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父の形見草 堀口大學と私/堀口すみれ子

父の形見草 堀口大學と私
堀口すみれ子

My評価★★★☆

写真:佐藤裕
文化出版局(1991年4月)
ISBN4-579-30325-3 【Amazon


詩人・翻訳家の堀口大學(1892(明治25)-1981(昭和56))の娘・堀口すみれ子(1945年生まれ,詩人)が、父親の遺品や記憶から、父親の想い出を綴った随筆集。

堀口大學は戦前から昭和初期の人というイメージがあったのですが、80年代まで存命だったんですね!なんとなく昭和初期頃にお亡くなりになったのだろうと思ってました。
彼の晩年の自作の詩には、「宇宙中継」とか「マクロ」という言葉が使われているんです。堀口大學と「宇宙中継」や「マクロ」・・・。うーん、どうしてもイメージが噛み合わないんですけど。

大學は明治25年に生まれ、18歳のときに新詩社の與謝野鉄幹・晶子の家で古典を学ぶ。ちなみに與謝野鉄幹・晶子の門下を「與門」というのだそうです。このとき同い年の佐藤春夫と引き合わせられ、亡くなるまで兄弟のようにつき合ったそうです。
19歳のときに外交官の祖父に呼ばれて、10年ぐらいメキシコやヨーロッパで暮らす。外国では、フランス語しか通じない継母・異母弟・異母妹らと公使館で生活していたとか。
19歳頃から10年以上肺結核を病み各地で療養していたが、20歳頃から片肺が機能しなくなった。
25歳のときに、スペインのマリー・ローランサンのアトリエを初めて訪れる。ローランサンと親交があったんですねえ。
最晩年の1979年には文化勲章を受賞。

堀口すみれ子の母となる女性との出逢いは、昭和13年、野尻湖畔のホテルで大學は京大文学博士ジョルジュ・ボノーと、漱石の『こゝろ』のフランス語訳に専念。ふうん、こういう人たちが日本文学を海外に紹介していたんですね。
47歳の大學は、親戚の経営しているホテルに遊びに来た18歳の少女と出逢います。少女は大學を頼って東京に出ます。しかし当時、大學には女性がいたので、所帯を持ったのは三年後の昭和16年だとか。
これだけを聞くと、大學は女性関係にだらしがなさそうに思うんですが・・・。
彼の訳詩から、進取の気風に富んだ鋭利な学者然とした人柄だろうと思想像していたのですが、本書を読むと、おっとりと温和でロマンティストな気質という印象を受けます。
考えてみると、彼が訳した詩にはロマンティックなものが多いですね。もっとも自作の詩の方が、彼自身の性向がよく表れているようです。年齢的なものもあるんでしょうけど。

人に(p54)

花はいろ そして匂い
あなたはこころ
そしてやさしさ


上の詩は気取って詠んだのではなく、ごく自然な感情の発露によって書かれたものだと感じられます。本書を読んだ上でイメージされる堀口大學の気質をよく表している詩だと思うんです。

(p106)

よろこびの時は短い
夢よりもなおも儚ない
束の間もこれより長い

よろこびを時が持ち去る
かなしみを時が置き去る

かくてこの心に残る
かなしみが心にしみる
何時までも 明日(あす)明後日(あさって)


どちらの詩も率直な心情が素直に書かれていると思う。後者の詩は、彼は72歳で21歳の一人息子(第一子)に病気で先立たれているので、先に逝った人たちへの想いがこめられているのではないのかな。彼より早く逝った子どもや友人たちを想って書かれたのではないかと想像されます。

他には『すぎた日頃』という詩もあり、晩年の詩でしょうか。哀しいこともあったけれど「すぎた日頃はよい日であった」と、人生を肯定しているんです。いずれの詩も気取りがなく、素直な人柄が偲ばれます。
娘による随筆と大學の詩から、彼の人柄がしみじみと伝わってくるんですよね。

著者が生まれたのは大學が50歳を過ぎてからなので、彼がバリバリに活躍していた頃ではない。それに著者の追想だから、多少の美化がないとはいえません。それでも、堀口大學の普段の人柄や気質を窺い知ることのできる本でした。(2005/10/23)

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