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消えた万元戸/陸文夫

消えた万元戸
陸文夫(Lu Wenfu)

My評価★★★★

訳・解説:釜屋修
カバー画・挿画:関乃平
日本アジア文学協会/めこん(1992年12月)
0397-92001-8347 【Amazon】

収録作:ワンタン屋始末記/路地の奥深く/不平者/消えた万元戸


中国の作家、 陸文夫(Lu Wenfu,りく・ぶんぷ。1923年生まれ)による、1950年代から1970年代の中国蘇州の路地に生きる庶民を描いた短編集。日本オリジナル編集。
反右派闘争(1957年春~1958年夏)と文化大革命(1966~1976)が重要なポイントになっており、幾度もの政策の変転によって翻弄される庶民を描いている。政策下での庶民の戸惑いと強さとしたたかさから、当時の中国社会、社会思想と現実のギャップが伺える。最小限の注釈はあるが、政策を知らなくても読めるところがありがたい。

ワンタン屋始末記(小販世家,1980)
かつて職のない私が国語教師の下請けをしていたころ、路地から拍子の音と行商人の声が聴こえていた。部屋の窓から下をのぞくと、ワンタン売りの担ぎ屋台が通っていた。ワンタン売りは、代々行商してきた朱源達(チュユアンター)という青年で、彼は私を高(カオ)先生と呼び、いつも私のぶんのワンタンを売らずに残してくれていた。
1949年の解放後、私は教育関係の幹部となり、生活が向上して一杯五銭のワンタンを食べずともよくなった。
1958年以降、資本主義的なものが一切排斥され、路地から物売りや屋台、果物屋、青空床屋などが消えた。朱源達の家は資本主義の『黒い巣窟』とされ、義侠の徒と称した戦闘隊に破壊される。そして朱源達は「下放」(毛沢東思想による、農村に移住して労働を体験させ、思想改造、自己変革に努めさせる運動)させられる。
8年後、朱源達が私を訪れた。路地からワンタン売りなどの屋台が消えたことを残念に思っていた私は、彼がまた屋台を始めるために拍子木を返してほしいのだと思っていたが・・・。

********************

ターピン(大餅。小麦粉やトウモロコシ粉に、油や塩などを加えて、薄く大きく伸ばして焼いたもの)売り、お湯売り(大釜で湯を沸かして売る。急な客のため大量の湯が必要になったときに利用される)。靴縫い(布靴の底と側を縫い付ける店)、青空床屋など、当時の路地の風俗と息遣いが伝わってくる。
その日の糧を得るだけがやっとの朱源達(チュユアンター)と高(カオ)の対比から、庶民の実生活と政策が矛盾しており、いかにかけ離れているかがわかる。政策の愚かしさと、それに躍らせれる人々。その日を食べるのがやっとの朱源達のような人々にとって思想は無縁だ。彼らは「何が正しい」かではなく、生き延びるため自分に有利なほうへ傾く。家族を養わなければならないからだ。そんな彼らを日和見主義と非難するのは難しい。

路地の奥深く(小巷深処,1956)
紡績工場で働く徐文霞(シュイウェンシア)は誰とも付き合わずに、奥まった路地裏の部屋で、電気関係の勉強をしていた。やがて技術者の張俊(チャンチュン)と知り合い、ふたりでともに勉学に励むうち、張俊に惹かれてゆく。だが徐文霞には人に言えない過去があった。
1952年、人民政府は娼婦を婦女生産矯正院に収容した。孤児の彼女は娼婦として育つしかなかったが、矯正院で女工としての技術を身につけたのだ。彼女は悲惨な前歴を誰にも知られたくなかったが、過去を知る朱国魂(チュクオフン)にゆすられる。

********************

徐文霞(シュイウェンシア)が過去と決別できのたは解放のおかげだ。この作品では解放による恩恵が描かれている。彼女は暗い過去から脱しようと努力するが、恋人には知られたくない。張俊(チャンチュン)は彼女の過去を知ったが、受け入れることができるか!?
若い男女の恋愛と障害を描いたラヴ・ストーリーと言ったところ。作者が20代後半になったばかりのころの作品(1956年初出。その後何度か改稿され、翻訳の定本は1984年刊の選集)。若書きは否めずストーリーは陳腐といえよう。だが、すでに路地に対する愛着が垣間見え、路地における一物語といった感がある。

