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美食家・他/陸文夫

美食家・他
陸文夫(Lu Wenfu)

My評価★★★★★

訳・解説:松井博光,監修:松井博光+野間宏
徳間書店(1990年9月)[絶版]
ISBN4-19-304355-X 【Amazon

収録作:美食家/塀/罠


中国・蘇州の小巷に生きる市井の人々を描く作家として知られる、陸文夫(Lu Wenfu。日本語読みは「りく・ぶんぷ」,1928年生まれ)の短篇集。陸文夫は反右派闘争で反党分子とみなされ、後の文化大革命でも政治的迫害を受けた作家の一人。彼の経歴は『美食家』の高小庭に投影されている。

美食家(原題も同じ,1982)
風光明媚な水の都・蘇州。貧乏学生の高小庭(ガオ・シアオティン)は母親と祖母とで、朱自治(ジュズーイエ)の屋敷の長屋に住んでいた。家賃を払わなくていい変わりに、門番と朱の家事の面倒をみることが条件だった。
不動産のあがりで暮らす朱は、30に手の届く歳だが独身で、食好みとして知られていた。質素倹約、反食好みを旨とする高は、朱のつまみを買う使い走りをさせられ、資本家の朱と美食に対して反感を抱く。そして1948年冬に家を飛び出して、解放区(共産党軍(人民解放軍)の支配する区)へ向かう。

時すでに共党産軍は勝利を収めており、高はそのまま蘇州へ配属させられる。皮肉にも、罪悪と思っている食品に関する部門だった。すべての企業が公私共栄となったとき、高は蘇州で有名な高級レストランの社長となる。
高は従来の蘇州の高級料理を廃止し、安価で庶民的な料理にメニューを変更。大衆は当初こそ喜んでいたが、貨幣が出回るようになって(1955年以降、給与はそれまでの現物支給から貨幣へと変わった)懐が豊かになると、よりおいしい料理を求め始める。改革の推進に情熱を傾ける高は、おいしい料理を求める人々を忌々しく思っていた。

1957年の反右派闘争(共産党に批判的な意見を持つ者「右派」を追求する反「右派」闘争)。大躍進とその後の食糧難、文化大革命を経て、高はなにかと朱と縁が切れなかった。文革後、外貨獲得のために観光と飲食産業に力が注がれるようになると、高はメニューや内装など、人々を惹きつける工夫をしなければならなくなった。
伝統の蘇州料理を復活させようとするが、すでに一流のコックは引退しており、若いコックは養成しなければならない。そんな時代になって、朱が「美食家」として頭角を顕す。

********************

不味いものより美味いものが食べたいと思うのは、よっほどの変人でもない限り、万人共通の思いだろう。食糧難の時代は別として、食への欲求を止めることは誰にもできない。極論すれば、食への欲求の前には、変転した政策がいかに無意味であったか。食を通じて混迷の時代を描いている。
食から当時の世相がうかがえ、中国人的な精神を表すであろう食文化と、食を通じて中国近代化への変遷を巧みに描いた名作。

あらすじは主に時代背景に終始したが、政策云々は脇へ置いといて、美食家VS反美食家の物語としても読める。ともあれ蘇州料理がふんだんに登場する。
朱の一日は、朝一で有名な麺屋へ行く。なぜ朝一かと言うと、まっさらな湯でゆでた麺が美味いからだ。何杯もゆでた後では、麺にゆで汁の匂いがつくからだと言う。その後に茶楼で茶を呑む。湯は天水、茶は洞庭東山から直接買い入れたもの、湯を沸かすのは素焼きの壺、燃料は松の枝、宜興(イーシン)名産の紫砂壺(焼物の急須)。
ここで食友たちと合流。前日の料理を論評して、その日に行く店を決める。昼食後は浴場へ行き、消化のためにマッサージしてもらう。そして3時間睡眠をとったころには消化され、次の食事のための余地ができる。夜は酒場へ行く。蘇州の酒場ではつまみがほとんどないので、高小庭(ガオ・シアオティン)があちこちの店から美味いものを買いにやらされる。しかし、そんな朱より数段上の人々がいた。レストランを軽蔑する孔阿碧霞(コンピーシア)のサロンだ。

