スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

満月をまって/バーバラ・クーニー

満月をまって
文:メアリー・リン・レイ,絵:バーバラ・クーニー

My評価★★★★☆

訳:掛川恭子
あすなろ書房(2000年9月)
ISBN4-7515-1981-6 【Amazon
原題:BASKET MOON(1999)


1900年代前期、アメリカのニューヨーク州ハドソンからそれほど遠くないコロンビア郡の山間部で、籠を編んで暮らしていた人々の物語。
山には主人公の少年一家と、ビッグ・ジョーとクイーンズさんが住んでいます。このあたりは土地がやせているため作物が育たず、木を伐って皮を剥ぎ、編んだ籠を売って生計を立てています。
満月の夜、とうさんは月明りを頼りに、ハドソン町へ籠を売りに歩いて出かけます。ぼくはまだ幼いから連れて行ってもらえません。ハドソンへ行ったことがなく、町がどんなところか知らない。
やがてぼくも籠を編むようになり、9歳になったとき、初めて町へ連れて行ってもらいました

店に籠を卸すとその代金で、食糧など必需品を買いました。初めて見る町はめずらしいものばかり。
父子が広場をとおりかかったとき、二人の籠を貶し、山ザルと言って嘲笑う声がしました。家へ帰ってそのことをかあさんに言うと、「山の木は私たちのことをわかってくれている、ハドソンの人がわかってくれなくてもいいじゃないか」と言います。
でもぼくにはこれまで自慢だった籠が、ひどく惨めなものに思われて仕方ありません。
そんなぼくを見て、ビッグ・ジョーは「誰が信用できるのか、風はちゃんと知っている。風はみている」と言いました。
聞く耳さえあれば、山の木の声が聞こえるのです。ぼくは山で、木と風の声に耳をすませます・・・。

********************

おそらくクーニーが好んで描き続けていたと思われる時代のお話。こういう時代を描くとき、クーニー(1917-2000)の絵は時代考証をキチッとおさえ、淡々としかし力強く、素朴さを失わずに描いてみせます。
メアリー・リン・レイの文章が大きなウェイトを占めているのですが、どうしてもクーニーの作品と思えてしまうのです。いかにもクーニーらしい内容だと思います。
著者あとがきによると、1950年代にもなると籠の変わりに紙袋やビニール袋、ダンボール箱が使われるようになり、籠が消えていったのだそうです。

山で籠を編んで生計を立てている貧しい人々を、町の人が卑しめました。誰にもそんな権利はないのに。町に住む人々は、山の人たちが作る籠を必要としているのに。
町に住む人々にとって、森深い山は不気味で未知・未開の場所だったそうで、そんな時代背景になっています。

初めて町へ行って、自分たちがどう思われているか知った少年は、ショックを受けます。それまで立派だと思っていた自分たちの籠が、惨めなものに思えてしまったのです。
そんな少年が山の木々、風に耳をすませて、自分たちの作っている籠がどんなものか悟ります。それは何が大切なのかに気づくことによって、山での生き方を確認することでもあるのです。
聞く耳さえあれば、聞こえる山の木の声。母親は「山の木は私たちをわかっている」と言います。父親が何も言わないのは、たぶん少年にもわかる日がくるだろうと思っているからなのでしょうね。

答えは誰かに教わって理解できるものではなく、本人が自分自身で見つけなければいけないのです。でも、少年が悟ったことは、山に住んだことのない町の人々にとっては理解しにくいかもしれませんね。(2003/6/28)

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへにほんブログ村 本ブログ 海外文学へ

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

H2

Author:H2
My評価について
=1ポイント
=0.5ポイント
最高5ポイント

最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
FC2カウンター
検索フォーム
リンク
QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。