテッドが、苦学の末に住持のドン・ビセンテとなって帰って来た。
村人は総出で祝福をする。その席でビサンテッドは、幼なじみで一緒に育ったトネータと再会した。トネータの母はビサンテッドに、トネータの結婚式を執り行ってくれるように依頼する。
結婚式当日、ビサンテッドは初めてトネータを女として見る。彼は僧侶として出世し、貧しさから抜け出して飢えに苦しむことはなくなった。だがその見返りとして自分の失ったものに気づき、苦悶し慟哭する。

********************

ドン・ビセンテの地位を「貧乏寺の住持」や「僧侶」と訳し、「檀家」という訳語が頻繁に使われているので、仏教寺の住職のように思ってしまう。訳者は間違いなく日本の寺を意識していただろう。正確には、ビサンテッドは「教区付きの司祭」だそうで、牧師ではない。司祭と牧師、たんなる僧侶の差は非常に大きいので、訳者は明確に訳すべきだったと思う。
現代人の感覚ではビサンテッドは大袈裟すぎるが、当時のスペインの厳格なカトリシズムを念頭に置かなければならない。作者が反カトリシズムと云われたのがわかるだろう。読みようによっては、愛欲を克服しようとするビサンテッドを作者が見守るかのように思われるかもしれない。だが、私には作者は迸る生命力を圧殺しようとするビサンテッドを、批判的に描いているように感じられてならない。

馬糞拾い(El femater)
10歳になった少年ネレットは家計を助けるため、初めて一人でバレンシアの町へやられた。馬糞拾い(作中では馬糞ではなく、各家庭から野菜クズをもらっている)をするためである。ネレットは、村に預けられて母親が乳母を務め、一緒に育った5、6歳年上のマリエータの家へと向かう。マリエータの父は裕福な公証人であった。
マリエータは村を懐かしみ、ネレットと村の話をする。歳月が経ち、マリエータを「お嬢さん」と呼ばなければいけなくなる。ネレットが16歳になったとき、淑女然としたマリエータは青年弁護士と親しそうにし、ネレットを邪険に扱う。ネレットには彼女の変貌が理解できない。

********************

ネレットは幼なじみで遊び友だちとの間に、歴然とした階級差を思い知らされる。階級の前では、幼なじみであっても冷淡にされる。私としては、少女から大人へ変わったマリエータを理解できないネレットに共感できる。
少年には、少女というものは理解し難い存在なのだ。ネレットはいわば失恋したのだが、本人は自分の気持ちが恋だということを理解していない。ネレットの純真さがよく表われていると思う。ネレット、きみにはもっといい娘が現れるさ、となぐさめてやりたい。(2003/10/11)

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