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ココの詩/高楼方子

ココの詩(うた)
高楼方子

My評価★★★☆

カバー画・挿画:千葉史子
リブリオ出版(1987年10月)
ISBN4-89784-157-7 【Amazon


人形のココは、子ども部屋を出て広い世界へ飛び出しました。アルノー川に突き当たました。白い舟を探していると、ネズミのヤスが乗せてくれました。
ヤスがココを連れて行った先は、ベッキオ宮のいまは使われていない部屋でした。そこにネコのカーポとイラが住んでいました。
ヤスは、ココを借金の形としてカーポに売ったのです。でもココはそのことにちっとも気づかず、ヤスが迎えに来るのを待ち続けます。

ネズミのモロと知り合ったココは、カーポとイラたちが贋作一味だと知りました。ウフィツィ美術館の絵が、ネコたちによって贋作にすり替わえられているのです。そして、ヤスが迎えに来るはずがないことも知りました。
ココはヤスのことを忘れて、モロを手伝って贋作一味を捕まえようと決心。ウエムをリーダーにモロ、マツのネズミたちとココは、贋作一味を捕まえるため奔走するのですが・・・。

********************

著者の初長篇だそうです。この後に書かれた長篇をすでに読んでいるので、もの足りなく感じました。モヤモヤ感が残ったし。
この作品から著者の本を読んでいれば、また違う感想を抱いたかもしれません。でも私の性分には合わないな。

カーポとイラは憎めないし、ネコたちの贋作行為は、単純に善悪の二元論では語られない。ウエムの言うように、「なぜ本物の絵じゃなきゃならないのかってこと」ということによってのみ、ネズミたちの行動が正当化されます。
そんな中、ココの気持ちは揺れ動く。
何が善くて何が悪いのか。その境界は曖昧で、気持ち次第でどちらへも傾く。しかも、ラクな方へラクな方へと流されやすい。それは結果を考えず、その場の感情だけで動くから。自身の感情に流されているんですよね。そんなココにイラっとさせられました。

第三部では意外な展開になり、ガラリと作風も内容も変わるんです。子ども向けの物語かと思いきや、単純にそうとは言い切れないないような。
第四部ではまた元の世界に話が戻ります。読み終わった直後は、第四部がスッキリせずもの足りなく感じたのだけれど、ひょっとしてこれでいいのかも・・・。

これはココの宿世の物語なのでしょう。業とも言いますね。業と言うのは簡単だけれど、ココの場合は何度同じ間違いを犯しても学ばないだけ。嫌なことは忘れようとして、リセットしてしまう。
これでは経験から学ぶことはできない。そもそも学ぼうという意志がない。なので次もまた同じようなことで躓いてしまう。嫌なことでも、正面きって問題点と向き合おうとしない限り解決しないと思うのです。
もし主人公がこの性格で男の子だったら、こういう話は書かれないんじゃないかな。読む側が女性ならば、こんな性格の男の子をどう評価するだろう?
ココと同じことを男の子がしたら、たぶん評価は手厳しくなるのでは。逆に言うと、この物語はココが女の子だから成り立つのだと思います。それは、ココは女の子だから、と読む側がどこかで許している部分があるからのように思われるのです。(2006/7/21)

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