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オデッサ物語/イサーク・バーベリ

オデッサ物語
イサーク・バーベリ

My評価★★★★☆

訳・解説:中村唯史
群像社ライブラリー(1995年10月)
ISBN4-905821-40-1 【Amazon

収録作:
[オデッサ物語]王/それはオデッサでいかにして起こったか/父/"コサックのリュブカ"
[私の鳩小屋の話]私の鳩小屋の話/最初の恋/穴倉で/目覚め/ディ・グラッソ/ギイ・ド・モーパッサン
カルル=ヤンケリ
フロイム・グラチ


黒海沿岸のオデッサから生まれた短篇集。ユダヤ人街の偉大なギャングたちを描く[オデッサ物語]としてまとめられた短篇では、ユダヤ人街に君臨する王ベーニャ・クリクと、影首領の片目のフロイム・グラチを中心に、襲撃事件とその顛末。
「それはオデッサでいかにして起こったか」では、ベーニャ一党が金持ちを襲撃先するのだが、誤って部下が撃ち殺してしまった!ベーニャは葬式を執り行うのだが・・・。そのベーニャとグラチの娘が結婚に至るまで。また、年老いたツデキスチが、宿屋の女将リュブカの支配人になった経緯など。

[オデッサ物語]を読んで、「ロシアにもこういう小説があるんだあ」というのが第一印象。ロシアの小説と、気候風土といい人柄といい、重々しいというイメージがある。苦労を豪快に笑い飛ばしても、その笑いの本質が苦かったりする。作中に漂う空気が重く、カラッとしたところがないような印象がするのだ。でもバーベリそんなイメージからほど遠かった。
なかでも[オデッサ物語]は、カラリとした陽気な雰囲気で、登場人物は生命力に満ちている。破天荒だが妙にマジメで人情に篤い。ハチャメチャでどこか間の抜けている人々が、面白可笑しく愛らしい。

[私の鳩小屋の話]としてまとめられた一連の短篇は、作者の転換期に執筆されたという。
ポグロム(19世紀後半から20世紀初頭にかけて、東欧やロシア各地での、ユダヤ人への集団的虐殺・虐待行為)に遭遇した主人公の少年と一家。ポグロムから逃れ、匿われた先での初恋。裕福な名家の息子と親しくなり、家に呼ぶことになるのだが、家にはいっぷう変わった家族がいた。祖父や伯父のキャラクターがユニーク。ベーニャ・クリクの人物造型がどこからきたのかわかる気がする。
少年はやがてオデッサを飛び出し、ペテルブルグで得意の語学と作家への憧れを活かした仕事にありつく。少年時代から青年時代までを描いた自伝的な作品。
青年時代よりも、少年時代が方がいい。なんといっても祖父と伯父が際立っている。でも[オデッサ物語]とかなり雰囲気が異なり、比べるとまともすぎてもの足りなく感じてしまう。

最後の2篇は革命後(ソ連時代)に書かれた作品。「カルル=ヤンケリ」は、ソ連下となったオデッサにおけるユダヤ人の待遇の激化が描かれている。
ハッシド派のユダヤ人の娘ポーリャが子どもを産んだ。だが夫(ロシア人)に内緒で割礼の儀式をさせたため、夫に訴えられて裁判にかけられる。公判の最中ポーリャに異変が・・・。ここではユダヤ人の人権や伝統は無視されており、それに対する作者の戸惑いが感じられる。

「フロイム・グラチ」では、オデッサにおけるユダヤ人コミューンの終末が描かれている。義勇軍(白衛軍)を襲撃したユダヤ人ギャングが一掃される。フロム・グラチはユダヤ人とコミューンを守るため、武器を持たず抗議に出向くのが・・・。生前は政治的理由で発表されることのなかったこの作品が、革命後に[オデッサ物語]を執筆するに至った心境を示しているという。

