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山の郵便配達/彭見明

山の郵便配達
彭見明(Peng Jianming)

My評価★★★★

訳:大木康
集英社(2001年3月)
ISBN4-08-773343-2 【Amazon

収録作(発表年):山の郵便配達(1983)/沢国(1994)/南を避ける(1996)/過ぎし日は語らず(1997)/愛情(1997)/振り返って見れば(1997)


彭見明(Peng Jianming=ポン・ヂエンミン,1953生まれ)は、中国のほぼ中央部に位置する湖南省出身。
主に作者の故郷である湖南省の農村を舞台に、文化大革命後の当代の中国一地方を淡々と、しかし情感豊かに描いた短編集。彼らの生活や風景に郷愁を誘われます。
中国独特の風習がほとんど書かれていないので、意味がわからずに途惑ったりはしなかったです。それが多少もの足りなくはあるのだけれど。

変貌著しい大都会・広州と対比的に描いていて、節々に改革解放による農村と都会の経済格差、過疎、女性の社会進出、モラルの低下が伺えます。
でも、社会そのものを鳥瞰的に語るのではなく、現在に生きる庶民の個人生活を通してサラリと語っているんです。個人の生活が多様化しつつあり、それに伴って個人の考え方が変わってきていることが感じられました。
総じて、激変する風潮に乗らない人々に焦点を当てており、新風潮を批判している部分もあるけれど、批判と言うよりは新風潮に乗ることだけが全てではないと言っているかのよう。

全編的に、大袈裟に驚嘆したり感動したりするのではなく、読後にじんわり沁み込んでくる短編集だと思います。なかでも表題作の『山の郵便配達』は秀逸。他2編をピックアップ。

山の郵便配達
まだ暗い夜明けに、老人と息子と犬は家を出た。郵便袋の入った天秤棒は、今日から息子が担いでいる。長い年月の間、郵便配達に明け暮れて老いて衰えた父に代わり、まだ若い息子が仕事を引き継いだのだ。
犬は老人の天秤棒をなぜ男(息子)が担いでいるのか、いぶかしみながらも老人に従う。

山々は険しく道は遠い。途中で2泊しなければならないから3日がかりの仕事だ。郵便を渡すと、今度は預かるのため荷物が減ることはない。
道すがら老人は息子に、山や村のことそこで暮らす人々のことなど、自分が蓄積してきたありとあらゆることを教える。
途中に川があった。橋はなく、浅瀬を選んで渡らなければならない。長年渡り慣れた川だが、ヒザの関節炎の老人にとって、いまでは苦痛でしかない難所だった。

********************

原題は『那山 那人 那狗』、「あの山 あの人 あの犬」という意味。1983年に中国の、全国優秀短篇小説賞、荘重文文学賞(中国作家協会、中華文学基金会主催の全国規模の文学賞)を受賞。

老いた父親と若い息子との交流なのだけれど、むしろ、いまでは老人となった父親の心境に重点が置かれています。
老いた父親に代わって、跡を継いだ息子。留守がちにしてきた父親に代わって、家を守ってきた息子は不平も言わず黙々と働く。その息子に対する老父の想い。そして、点在する山村と外界を繋ぐ、郵便配達という仕事への自負。
近代化・合理化とは無縁で、仕事はきつい。父親には、留守がちのために妻や息子を幸せにできなかった後悔もあります。
にも関わらず、山水画に描かれるような峻厳な山々を背景に、父から息子へと引き継がれるもの。
それは悠久の昔から続くゆるやかな時の流れのなかで、たとえ時代遅れであっても失われずに伝わえられていく確固たる生活信条ではないでしょうか。

山々が険しいけれど美しいのは、山への愛着があるから。愛着がなければ険しいだけの山でしかないでしょう。息子が苦労をかけ通しだった父親を助けるのは、父への情愛があるから。犬もそうです。
ラクではない山国での素朴な生活と仕事を通じて、二人と一匹の惜しみなく与え助け合う。無私の情愛が淡々と語られていて、時間が経つほど心に沁み込んでくる好短編でした。

1999年に映画化され、同年の中国アカデミー賞最優秀作品賞を受賞。映画は、原作には出てこない母親が登場したりと、少し内容が異なるんです。
悪くはないのだけれど、感動させようという印象が強いのと映像がきれいすぎるのとで、原作のもつ山の民の淡々とした営みや静謐さ、土着的な雰囲気が減じてしまったように思いました。

南を避ける
老田(ラオテイエン。「老(ラオ)」は敬称)は、年頃となった次女・容(ロン)が美しくなるにつれて、彼女が都会の広東へ行きはしないかと心配する。
村の若者たちは広東へ行き、特に女たちは上役の手がついたり、贅沢をするために身を売ったりと、ロクなことがない。

老田は町に住む同郷で同級生で、いまでは複数の会社を経営する任子午(レンズーウー)に、容のことを相談に行く。
任子午は広東へ行かせるべきではないと言い、他の町の同級生も同様だった。老田は容が自分の目の届くように、近くの町に店を持たせるが・・・。

********************

無性に都会へ憧れる容。田舎で生まれ育った私としては、容の気持ちがよくわかりますねえ。容のような今時の若者に対して老田は、「老(ラオ)」と村人から敬われながらも無力なんですよね。でも、これはまぁ仕方ないだろうなあ。

この短編では親として娘を想う気持ちを軸に、変わりゆく風潮やモラルの低下へのあきらめに似た想いが描かれています。
老田は堅苦しく古くさい考えの時代遅れの人のように書かれているけれど、彼にとっては世間のほうが不可解なのではないのかな。
任子午は娘を自分のところに預けて、老田を自社に引き抜こうとする。でも老田は、ダンスホールでの任子午を見て、娘を預けられないと考えます。
自分の行動に責任を持っている老田に対して、口と腹の内の違いが当然のような任子午。
老田は任子午が世間の風潮に染まり、心から愉しんでいないことを見て取るけれども、彼ばかりを咎めることができないことを知っているんです。しかし任子午には、老田の気持ちは思い浮かばないでしょうね。

愛情
機関区(機関車の基地)で働く坤正(クンジヨン)は、30歳になっても全く女っ気がなかった。たまたま余絹(ユージユアン)という、体が弱くて婚期を逃した女性と知り合う。
二人は意気投合するが、将来のことをなかなか言い出せなかった。
意を決して坤正は余絹と結婚し、彼女に指一本触れず大切に尽くす。だがある時、余絹の元に坤正の職場から一本の電話がかかってきた。

********************

私の苦手な純愛物語。話をかなり作っているなぁと思うけれど、二人の性格の良さがカバーしてますね。
こう言ってはなんだけど、坤正にとって余絹は棚からボタ餅。美しいバラには刺があり、うまい話には裏があるというか。
しかし全てを承知の上で、敢えて自分に試練を課す。
男としてどうあるべきかより、人間としてどうあるべきかを選ぶ坤正は理想像ではあります。現実では己が「幸せになりたい」という人の多いなか、人を「幸せにしたい」という気概の持ち主なので好感が持てました。(2002/2/7)

備考:2007年6月、集英社文庫化【Amazon

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