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花の香りで眠れない/フマユン・アザド

花の香りで眠れない
フマユン・アザド

My評価★★★★

訳:鈴木喜久子
てらいんく(2003年2月)
ISBN4-925108-27-1 【Amazon

収録作:花の香りで眠れない/父ちゃんの思い出


バングラデシュの現代作家フマユン・アザド(1947年生まれ)は言語学者でもあり、現在はダッカ大学教授だそうです。
バングラデシュは元パキスタン、その昔はベンガルといい、ネパールとプータンよりちょっと南下した、インドに囲まれたところ。ミャンマーとも国境を接しています。複数国と国境が隣接しているため、文化的宗教的に複雑であり、常に国境問題が絶えません。
作品の舞台となるのは東ベンガル。西ベンガル州はインド領に属します。ちみなに原書はベンガル語。
東ベンガルの気候風土は低湿地帯で、植生や農耕作はまさにこれぞアジアという感じ。ムサルマン(イスラム教徒)、ヒンディなど多様な宗教の人々が、それぞれにコミュニティーを作って生活。しかし、戦争による荒廃や都市化によって農村は失われていく。

2作品とも少年少女向けに書かれたそうですが、だからと言って私は子ども向けだとは思いません。ある程度時代背景を理解できる年齢のほうが、作者の想いを深く受け止められると思うのです。
2作品とも大人になってから、子ども時代の思い出を回想する話になっています。子どもの視点と大人になってからの視点が交じっているのだが、それが物語の陰翳を深めていると思います。
戦争や都市化がなぜ行なわれるのかという背景が語られず、政治や思想的な突っ込みこそないけれど、そのぶん当時の現地で暮らした作者が、故郷ラリカルへの想いと、父への思慕(これはフィクション)が、主人公の子どもらに託されてストレートに伝わってきました。

花の香りで眠れない(1985)
幼いときに村で暮らした親が、村の生活を知らない息子に思い出を語る。訳者によると都会に住む親が、1983年前後に20数年前を回想している形になっているという。
ライムとケジュルの木の芳しさ、ホテイアオイの煌めき、銀色の魚イリシュ、大市(バザール)で観た魔術師など、子ども時代の視点で村での日常が語られます。

世界一美しい都市はどこかと訊かれて「パリ」と答える子どもたち。でも誰もパリを見たことはないんですね。そもそも都市を見たことがないので想像できないのです。しかし子どもたちは湿地帯にパリを見る。子どもたちが想像したパリとは?

慢性的飢饉に苦しむ人々、詩を詠んだことのない村人、コレラに倒れた弟、瀕死の状態となった村ラリカル・・・。ときに甘くときに苦く、失われし故郷への哀歌。

********************

帯のコピーが実に的確なので引用します。
蛍が光る。ライムのつんとくる香りが漂う。ライムの葉のかぐわしい香りが重なる。眠れない。花の香りで眠れない。
村はいま文明の波に洗われ、瀕死のありさまであり、都市に生きる作者が万感の思いをこめて故郷に呼び掛ける。国民の半数が詩人ともいわれる低湿地帯の国に生まれた詩情豊かな文学。


読後は「なんて豊かなんだろう」と思いました。詩情性が本当に豊なのです。本当に花の香りが鼻腔をくすぐるかのようなかぐわしさを感じました。
でも、ラリカルは楽園ではないんですね。慢性の食糧不足やコレラなどによって、村々はバタバタと倒れていく。しかし交通事故や電線に触れて死ぬことはないという。
かつては水路には水が流れ、収穫量は少なくとも湿地には植物や魚がいたけれど、いまでは道路整備のために湿地は淀んで濁りきってしまう。収穫高は上がり、コレラは克服されたけれども、村は荒廃していくのです。

食糧など物質的には非常に貧しいけれど、村の生活は芳香に溢れて輝かしい。ここには精神的な豊かさがあります。
それは主人公の子どもの家が飢えることのない程度に裕福で、他のことを考える精神的余裕があるからかも。しかし、そのことを作者は踏まえた上で、ラリカルへの想いを結実しているのです。

父ちゃんの思い出(1989)
解放戦争を経て東パキスタンがパングラデシュとなった1971年、4歳だった私。その年、ダッカはパキスタン軍によって戒厳令が敷かれて、ベンガルの自治運動を推進する大学は灰と化した。
一家は危険なダッカを脱出して、田舎の村ラリカルへと向うが、ラリカルもまた危険な状態になったので、解放軍によって取り戻されたダッカへ戻る。
事態はバングラデシュ独立への道しか残されていなかった。
コッドル(インド独立時にガンジーがイギリスに対抗して、自ら糸車を回して手織りで作った粗布。国産愛用とし、独立の象徴とした)のシャツを着た父ちゃんは、解放軍のいる西の戦線へと向う。そして独立。しかし父ちゃんはもう帰って来ない。

私は父の日記でしか父ちゃんを知らない。その日記の中で、16年間父ちゃんに会ってきた。
私が生まれた当初の父ちゃんの日記は、私のことが逐一占めていた。日記から私を可愛がってくれたことがわかる。
その父ちゃんはいまどこに     

********************

バングラデシュ独立戦争当時に生まれた子どもによる、戦争へ行って帰って来ない父への慕情を切々と語られます。
父親の日記を通じて、何が起きてなぜ父親が戦線へ赴くことになったのか、という経緯が書かれています。
16年間父親と対話し続けた主人公。主人公には父親の記憶はありません。残された日記から父親像を築いていくんです。

この作品は戦争責任を追及することにあるのではなく、戦争で父親を失った青年の悲しみを描いています。主人公の東ベンガル側から書かれており、パキスタン政府が悪者になっています。
確かにパキスタン側に問題はあるのではないかと思います。でも、ベンガル-パキスタン-インドの関係は複雑に縺れているため、そのまま鵜呑みにするのは危険かもしれません。
日本は他国に併合されたことはなく、国境を接していないので他民族との直接的軋轢がないので、東ベンガルからパキスタン、そしてバングラデシュとなった状態を理解するのは難しい。
しかし例え原因が何であれ、また独立できたとしても、それまでには多くの犠牲者が存在するわけです。主人公の父親もその一人。顔も知らない父親への想いが綴られた、せつない作品でした。(2003/2/28)

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