以下は忘れないよう解説からのメモ。つまり解説を読めばわかることばかり。
解説によるとイサーク・エマヌイロヴィチ・バーベリ(1894-1940)は帝政ロシア時代、黒海沿岸の国際都市オデッサ(現ウクライナの主要都市の一つ)に、ユダヤ商人の子として生まれた。ユダヤ人としての正統的な教育を受け、早くから作家を目指していたという。
両親はイディッシュ語、子どもたちはロシア語という環境で育ち、英語・フランス語他ヨーロッパの主要言語を習得。翻訳ではわからないのだけれど、英語やイデッシュ語の倒辞法を、ロシア語の文章に取り入れているそうだ。
ペテルブルク大学に在籍。22歳のときにゴーリキイの知己を得、以来友情が続いたという。1920年のソ連・ポーランド戦争では、通信特派員として各地を転戦。従軍中に健康を害し、コーカサスやオデッサで静養。そのかたわら執筆に専念。
1923年から中央の雑誌に発表し始め、後に『オデッサ物語』『騎兵隊』(中公文庫。現在は絶版)と題して刊行。1925年に発表した短篇『私の鳩小屋の話』以降、その作風は転換期を迎える。[私の鳩小屋の話]の自伝的な作品6編は、作風を転換した後に発表された。
ソ連時代となって後、ユダヤ人のバーベリは困難な立場になる。家族は西側に亡命したが、彼はソ連にとどまった。だが、1913年に粛清の対象となる。その消息は長らく不明であったが、1940年に銃殺刑に処せられたことが判明。後に名誉を回復。

バーベリの作品の背景を理解するために、抑えておきたいポイントがある。まずオデッサという都市だが、古くから国際貿易都市として栄えていた。また古くから各国の支配を受けてきたこともあってか、多民族で構成されており、国際色豊かだという。非ロシア的な風潮なのだそうだ。
作中からは、陽光降り注ぐ地中海の都市といったイメージが喚起される。なかでも[オデッサ物語]ではそれが強調されている。人々の気性も内地の人間とは異なるように感じられる。文学青年たちの好みは、ロシアとは異にしていたそうである。

もう一つ、解説によるとロシア・東欧のユダヤ人社会は、大きく二つのグループに分かれていたということ。
ポーランドやベラルーシ、リトワニヤといった地域には神秘主義的なハッシド派の勢力が強く、信仰と戒律を堅持するユダヤ人が多かった。シンガーの父親は、こうした「北方ユダヤ人」の一人であった。一方ウクライナ南部に住む人々は、ユダヤ人内部の近代的啓蒙運動の影響を受け、その共同体には非ユダヤ的な要素が少なからず入り込んでいた。彼等「南方ユダヤ人」の中心地がオデッサであり、バーベリはこの系譜に属していたのである。(p202~203)シンガーとは、アイザック・バシェヴィス・シンガーのこと。
なるほど、ユダヤ人といっても一括りにしてはいけないわけだ。ハプスブルク時代の世紀末ウイーンで、幻想的・神秘主義的な作品を書いたユダヤ人がいるけれど、彼らはハッシド派と考えていいのかな。バーベリは神秘主義とは無縁で、ユダヤの戒律や宗教観が希薄なように思われる。
ポグロムも重要。ポグロムが起こるたびに多くの人々がオデッサに流入し、モルダヴァンガに貧民街を形成したという。ここを拠点するユダヤ人ギャングの存在は、ロシア中に知られていたとか。
しかし革命直後のソ連下オデッサにおいて、彼らギャングたちは法的措置に諮られず抹殺される。そしてオデッサの伝統、ユダヤ人の独立心が失われる。それが「フロイム・グラチ」で描かれている。この「フロイム・グラチ」から、一連の[オデッサ物語]が生まれた。

人工的とも思えるほどの陽光に満ち溢れ、人々が存在感を発しているのは、ユダヤ人の生命力や精神を濃縮させたものではないのかな。
私が読むべきロシア文学をリストアップするとしたら、この[オデッサ物語]は外せない。ロシア文学としては特異であり、そもそもロシアというイメージからほど遠く、ロシアとかユダヤ人作家という枠に留まらない。時代や人種を超える普遍性をもった作品だと思う。(2007/5/29)

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