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フォトジェン/ジョージ・マクドナルド

フォトジェン
ジョージ・マクドナルド

My評価★★★☆

訳:小柴一
カバー画・挿画:ナニー・ホグロギアン
新樹社(1989年5月)
ISBN4-7875-8387-5 【Amazon
原題:The Day Boy and the Night Girl


昔、ワトーという名の魔女がいました。この魔女の城館で、オーロラとベスパーという女性が、それぞれ赤ん坊を産みました。オーロラは男の子を、ベスパーは女の子を。
ワトーから、赤ん坊が死産したと聞かされオーロラは城館を立ち去ります。一方、ベスパーは赤ん坊を産んだ直後に亡くなってしまいました。
しかし、赤ん坊は二人とも生きていたのです。

ワトーは男の子をフォトジェン、女の子をニクテリスと名付けます。そして二人を別々に育てました。
フォトジェンには、いっさいの暗闇を知ることのないよう、夜は絶対に目を覚まさず、光のある昼間だけの生活を。ニクテリスには光が閉ざされた岩山の内だけで暮らさせ、昼は眠り夜起きているように育てました。
こうして、フォトジェンは夜の暗闇と月とを知らず、ニクテリスは光と風と太陽や草花などを知らずに育ったのです。

ニクテリスは部屋の外へ出る抜け道をみつけ、機会をみつけては外の世界を満喫するようになりました。フォトジェンは、ある日、狩りに熱中していて日没までに城館へ戻れなくなってしまいました。
互いの存在を知らなかった二人は、庭園で出会うのですが・・・。

********************

『昼の少年と夜の少女』という別タイトルで、他社からも刊行されています。
スコットランドの作家ジョージ・マクドナルド(1824-1905)による、ファンタジーというよりもお伽噺といったところでしょうか。大人の読者ではなく、子どものために書かれた作品のような印象を受けました。

魔女ワトーによって、フォトジェンは夜の世界を知らず、ニクテリスは昼の世界を知らないまま育ちます。両者は世界の片面しか知らず、どちらかの世界でしか自分を生かせません。
しかし、それはあまりにも不自然な姿。昼と夜とで一つの世界を成すように、フォトジェンとニクテリスの二人で完全な姿となるわけですよね。
昼の光溢れる世界が男性的・父性的だとすると、夜の暗闇のなかで生命が息づく世界は、女性的・母性的な世界のようにも受け取れます。

マクドナルドの作品としてはストーリーに食い足りなさが残りました。ちょっと意味を掴みきれないところもあったし。
気になったのは、フォトジェンが最後に放った矢。これは、たぶん魔女がフォトジェンをいじめたときに彼の血が付いた矢のことだと思うのですが、そのことがどういう意味をもつのかがわからないんですよねえ。ケルトにはそんな伝説でもあるのでしょうか。

でも瑣事はあまり問題ではないと思うんです。この作品の魅力はストーリーよりもムードでしょう。
物語を魅力的にしているのは、なによりもニクテリスの存在です。彼女は月明かりの野外で、夜のかぐわしい香気や動植物たち息づかいの気配を、耳を澄ませ全身で感じとる。薄闇に息づく生命たちが、ニクテリスを通じて詩的に描写されているのです。
実は、暗闇で育ったニクテリスは、太陽の照る昼の光を知らないために、月明かりを太陽と勘違いしているんだけどね。
昼の世界よりも夜の世界、薄明かりの影の世界が、生き生きと描かれているように感じられます。その影の世界の息づかいは、いかにもマクドナルドらしく詩的で神秘的。そして夢想的。影の世界には、生命の営みの秘密が潜んでいるかのよう。(2006/3/14)

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