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ナペルス枢機卿/グスタフ・マイリンク

ナペルス枢機卿
グスタフ・マイリンク

My評価★★★★

訳:種村季弘
国書刊行会・バベルの図書館12(1989年4月)
ISBN4-336-02567-3 【Amazon

収録作:J・H・オーベライト、時間     蛭を訪ねる/ナペルス枢機卿/月の四兄弟


編纂・序文はホルヘ・ルイス・ボルヘス。序文翻訳は土岐恒二。
序文によるとグスタフ・マイリンク(1868-1932)は、有名女優の息子としてオーストリア=ハンガリー下のウイーンに生まれる。本名はグスタフ・マイヤーだが、後にマイリンクに改名。
マイリンクはユダヤの魔術カバラに魅かれていたらしく、ホムンクルスの登場する『ゴーレム』(河出書房新社)という作品があるそうです。本書はゴーレム以前に書かれた作品集とのこと。

この短編集は魔術的と言うかオカルティズムに満ちていて、科学や理屈では到底説明できない世界があるということが書かれています。怪奇小説風な幻想小説と言えなくもないけれど、ちょっと違うような。神智学的と言えるかもしれません。
この短編集で展開する世界観は、小説を書くために思いついたアイデアではなく、作者の世界観が小説になったのだろうと思われ、作者は真実信じていたと思うのです。しかし、実現しないことは本人もわかっているような印象を受けました。

序文でボルヘスは、マイリンクは、死者の国は生者の国を侵犯し、われわれの可視の世界は絶えず不可視の世界の侵入におびやかされていると信じていたのであった。(p14)と述べています。
「死者の国は生者の国を侵犯し」と「可視の世界は絶えず不可視の世界の侵入におびやかされている」という箇所が、この作品集を的確に表しています。
私は、生の世界に背を向け、否定的・拒否的な印象を受けました。可視の世界(宇宙)は不可視の世界(要するに魂・霊の世界)によって成り立っているという感じ。一言でいえば虚無的。不可視の世界も虚無的なんですよ。

中世の人ならともかく、19世紀後半にこういうことを考えていた人がいたとはねえ。ヨーロッパは奥が深いなあ。ちょっとキテるなあという感じはするけど。
ともかく異質で、異端的と言うべき小説群。でも、悪夢的なオチや若干トリッキーなところは好きかも。

J・H・オーベライト、時間     蛭を訪ねる(J.H.Obereit Besuch bei den Zeit     egeln)
祖父の墓に刻まれた文字"Vivo"「余ハ生キテイル」とはどういう意味なのか?
私は祖父が遺した手記から、彼がヘルメス・トリスメギストス(錬金術の祖)を創設者とする教団に入っていたことを知る。手記にはオーベライトなる人物のことが書かれていた。
私は祖父の墓前でオーベライト老人と出会い、やがて友情を結ぶ。そして"Vivo"の意味を知る。

オーベライトが語るには、この世には人間の眼から隠された世界があり、そこには私達の分身のような存在が居り、ぶくぶくと怪物のような醜い姿で贅沢三昧している。分身たちは蛭のように、私たちの時間や生命力、期待や希望に喰らいつき喰い尽くしてしまうと言う・・・。

********************

人は期待・希望を抱くと同時に、それらが報われなかったときの挫折感を回避したいとも願うもの。そして幾度も挫折感を味わい、次第に期待・希望を抱こうとしなくなる。やがてオーベライトのように、期待・希望することを煩わしく思い、そんな感情を自ら拒否するかもしれない。
期待や希望を抱かなければ、時間から超脱することができる。そうすれば蛭に襲われることもない。時間から超脱するということは、永遠に存在し続けられるということ。それは、つまるところ情動または感情からの解放、あるいは拒否ではないのでは。
しかし作中でオーベライトが語るように、「生きている」と「存在している」の間には大きな開きがあるのです。

分身の世界は、人間のエゴから出来ている世界としか思われません。でも、期待や希望を抱くことはエゴでしょうか?私にはそうは思えません。
期待し希望することがいけないのではなくて、方向性が問題だと思うのです。
期待・希望に何らかの"欲"が絡めばエゴになるでしょう。私は「期待」「希望」と、「欲望」は分けて考えるべきだと思う。そうしたニュアンスを含んでいるようなのですが、作者の目指すところは、エゴを含め自我からの解放ではないのかと思われます。

