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わが家の人びと/セルゲイ・ドヴラートフ

わが家の人びと ドヴラートフ家年代記
セルゲイ・ドヴラートフ

My評価★★★★☆

訳・解説:沼野充義
成文社(1997年10月)
ISBN4-915730-20-4 【Amazon

目次:イサークおじいさん/ステパンおじいさん/ロマンおじさん/レオポルドおじさん/マーラおばさん/アロンおじさん/母/父/いとこのボーリャ/グラーシャ/レーナ     これは愛じゃない/カーチャ/ニコラス     結び


ソ連出身の作家セルゲイ・ドナートヴィチ・ドヴラートフ(1941-1990)は第二次世界大戦中に両親の疎開先で生まれて、レニングラード(現サンクト・ペテルブルク)で育ったそうです。父はユダヤ人、母はアルメリア人。
ソ連では作品を出版できず、1978年にアメリカへ亡命。この作品の原書(原版)は、1983年にアメリカでロシア語版が刊行されたとのこと。

作者自身が語り手となって、彼の親族のエピソード面白おかしく語られ、飄々していて、とぼけた味わいがあります。
身長2メートル10センチぐらいのイサークおじいさんは、アメリカの会社の評判を台無しにしたり、1.5トン積みのトラックを止めてしまったりと、「まさか!?」と思うような逸話が紹介されているんです。
裕福だけれど陰気なステパンおじいさんは、誰にも解読不能な言葉で罵るんですよ。罵り言葉の意味を知ると、笑っていいのか呆れればいいのか・・・。苦笑いするしかないでしょ。

いちばんの変わり者は、いとこのボーリャでしょう。メチャクチャ頭がよくてモテて運も強く金持ちになってもおかしくないのに、それらは囚われの身にならないと発揮されない。自由になると張りを失って何をしていいのかわからなくなり、突拍子もないことをしでかす。
特に男性陣はどこかしらヘンな人たちなのですが、そのヘンなところに愛嬌を感じて憎めません。
ドヴラートフの作風は必ずしも真実そのものを書くことではないので、全てを鵜呑みにするわけにはいかないのですが、現実にあったとしてもおかしくないように書かれているんです。
そんな中、母親に対する筆は愛情に満ちています。主人公の唯一の理解者は母親です。無条件で息子を信頼する母、女手一つで育ててくれた母を愛する息子。どこまでが本当でどこからが作り話なのか判然としない作風にあって、「母」の章に作者の個人的な想いがストレートに表れていました。

解説に、あるインタビューでの「人がどのように生きるべきか」自分は指図しようとは思わない、自分に興味があるのは「人がどのように生きているか」だ(p211)というトヴラートフの言葉が引かれています。これが彼の姿勢であり、彼の作品を貫く根幹となっているのでしょう。
そこに作者のイデオロギーは感じられません。だからと言ってドヴラートフが、自分の身辺にしか目が向いていないかと言うと、そうではないでしょう。

この作品は面白おかしいだけではないのです。
作者の筆が軽妙なので読み流してしまいそうになるのですが、ときにはドキリとするようなエピソードがさりげなく挿入されていて、底流には物悲しさが湛えられています。そうした物悲しさを笑いで吹き飛ばしているんです。
イサークおじいさんは無実のスパイ容疑で逮捕される。アロンおじさんはコロコロ変わる政策のために、次々と政治的崇拝者が変わってゆき、最後には自分さえ信じられなくなる。校正者の母は、一文字でもスペルが欠けると反ソ連的な表現となるため、常に刑務所行きと背中合わせ。
ドヴラートフ家の一族を通じて、ソ連に住む一般人の生活が見えてくるよう。ソ連という国・社会がどんなところなのか点景として伺えるようでした。(2002/8/25)

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