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木の匙/三谷龍二

木の匙
三谷龍二

My評価★★★★★

新潮社(2005年10月)
ISBN4-10-300191-7 【Amazon


工芸家・木工デザイナーによるエッセイ集。カラーフォト多数。三谷龍二(1952年生まれ)さんは、1981年に長野県・松本市に工房を開設し、木工芸はもとより絵やエッセイもこなす。写真はてっきりプロが撮っているのだろうと思っていたら、三谷さん自身によるもの。写真までやるのかあ。才能のある人は違う。オフシャルサイト【木の器】。
ベルンハルト・シュリンク『朗読者』と『逃げてゆく愛』、伊坂幸太郎『オーデュポンの祈り』(文庫版)と『ラッシュライフ』や『重力ピエロ』などの装填のオブジェの製作者。

以前から三谷さんの木の作品に興味はあったのだが、手に取って写真を眺めることはしても(写真から醸し出される雰囲気が好き)、文章を読むというほどではなかった。でも、雑誌に連載しているエッセイを読んで、その感性と、気張らず誠実で一本筋の通った文章がとても気に入り、その人となりやライフスタイルに興味を惹かれた。
書店でパラパラとページを捲っていたら、巻末のあとがきに代えた文章の中で、私の大好きなウィリアム・サローヤンの『パパ・ユーア・クレイジー』から引用していることもツボだった!『パパ~』を好きな人なら、と思ったのだが、果たしてそのとおりだった。

木の器の手入れについても語っている。また、持ち込まれた器や匙などの修繕もしているという。著者は、現代では木を手入れしながら使う習慣が壊れてしまったと語る。
木で作られた道具というものは、私が生まれたころは当たり前に見かけたものだった(田舎だから、ということもある)。けれども、それがプラスチックやステンレスに替わり、いまや木製品はあまり見かけることがない。木材そのものが高価だからということもあるだろう。
木工製品というものは、使えば使うほど艶や味が出てくる。そこには、それを長年使い続けた持ち主との時間が共有あるいは凝縮されていると思う。私はそういう時間を大切にしたいと思う。そう思う背景には、年齢的なものもあるかもしれない。気持ちに余裕ができてきたから、手入れする気になるのだと思う。
モノの溢れた時代に生まれ育ったが、長く使用するに耐えるモノ、誠実な仕事によって作られたモノがなくなった。そういったことにウンザリしたという気持ちもある。

もともと生活品は、人間のからだが基準になってつくられることが多い。頭ではなく、手やからだで考えられたものだ。
頭で考えたことは、どこまでも翼を広げれるすばらしさを持つ反面、間違いや、無理を生み出してしまうことも多い。
でも、からだは具体的なものからいつも離れることができないから、手でできること、歩いていけるところ、それはどんなに時代が進歩しても、それほど変化することがない。

変わることのない人の暮らし。変わることのない人のからだ。そうした「限定」が、かえってものが生まれるための、確かな「理由」を与えてくれることにもなるのだと思う。(p30)

当たり前のことだと思う。けれども、あまりにも当たり前すぎて見失われがちではないかと思う。ともすれば見失われがちなこと、そんな事柄を著者は掬い上げている。その著者の眼差しに惹かれる。

サンフランシスコ郊外で見た古い木造納屋についてのエッセイで、
『大草原の小さな家』の時代。お金も時間もない中で、必要最低限のかたちの家が造られたが、それがかえって、ムダなものを省いた簡素な美しい家を生み出したのだった。
「大切なものを、単純なかたちで」。アメリカの納屋が教えてくれるものは、人にとって一番大切なものは、豪華な家でも綺麗な服でもなく、ジーンズとTシャツを無造作に着てでもいい、ただ日々「居心地よく、単純な暮らし」ができることである。
そう語っているように思えるのだった。(p92)

「居心地よく、単純な暮らし」。私もそうありたいと思うけれど、まだまだ。(2006/6/20)

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