不平者(不平者,1981)
1969年の冬、下放していた私は、悪辣な肉屋を懲らしめた知識人青年たちの一人、小汪(シアオワン)と知り合う。肉屋と協同組合の主任は権勢を誇っていたのだ。小汪は彼らが配給するために蓄えている倉庫から、力づくで米や砂糖、石炭、薪などを放出させる。
主任は県へ小汪を訴えるが、知識青年のことは党の県委員会の管轄で、県委員長に報告して指示を仰いでからでなければいけないと言われる。あきらめた主任は小汪の懐柔策に出る。そのため人々は、小汪が上から庇護されているのだと勘違いしてしまう。
私は小汪に忠告するが、彼の行動はますますエスカレートしてゆく。小汪は自分の訴状書類を書いた男の存在を知って、殴り込むが・・・。

********************

初めは正義の鉄槌を下すために拳を振り上げた(半ば欲求不満の解消ではあるが)小汪(シアオワン)。語り手の私は、拳骨では何も解決しないと小汪に忠告するが聞き入れてもらえず、逆に馬鹿にされてしまう。一方で小汪に対する人々の要望は、噂だけが先行して想像逞しく膨れあがる。
やがて小汪は一角の人物だと思われて、宴席に招かれ主任や肉屋らと同席する。この時点で小汪と主任らの違いがなくなってしまう。力に頼る者は力に溺れるということか。ラストで小汪は、このとき初めて自分がやっていることを理解したのだろう。
真に変わるべきことは何なのかが朧げながらみえ、小汪が覚ったように力では解決しない。ではどうすればいいのか。語り手である私が下放しているのは、解決の方法を見出せないからではないのだろうか。

消えた万元戸(万元戸,1983)
「元」は貨幣単位で、「万元戸」とは、1979年から施行された生産責任制の導入・農村富裕化政策により、一戸あたりの年収が一万元を超す農家のこと。現在の中国の価値とはだいぶ異なるけれど、日本風に言えば「億万長者」。
養魚池の請け負いで万元戸となった孫万山(スンワンシャン)は新聞に載ってご満悦。そこへ日頃は付き合いのない親戚や、様々な客が孫家にやって来た。孫は太っ腹とばかりにご馳走を振舞う。

人民公社は彼の映画を作ると言う。しかし孫の家にはテレビがないため、自分のドキュメンタリーを観ることができない!この辺りの家でテレビのないのは普通だが、万元戸にテレビがないのでは絵にならない、と家族やディレクターに圧し切られ、カラー・テレビが届けられる。テレビ代は2,240元。ただしアンテナは別。
万元戸となった孫は、娘夫婦から無心されるわ、小学校に寄付しなければいけなくなるわで散財が嵩む一方。そんな状況で孫は、かつて300元無駄遣いしたことを脳裏に浮かべる。300元を失ったことをいまでも悔やんでいた。

********************

発表年で明らかだが、この短編集のなかでは後年に書かれた作品。そのためか政治意識がかなり控えめにされ、おおらかでユーモラスな作風になっている。この短編集では一番面白い。面白ろうて、やがてそこはかとなくかなしいドタバタコメディーといった感じ。

どこからともなく現れて孫万山(スンワンシャン)に群がる人々。孫は苦労をかけた娘が不憫で嫌とは言えず、親戚も無碍にできない。太っ腹なところを見せている孫だが、実はちゃんと胸算用している。
出費が嵩んで次第に不安になり、新製品の自動湯沸し器『魔法瓶』が28元と聞き、もっと安いのはないかと問う。鉄張りで14元と聞き、外側を竹で編んだ魔法瓶なら2元だったはずだと考える。この庶民感覚がリアルなだけにおかしみがある。
面白おかしいのだが、孫に群がり喰い潰そうとする人々や、孫の行動の根底にはかなしさもある。生活の不安という漠としたかなしみを、おかしさのオプラートで包み込んだ作品と言えるかもしれない。(2002/3/13)

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