スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

かばん/セルゲイ・ドヴラートフ

かばん
セルゲイ・ドヴラートフ

My評価★★★★★

訳:ペトロフ=守屋愛,解説:沼野充義
成文社(2000年12月)
ISBN4-915730-27-1 【Amazon

目次:序文/フィンランド製の靴下/特権階級の靴/ダブルボタンのフォーマルスーツ/将校用ベルト/フェルナン・レジェのジャンパー/ポプリン地のシャツ/冬の帽子/運転用の手袋


特権階級の靴
レニングラード(現在のサンクト・ペテルブルク)の市長から、ふとしたイタズラ心から靴を盗むことになった話。
当時、彫刻師見習いをしていたセルゲイは、レーニン記念像の制作に携わった。班長のオーシプ・リハチョーフ、彼の助手で友人のヴィクトル・ツィーピンは、どちらもすごい酒飲み。
彫像は現場で仕上げられることになり、地下鉄の駅構内で作業する。セルゲイは一番若いからと、何度も地上へ酒を買いに行かされる。
開業式の前夜、彫像は台座に据え付けられ樹脂で固定されたが、樹脂の量が多かったために固まるのが遅かった。名士の集まった式典の最中に倒れるかもしれないのだが、リハチョーフとツィーピンはどこ吹く風。

ダブルボタンのフォーマルスーツ
新聞の編集者として働ていたセルゲイだが、彼は服装に頓着しない性格だった。
ある日、葬式用の礼服を買うように言われたので、仕事用なのだから編集部で買ってくれと進言した。妥協案として、彼が新年までに社会的意義のある文書を3本出したら、賞与して与えられることが取り決められた。
その後にたまたま一人の男と知り合うが、男にはスパイ容疑がかかっており、KGBの少佐に男との会話を逐一報告するよう求められる。
セルゲイは男に劇場に招待されたのだが、自分は行けないと言う。少佐は必ず劇場に行くよう勧めるが、セルゲイには行けない客観的な理由があった。

将校用ベルト
徴兵されて収容所の警備兵をしていた頃の話。
チュリーリンともに、気の狂った囚人を精神病院へ護送する任務に就く。護送の途中、彼らは林でウォッカを回し飲みする。
囚人はトーリクといい、トラクターをまるごと盗んだ罪で服役していた。トーリクは心理学を使って盗んだと言う。チュリーリンはトーリクを名人だと褒めた。ウォッカによって興奮状態に陥ったチュリーリンは、セルゲイにケガを負わせてしまい、同志裁判にかけられる。
チュリーリンは教養のあるセルゲイに、なんとかしてくれと泣きついた。セルゲイは詰問を予測して、チュリーリンがどう答えればいいかシナリオを作るのだが・・・。

冬の帽子
ユダヤ人のタイピストが自殺した日、鬱屈としたセルゲイは従兄のボーリャに会うことにした。
ボーリャは三人の女性とソピエト・ホテルにいた。女性たちはセルゲイに見向きもしなかったが、彼がケガを負うと態度が豹変する。
自宅に戻ったセルゲイは、借金を返すために金を稼ぐ方法を考えついたボーリャに呼び出される。出がけにセルゲイは妻から、ヒマワレ油を買うため1ルーブルを渡された。
巧く金を手に入れたボーリャとセルゲイは昼飯を食べることにしたのだが・・・。1ルーブルがオッセイ皮の帽子に化けた顛末とは?!

********************

セルゲイ・ドナートヴィチ・ドヴラートフ(1941-1990)はソ連時代の作家。1978年にウィーンへ亡命、その後ニューヨークへ亡命。
本作は1986年に発表された作品とのこと。作者自身が主人公となり、実在の人物をモデルに配した半自伝的小説。アメリカへ亡命した作家による、ソ連時代の回想録と言えなくもないでしょう。

序文で、ソ連を亡命するセルゲイが、外国人ビザ登録課でスーツケースは3つまでと言われて、ではぼくのレーシングカーのコレクションはどうなるのか?と訊ねる。
結局彼はスーツケース1個で国内を出るのですが、ニューヨークに落ち着いて4年が経つまで、スーツケースを開けることはなかった。
たまたま開けたとき、なかから出てきた物が各篇のタイトル。鞄から出てきたそれぞれの物を、いかにして手に入れたのかというのが本書の内容になっています。鞄に詰められた物を通じて、ソ連という国が見えてくるようです。

一見ノンフィクションに思われるのですが、解説によると必ずしも事実に即しているのではなく、ところどころ事実と符合しない箇所があるそうです。私にはどこまでが事実でどこから脚色しているのか判然とせず、全て事実のように思われるのだけれど。
軽妙軽快で人を喰ったようなすっとぼけてユーモラスなセリフがポンポン飛び出します。登場人物たちは破天荒でユニーク、情けなくもあり逞しくもあったりと、ともかく憎めないんですね。でも、誰もが妙な一家言を持っているんです。人々の感情の動きは等身大で無理がなく、ある種自然体のように思われました。

ユダヤ人の父親とアルメニア人の母親の血をひくセルゲイの生活は、現実では作中に書かれているより、かなり厳しかったのではないかと思います。亡命しなければならなかったぐらいだから、社会的にはラクではなかったに違いないのです。でも悲壮感や苛酷さは全面に出ていないんですよ。
作者は社会の悲惨さや不条理さを全面に出さず、かと言って無視したりジョークで笑い飛ばしているわけでもない。
軽快な文体なので見落としてしまいそうになるのですが、実は状況はとても悲惨なのです。理性的であれば納得できないことばかり。
面白おかしくて笑ったり、サラリと読み飛ばしそうな会話のなかに、ソ連の社会状況とその社会で生きる人々の現実の生活が伺えるんです。隙間から覗く社会は、いかにもソ連的だなと感じました。

ソ連にもいろんな作家がいるのでしょうが、トルストイやドストエフスキーのような重々しい作風が多いんだろうなという印象を抱いていました。
ドヴラートフを読んで、ロシアの小説は暗くて重くて仰々しい、というイメージを一新。ロシアにもこんな作家がいたんですね!作家として円熟期に入ろうとするときに亡くなってしまったとは非常に残念です。(2002/5/8)

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへにほんブログ村 本ブログ 海外文学へ

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

H2

Author:H2
My評価について
=1ポイント
=0.5ポイント
最高5ポイント

最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
FC2カウンター
検索フォーム
リンク
QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。