後年、朱は食の知識を買われて美食家として名を成す。元・名コックの楊中宝(ヤンジョンバオ)は、講演を依頼されて、具体的な作り方のコツを話す。しかし朱はコックでないので作り方は指導できない。他人が料理したものを分析し賞賛または批判するのみ。そんな美食家の存在とは何なのだろう。

塀(囲墻,初出1983)
雨風で建築設計事務所の古壁が倒壊。事務所は大通りに面しているので、外の喧騒がうるさくてかなわない。朝の打ち合わせ会議で、塀を再建することが決まった。塀は建築設計事務所の顔となるため、ヘタなものは造れない。
そこで所長は三派に意見を出させようとする。一派は現代の高層建築に関心を持つ『現代派』、一派は古典建築を重要視する『保守派』、もう一派は何派とは括れないが一切の変革に反対し清算を重視する。所長は三派に意見を闘わせておいて、部長の馬而立(マーアルリー)にふった。

37歳の馬はとても有能だが、童顔のために頼りなく思われていた。またとてもすばしこく、あまりにも仕事のスピードが速いために、かえって不審がられていた。所長は馬に意見を取りまとめるよう指示する。土曜日の夕方に職員が帰宅して、月曜日の朝に出勤すると、忽然と塀があった。
突如出現した塀に誰もが惑いを隠せない。現代派と保守派ともう一派は、無断で造られた塀をそれぞれの立場で批判。しかしその年の冬、建築学会でこの塀が賞賛されると、三派ともに得意満面となって自分の功績を主張するが馬は?

********************

他の二篇は作品の末尾に完成した年月が記入されているが、この一篇のみ完成年が書かれていないので、初出の年とした。
テンポがよくコミカルで、ほのぼのとしたムードの中に風刺を利かせた作品。馬而立(マーアルリー)と三派の人たちとの対比がいい味を出している。馬而立(マーアルリー)の行動がユーモラスで、クスクスと笑わせるおかしみがある。陸文夫はシリアスな作品もいいのだが、私はこんなおかしみのある作品の方が好きだな。
馬のような人物を器用貧乏と言うのだろう。こういう人は重宝がられるが、出世しないんだよなぁ。人柄がよくて実力があり骨身を惜しまず働くが、欲がないために、いいところを口先ばっかりの人たちに持っていかれる。現実にいるんだよねぇ、何もしないで最後にちゃっかりおいしいところを浚っていく人って。

罠(往后的日子。後に「圏套」と改題,1980)
50歳を過ぎてからつれあいを亡くし、勧める人があって10歳以上年下の施小梅(シーシオメイ)と再婚した趙徳田(ジャオドーテン)。二人は仲睦まじく暮らしていたが、ある日、趙徳田はちょっぴり血を吐いた。病院へ行き、すべての科を周って検査するが、原因が特定できないため、趙は医者を罵倒する。
自宅で医療書を読むが、読めば読むほど癌ではないか、死期が迫っているのではないかと思い、次第に生気を失ってゆく。痰に血が混ざっていないか見るため、理由を隠して施小梅に新しい痰壺を買うよう言いつける。
しばらくして施小梅が痰壺を買って来た。彼女がふざけていると、痰壺が趙の頭にスッポリとはまってしまった!
鼻がつかえて抜けなくなったため、趙は頭から布で多い、施小梅に支えられて病院へと向かう。罵倒した医者の前に出て嘲笑されるのは耐えられないが、背に腹は換えられない。待合室に座っていると看護婦がやって来て・・・。

********************

人を嘲る者は自らも嘲られるということですな。と言えばどうなるか大体見当がつくだろう。痰壺をかぶっている間、趙徳田(ジャオドーテン)は事は癌より深刻だと悩む。他人事だったら笑えるのだけれど、自分のこととなるとそうはいかない。死後に惜しまれず、笑い者にされるのだから。
しかしこの一件で、趙は病気ではないかと疑心暗鬼していたことをスッカリ忘れてしまう。病気なんかしていないのだと自覚するが、そこへ病院に居合わせた人がやって来て、本人とは知らずにいまさっき見たばかりの滑稽な話を聞かせてやろう言う。
やっぱり日頃の行いが大事ということだろう。突然の不幸ということもあるが、死んでまで笑い者にはされたくないな。「あの人は日頃からおかしなことばかりしていたから」と、全く知らないくせに言いだす人がいるのだから。まぁ、本人は往生しちゃえば聞くことはないのだけれど。(2003/3/27)

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