ナペルス枢機卿(Der Kardinal Napellus)
ボートに乗って、錘の付いた絹糸を垂らして湖の深さを測定するヒエロニムス・ラートシュピーラー。ラートシュピーラーがなぜ測定しているのか知る者はいない。
そこは地上で一番深い場所。彼は湖に糸を垂らすことで、自分の内面に糸を垂らしているだという。

彼は<青の結社員>という宗教セクトに所属していたことがあった。セクトの紋章は青トリカブトの花、創設者はナルペス枢機卿であった。
青トリカブトは聖者ナルペス枢機卿の変身した姿であるという。結社員は、青トリカブトの花に自分の名前をつけて、自ら鞭打って流れた血を注いで育てる。
彼は暗黒の信仰と青トリカブトから逃れようと、セクトから逃げ出した。そのときに聖遺物の地球儀を持ち出した。

********************

ラートシュピーラーは、ナルペス枢機卿の影=青トリカブトの花から逃れようとするが・・・という話なのだが、特異なところはラートシュピーラーが湖の測定をする理由。
彼は自分自身の内なる深淵に糸を垂らす。だが、彼が語る理由は非常に捻れている。信仰や希望、太陽、光といった、普通ならば善なるものと考えられる事柄に背を向けている。

外的世界に背を向けてひたすら己の自我を探求する姿は、なんと言うかなぁ・・・。もしこういう人が身近にいたら絶対知り合いになりたくないな。
でもオチには「おっ!」と思いました。こうした短編はオチが命だと思うけど、この場合は上出来でしょう。

月の四兄弟(Die vier Mondbruder)
デュ・シャザル伯爵の近習として雇われた私マイリンク。デュ・シャザル伯爵は決まって毎夏7月21日に限り、ハーゼルマイヤー博士を迎えていた。
私は、デュ・シャザル伯爵とハーゼルマイヤー博士との会話を耳にしてしまう。それは月と機械と人間に関する奇怪な話だった。世界霊が機械を操り、人間を滅亡させると言うのだ。

数年後、私はデュ・シャザル伯爵から、ヴィルツィヒ師に奉公するよう命じられる。
時は戦争(第一次世界大戦)の最中。ヴィルツィヒ師の館にハーゼルマイヤー博士、ツァイクロス博士、デュ・シャザル伯爵が一堂に会する。その中に、私はヴィルツィヒ師の命令で居あわせた。

********************

私にはイマイチよくわからなかったです。
人類のカタストロフを願う、悪魔とでも呼ぶべき4人が登場するんですよ。そのカタストロフとは第一次世界大戦であり、機械が人間を滅ぼすという。
ここまではわかるのだけれど、月の有毒と世界霊が人間に作用し、機械を勝利に導くのだとか。さらには太陽も人間にはプラスに作用しないという。つまりこの世界には、人間に良い影響を与えるものはないんですよ。うーん、そういうふうに世界を考える人って、何なのだろう?

ただ、どの短編もそうですが、悪魔的な企みは結局は成功しないんですよ。それは悪魔的だから善に打ち勝てないのではなく、世界を虚無と捉えているから成功しないのだと思われるんです。虚無・・・それこそが作者の真意ではないでしょうか。(2005/12/16)

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こんにちは

国書刊行会のバベルの図書館、縦長の本のシリーズですね、何冊かはもっているんですが、考えたらずいぶん読み残したものがあることに気がつきました。このグスタフ・マイリンクの短編集もなにやら魅力的ですね。

No title

jacksbeansさん

そうそう縦長の本です。あの形、読みにくくないですか?ページをめくりにくかった記憶があるんですけど。
実のところ、このバベルの図書館はなんとなく苦手なんですよ。読めば面白いのだろうけれど、なんかとっつきにくくて、なかなか手を出せないでいるんです。
バベルの図書館は、縦長の形といい装填といい、読む人を選ぶ雰囲気があるような(笑)。
それでも読んだマイリンクは、不思議な魅力がありました。
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