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この世の王国/アレホ・カルペンティエル

この世の王国
アレホ・カルペンティエル

My評価★★★☆

訳:木村榮一・平田渡
水声社(1992/7/30)
ISBN4-89176-269-1【Amazon
原題:El reino de este mundo(1949)


この世の王国フランスとスペイン植民地時代のハイチ。4部構成になっていて、第1部は1751年、第4部は1821年。各時代ごとの事件に焦点をあてている。
農園の黒人奴隷ティ・ノエルを語り手とし、史実と実在の人物を配しながら、白人からの開放、その後次々と入れ替わる独裁者に蹂躙される黒人の姿を、魔術的視点を絡めて描いた作品。ラテンアメリカのいわゆるマジックリアリズム小説。

第1部では、ルノルマン・ド・メジーの農場の黒人奴隷だった男マッカンダルが、逃亡奴隷となって魔術を習得。黒人たちはマッカンダルを、彼らの宗教の祭司と崇める。黒人奴隷ティ・ノエルもその一人だった。マッカンダルは、白人からの自由と独立のために反乱を起こす。

第2部では、黒人奴隷たちの間に「ブックマン」という男が現れ、反乱軍の指導者となった。生き残ったフランス人農場主たちは、命からがら脱出するが、次第に没落してゆく。
ポーリーヌ・ボナパルトは、夫の将軍と兵士たち共にフリゲート艦でやってきた。疫病が流行り島へ避難するが、島でも疫病が拡がっていく。死の恐怖に見舞われたポーリーヌは、黒人奴隷ソリマンの宗教に救いを求める。

第3部、年老いたティ・ノエルはかつて暮らしていた、いまは廃墟の農場に戻ってきた。ティ・ノエルは、白人が去った土地で、監視されムチ打たれながら働いている黒人たちを見た。監視しているのも黒人だった!そこは黒人の王アンリ・クリストフの宮殿だった。ティ・ノエルは捕らえられ、城砦の建設作業に無理やり従事させられるが、クリストフ政権は・・・。

第4部、クリストフの妻と娘たちは、黒人奴隷ソリマンを連れてローマへ亡命。一方、クリストフ亡き後、ムラート(白人と黒人の混血)たちが実権を握り、黒人たちにムチをふるっていた。そんな現状に嫌気がさしたティ・ノエルは、かつてのマッカンダルの力を思い出す。やがて彼は人間の苦しみや希望、この世における王国とは何なのかを悟る。

********************

本作はアレホ・カルペンティエル(1904-1980,キューバ)の初期代表作だという。かつてサンリオ文庫(1985,絶版)から出版されていたものに、全面的に手直しして復刊。本書が決定訳とされている。
白人からの自由と独立、独裁者たちからの開放という一連のテーマの裏で、土着信仰であるヴードゥー教の影響が語られている。薄めの本なのに、よくまとまっていると思う。

序文で作者は、ハイチに滞在したときに「現実の驚異的なものと呼ぶしかない事物」に接したと記している。要約すると、大事な点は人々がマッカンダルのような変身能力など、神話的あるいは魔術的なとしか言いようのないことを「信じている」こと。信じることが「集団信仰の力」になるという。
なるほどねえ。たぶん、実際に変身したかどうかではなく、「人々がそう信じていた」ことが重要なのだと思う。キリスト教にせよ仏教にせよ、信じる人がいるからこそ成り立つのだし。
例えばキリストが水の上を歩いたり、石をパンに変えたり、死後に復活したということが何らかの隠喩だったとしても、行為そのものは魔術的なわけだ。魔術といわず「奇跡」と呼ぶわけだが。

白人からの開放を目指した結果、植民地時代の白人ブルジョワジーは没落するが、今度は同じ黒人に支配されるという皮肉。その次にはムラートが台頭してくる。つまり支配者が入れ替わっただけで、奴隷たちの境遇はまったく変わらない。いや黒人が白人の真似をして、同じ黒人を支配するというのは、とても悲惨なことだろう。
黒人王クリストフは、当初は黒人奴隷たちを開放してくれるはずの待ち望んでいた人物だったわけだ。彼は自分なりの理想によって黒人の国を築こうとするのだが、民衆に忌み嫌われてしまう。クリストフが築くのは自分の王国であって、民衆のための王国ではない。まあ、それが支配者というものなのだろうなあ。
彼のエピソードは、この本の中でいちばん読み応えがあった。クリストフの破滅といい、白人農園主たちの没落といい、黒人奴隷たちよりも格段に興味を掻き立てられる。

ティ・ノエルは支配者の変遷を経て、この世における王国というものについて考え、彼にとっての真理に到達する。その真理は納得できるのだけれど、続く結末が、私にはどうにも釈然としなかった。最後の最後で、このオチは安易ではないか?これじゃあティ・ノエルの悟りは何だったわけ?
この世の王国を築こうと努力してもムダということなのだろうか?それほどの絶望ということなのか。独裁者たちの力とは種類も目的も違うけれど、結局は<力>の行使に過ぎないのでは。自分の読解力が問題なのか。文字通り受け止めるべきではないのかなあ。(2009/11/24)

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